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おさかな市場 |
09月24日 (木) |
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曹洞宗龍門寺は渥美半島の田原市にある。月曜の夜おそく、刈谷の実家に行き、翌日は片付けなどで、
水曜にお彼岸供養。実家の近くのお寺ではなく、先々代のご縁のあるお寺なので遠い。
お彼岸なんて、実は、子どもの頃以来の行事で・・・・。ずっと「おばあちゃんの役割」だった。
そのおばあちゃんも、両親も亡くなって、私がもう「その年まわり」になったわけだ・・・。
もうあきる野では肌寒いので、着る物も「夏物」でいいかどうか迷った。
気温にあわせてインを2種類用意し、ジャケットを着ることにしていたが、
とんでもない。まだ夏だ。ジャケットは出すことすらなかった。
本堂でのお勤めが終わると、「お食事」
お寺で出る食事なんて、初めて。
ご飯とみそ汁(豆腐とあげの入った赤だし)と切り干し大根のごま味噌和え、昆布の佃煮、漬け物。
え~?おいしい・・・!(これで干物があったら最高だな~!)
ご飯もおいしいし、赤だしは・・・・なんでこんなにダシがきいているんだろう。味噌も濃くて。
「いなかのお料理で・・・」とおっしゃるが、おいしかったなあ。お代わりしてしまった。
渥美半島は暖かいが風が強い。「椰子の実」の歌のゆかりの地。こちらは太平洋、こちらは三河湾だ。
渥美半島の付け根まで戻って、さあて・・・・。
やっぱり、干物がほしくなり、帰りは高速でなく、三河の湾岸の道を帰ることにした。
こんな遠くまではなかなか来られないからね。
一色(いっしき)という所に、三河湾の海の幸をたっぷり売っている「おさかな市場」がある。
海水浴帰りによく寄ったものだ。目当ては・・・・「めじろの干物」
めじろとは、穴子のこと。
市場の中をぐるぐるまわり・・・・あ~!あった!まず、めじろの生干しと乾干しを一袋ずつ。
それから篠島の烏賊の干したの10枚と、北海するめ10枚、岩のり二瓶、三河湾の干しダコ、
キスの干物、大竹輪、大アサリ2個、いかせんべい、エビせんべいなど。にまにま~。
24日木曜は、営業日の会社、役所などの用事をある程度片付け、昼寝してから帰京。
中央道を東京に向かう途中、ラボファミリーからメール。
「インフルエンザで、学校閉鎖になっちゃったんですけど」 え~?
学校側は、このシルバーウイークで冷却期間・・・と思っていたんだろうが、
明けてみたら欠席が多かった、ということらしい。
でもお祭り(今度の日曜)の参加は、家庭で判断してっていうのが笑える。
家に戻ってからでは遅くなるので、途中のパーキングエリアで連絡をしたり、一斉メールを出したり。
平熱くらいで推移するケースもあるようで、ちょっとでもだるかったりしたら、休息し、
様子をみるといい。
熱を測ってみると「なあんだ」と思うだろうが、6度台後半くらいでも、ま、家にいよう。
水出し緑茶がいいよ。たくさん飲んで、昼寝して。
学校からは「病院に行って下さい」と言われるけど、高熱が出てしばらくしないと検査できないそうだし、
本当に重症の人に申し訳なくて・・・・。
高熱があったり、ハイリスクの人が、軽症の人がいっぱいいる病院で長く待たされるなんて、ね。
私の母は、立派な「ハイリスク」者だったので、その心配がなくなって妙なところでほっとしている。
健康保菌者として迷惑をかけないようにしよう。
元気な人は、もちろん、ラボに来てね。お魚食べてがんばろう。
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Re:おさかな市場(09月24日)
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がのさん (2009年09月25日 22時26分)
ご先祖ゆかりの墓所が渥美半島にあるんですか。椰子の実がはるかな旅
をしてたどりついた地。
豊橋から伊良湖岬へ、そしてフェリーで伊勢志摩へ。
この6月半ば、ラボ職員OBでつくるLabo Evermate の会の
今年のツアーで、途中、田原市に立ち寄りました。
(このツアーについては、keikoさんが少しふれてくれました)
龍門寺には気づきませんでしたが、蔵王山展望台や
田原城跡とそこの田原市博物館に。
まったく予備知識もなかったのですが、ここが渡辺崋山のゆかり
をとどめる地だと知りました。画家であり、国学者、蘭学者、
そしてすぐれた政治家でもあり、
「蕃社の獄」でその尊い命を散らした人物。
高校の日本史でなぜか鮮やかに記憶に残っている人物。
なんだか、そんな出会いがうれしかった記憶がよみがえります。
また、このコースは“どんぶり街道”として最近、騒がれているとか。
目星をつけて行った店には何十台もの車の行列ができていて、
あきらめ、伊良湖岬のところでさざえのつぼやきを食べて我慢。
思いがけぬ収穫がもうひとつ。この29日から10月いっぱい、
川崎・麻生区の市民セミナーで柳田國男の連続講座を組んで
いるのですが、「椰子の実」をめぐり、柳田國男の足跡を
しるす詩碑も目にすることができました。伊勢湾を背に立つ
万葉の歌碑もたくさん見られました。
“おさかな”の味にはついに恵まれませんでしたが、
それぞれの地にそれぞれの歴史。そんな出会いが旅の醍醐味ですね。
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Re:Re:おさかな市場(09月24日)
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カトリーヌさん (2009年09月25日 23時57分)
がのさんへ、
訂正ですね。
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この6月半ば、ラボ職員OBでつくるLabo Evermate の会の
今年のツアーで、途中、田原市に立ち寄りました。
(このツアーについては、keikoさんが少しふれてくれました)
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これがKeikoさんではなく、Junkoさんだそうです。
さて、さざえの話がでましたが、渥美半島は貝が美味しいです。
伊良湖までは滅多に行かれませんが、田原の回転寿司でご当地もののネタを食べるのが楽し
みです。
お魚市場は、渥美半島ではなく、西三河に戻ってきて、西尾や幡豆にちかい一色です。
三河は徳川家康で有名で、私の実家のある刈谷は家康の実母、於代の方の実家だったところ
です。
しかし、当時政争激しかったわけで、尾張に付いたり、今川に付いたりしているのですね。
家康の正室築山は、田原のお姫様ですね。だから、田原の人は家康びいきでないのです。
私の祖母の先祖は、関ヶ原の戦いで西軍の大将だった大谷行部。おばあちゃんは家康が大嫌
いでした。
私は刈谷育ちですから於代の方にはなじみがありますが。
今の大河ドラマの家康は、本当にイヤな奴で、笑っちゃいます。
また、私が小さいときよく海水浴に連れて行ってもらった吉良は、あの吉良上野介の吉良で
す。
今川の名家で、塩田を開いたり、地元の人にとっては名君だったそうです。
大谷行部の末裔だった曾祖父が渥美半島から知多半島に移り、
(今もフェリーがありますが、昔も船で行き来する、意外に近い場所なのです)
常滑に落ち着いたのです。
愛知県の二つの半島と縁があるわけですが、どちらも貝が美味しくて、料理に使うととても
いいダシがでます。
全国レベルに出回るものしか食べたことがない息子たちは、メジロの干物や聞いたこともな
い貝のおいしさに驚いています。
昔、榊原さんのお父さんが、谷川さんの碧南・刈谷講演についていらしたことがあります。
「なつかしい」ということで。碧南が出身地なんですね。榊原という名字、多いですよ。
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