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川手氏回想 |
05月25日 (月) |
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新刊ライブラリー『生命の女神ドルガ』記念講演として、仙台で行われた
川手鷹彦氏の講演内容を、たんぽぽさんこと宮崎さんのHPより、
許可をいただいて引用させていただきます。
川手氏のお話より
初めてランダの舞を見た時、生まれて初めて「恐ろしい!」と思った。
人間の魂の一番深く大切なものに触れた気がした。
日本人が忘れてしまった自然・神・生への畏れ(畏怖の念)を感じた。
神・目に見えないもの・宇宙の原理への畏怖の念/敬いの心を直接感じた気がした。
舞い終えたランダの舞手は、とても憔悴した顔をしていて、村の中にわだかまっている負の感情を浄化する事の苦しみを感じた。
自分が本当に求めていたもの(アメリカで見つけた気がしたけどみつけられなかったもの。ヨーロッパで知的に感じたけど体得できなかったもの。)を初めて体感した。
私はランダの舞手になろうとも、ヒンドゥー教の僧になろうとも、ライブラリーを作ろうとも、自分からは一度も思わなかった。
敬愛する師匠・デワジ氏の下に学んで数年後、氏が突然「明日得度するよ。」と言い、僧になった。
それから3年後、「明日からランダの舞を練習するよ。」と告げられた。
自然に師の指し示す方を信じて進んできた。
ある日事務局の曽我さんが川手氏のランダの舞の上映会に来て、「今度ライブラリーに書いてほしい。」と言ってきた。
~これらのことは導きであると感じた~
ランダの舞手として、皆さんに思ってほしい事。
ランダの舞を舞う事は危険なこともある。
人の心のわだかまりを背負う事であるからだ。
その事によって村人の心が洗われていく。
古い時代からの叡智であるから、ランダの舞を舞って体に変調をきたすことは光栄なことである。
舞う事を許された舞手にとっては、至福の浄福感がある。
しかし、それをなしたことへの代償も顕れる。
「子供が命の危険にある時、母親は自分の身を挺して子供を助ける。」ランダの舞手の心持はこれと同じ。
イエスがゴルゴダの丘へ登った気持ちとはどんなものか・・・
ずっと疑問に思っていた事・・・本当に理解できたのはバリに渡ってランダの舞を舞った時である。
(おこがましいと思うが・・・)
世の人々が「悪」と呼ぶもの、ランダの舞の中で「悪」とするものは、
明らかな殺意の様なものではなく、小さな負の感情が積み重なったもの。
これが浄化されずに蓄積されていく社会はとても危険である。
昔の日本には存在していた各村々のお祭り(今も残る獅子舞・なまはげetc.)で、年に一度浄化していた。
宗教的浄化の儀式でもあった村祭りが、日本ではほとんど死に絶えてしまった。
浄化作用の失われた社会はいったいどうなるのか?
バリ島では今現在も大切に行われている。
「自分の犠牲を顧みず人々の負の感情を浄化する」
自分自身の根幹を揺るがしたもの・・・それをラボの若い世代に伝える事を光栄に思う。
異文化を日本人の一人がどう体験したか、
一人の若者がバリ島に渡り、伝統文化に触れ、啓発され苦しみ衝撃を受けた、
その体験を現代の若者に置き換えて制作した。
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たんぽぽさんへ
仙台の講演会のあとは、山形のHさんから、さっそく携帯にメールで報告
があり、うらやましい限りでした。
なぜか、中部では、川手さんの講演会を開催できるチャンスがな
く、、、
読ませていただき、川手さんと初めてのスプリングキャンプのことが、蘇ってきました。
草創期から育ったラボっこが、中高生世代になり、できたての集雲堂に
つどい、これから、自分たちが、何をラボで目指していくかを、激論した第一回スプリングキャンプ。
といっても、私は、当時中学生で、ただ、ただ、東京の小金井Pの高校生たちの
熱い思いに圧倒されていました。
目指すべきところは、゛ないないないの国”の子供たち。見えないもの
が見えるのは、子どもたちのもつ力であり、大人になったら、否応なし
に失くしていく力。
おりしも、ピーターパンという画期的なテープ(当時)が、制作され、
全国のラボっ子は、夢中になりました。
その後、『ラボっこ囃子』が制作され、
自然(神と同意語)と、
人間が対峙し、対話し、感謝するのが『祭り』であり、お囃子である。その思いを、谷川雁
さんから、直接、当時の中高生世代は、伝えらたはず。
一番、谷川さんと近いところにいた川手氏が、その話を聞いてないはず
がないと思うのです。
私の中でも、ずっと、そのテーマは、継続しているけれど、川手さんの
ように、バリの僧侶にまで行き着いてしまったことを、今回の一連の情
報で、知り、傑出したラボっ子であったことに、またまた、パンチをくらった感じです。
ネイティブアメリカン民話、二コルさんのテーマ『ワタリガラス』(北方民族神話)、ケルト神話、ギルガメッシュ、ギリシャ神話、国うみ、、、、
長いラボ活動を通して、点が線になりつつ、こんな深い事を、子どもた
ちに伝えたかったのか~と草創期のラボ創始者の深く熱い思いが、今、また蘇生する気さえしています。
また、今の私たちが、次の子供たちに、どう伝えていくのかの課題を投
げかけられた重い思いを受け止めています。
涙 なしでは、聴かれないお話であったこと、想像できますよ。
PS:
それにしても、仙台は、遠い、、、
バリも遠い、、、
でも、星野道夫氏曰く、
日常の時間と、悠久の時間の二つの時間を持つことが大切だと。
うんうん、はるか、思いをバリにも、アラスカにも馳せればいいのだ。
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