『按摩西遊記』を読む
久しぶりに夫馬基彦さんの著作を読みました
現実の体験でありながらどこか夢の中のできごとのような旅
そこで出会った人々のことば、著者とのかかわり
青春の旅の記憶と、今、五十肩を抱えての旅と
30年から40年の歳月の流れのあとで
人との、優しくそして突き放した向かい合い方ではまったく変わっていない旅人の姿がある
「ヒッピー」ということばが懐かしい
「ヒッピー」とか「コンミューン」とか
時代の雰囲気として、それは、手の届くところ、身近なところにあった
30年から40年の歳月のあとで
それはいつの間にかほとんど消え、ことばとして聞くこともなくなり
記憶の中に埋もれていた
『按摩西遊記』を読むなかで、時代の記憶がよみがえってきた
そして今なおヒッピーとして生きているらしき作者の今が見える
作家であれ、大學の先生であれあのころと変わらない・・・
違うか 作家や大学の先生はあのころと変わらないでもいられるのかもしれない
旅人はいつか倒れる
それも本望なのだろうが・・・
30年から40年の歳月のあと
危険や病やとのニアミス、近接遭遇の危険度はさらに高くなっている
「無銭旅行」ということばも死滅した
でも今後も彼は出かけてゆくであろう・・・・
そしてまたおかしくも悲しい、
悲しくもまたおかしい人間の姿を書き留めてくれるであろう
私もいつか「旅」に出ることがあるだろうか
それともいつもの「旅行」を繰り返すことでで終わるのだろうか
そんなことも考えました・・・・
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