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昨年春に子供達の10周年発表にあわせてやったママ達による
「スーホの白い馬」は子供達がやるのとあえて同じテーマにしましたが
おうちでCDをきくことの大切さや体を動かしながら仲間と場面を作りあげる楽しさ、お話についてみんなで調べてきたり話しあったり、
その国の文化に触れたりする中でラボっことママ達両方にいろんな発見がいっぱいでとっても良かったのでありました。
これを一年半ぶりに今年12月もう一度やる計画をたてています。
そしてできたらよそのpartyのママ達にも参加していただけたらなあと
思っています。
どなたか広島の佐伯区まで発表にいらっしゃるparty大募集中です。
今、山口から1つ参加party決まっています。
いかがですかあ?ママ達の交流の場としてもきっと最高ですよ。
あ。。。。そうそう。partyのみなさん!また詳しくはお会いした時に
お話しますが、そういうことです。
いいでしょ?!ね!
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昨年に続き3月末に岡山で行われる7party合同合宿第2回目。
総勢200名以上になるらしく。
県をまたいで昨日山口から岡山から広島から、このたびは高校生コーチと呼ばれる4人が打ち合わせのために、あるtutor宅に集まりました。
4人のコーチの下には26人の中学生シニアメイト!
8グループに分かれての活動となるようです。
親チームもできるらしく、そちらも総勢40名!
昨日はコーチ達が念入りに昨年の経験やシニアメイト経験をふまえて
打ち合わせをしている横でお茶をすすりながら、彼らに付き合いました。
10時からの打ち合わせ中、フォークソングの確認に5人で何曲踊ったでしょう、tutor教務より厳しいレッスンにポイポイとワンワンさんは唖然。踊っても踊っても覚えられんとです。。。うううう。
途中お茶くみに立ったわんわんさん、「話を聞いといて!」と
高校生に叱られる始末。
若いということは本当に頭も体もあたりまえですが新鮮なのですね。
シニアメイトグループが決定すると俄然楽しみになってきました。
あの子もこの子もきっと中学生達がお互いに刺激を与え合って良い合宿になりそうな予感です。
プログラムは一切tutorは手を出しません。
子供達が作り上げるんです。
仲間がいて、一緒に自分達で作り上げるから楽しいよね。
一つのpartyでは出来ない機会を今年も下さったtutorのみなさんや
送り出してくださる親御さん達、そして頑張る高校生と中学生に感謝です!小学生もお楽しみにー!たくさんのお友達に再開できたり新たな
お友達ができますよ!
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久しぶりのparty中継です。
あるポイポイ日記ファンのママから先日言われました。
「最近日記にpartyのことが書いてなかったら、何かあったのかなっと思ったりするんです。」
不安な気持ちにさせてごめんなさい。
1時間ごとに考える事柄がめまぐるしく変わる毎日なもので
書いてない時は忙しさからの「ただのさぼり」です。
えー、今日は午後の幼児さんについて書いてみましょう。今日はプレイルームからTくんとRくんがお兄様、お姉さまについて子供だけで
見事に参加できました。パチパチパチ!
一瞬「ママは?」とTくんに聞かれ返答にたじろいだ私でしたが
「大きいお兄ちゃんおねえちゃんと出来るしっかりした子が来れる所なんよ」って言ったら自尊感情が揺らいだのでしょうか、3才はそれから
何も言わず活動に入っていらっしゃいました。
今日から「がらがらどん」です。テーマ活動大好きなR姫から
songの途中から「こんなんやめて早くがらがらどん、しようやーー!」と叱られたとです。
どうもがらがらどんは1回目にして反応がよいようで、
「わたし、大きいやぎ」
「ぼく2番目の」などと口々に読み聞かせ前にして言っております。
弟の手をしっかり握ったRお姉さまとYお兄様はそれぞれ一緒に「小さいやぎ」「2番目やぎ」をなさいました。
3番目やぎはどうやらMちゃん&Rちゃんの喧嘩するほど仲が良いご近所ペアでございました。
その頃、「あーー。まずい。こんな元気そうな8人相手にまた私がトロルか。。。。。。まちがいなくこの流れはトロルだな。」と悟った私。
今日はとっさにピアノの椅子にゴミ袋をかぶせてみんなに
「これをトロルにしちゃおう!!いえーい!」と持って行きました。
かわいそうなトロルは前にも後ろにも不細工な顔を書かれ、ひもでチョロチョロとはげ頭のような髪の毛をところどころに付けられ、既に
裾を破かれたりしています。
お話CDがはじまるともうなぜかチビやぎさんからもやられんばかりの勢いです。おさえてやっとのことで大きい山羊までグチャグチャに
ならずに済んだものの、大きい山羊の場面の10秒前からは
「なんじゃ、こりゃーーー!{太陽に吠えろより}」の状態でもう
トロルは3センチ四方にこっぱみじんになってピアノの椅子から投げ落とされておりました。
最後は山へ登った8匹の山羊からこっぱみじんになった後、「これ草よ!」と誰かの掛け声で草となったトロルが食べられておりました。
「もし、これが私だったら。。。。」
4つクラスがありますがどれが一番ハードかって、この幼児クラスのたった1時間が一番ハードでございます。ふう。
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3年前の夏にステイしたワイオミング州のホストから1ヶ月ぶりで
メールが来ました。
やはりどうやら今年もワイオミングとラボとの交流は再開できそうにないとのことでした。
4Hプログラムは各州の大学がoperateするもので大学は他の様々な部門も関わっているので、交流プログラムを成功させるためには相当の人々をそこに動員させなければ成り立ちません。
3年前に新婚さんだったcordinatorのZoraは昨年妊娠して今産まれたばかりの赤ちゃんがいるそうで現在大学内に交流プログラムに関われる人材が女性一人しかいないとのこと。
残念です。
とっても田舎だったけれどもずーっとどこまでも続く地平線をぐるり360度見たのは大人でも一生忘れられない光景でした。
娘が今年アメリカに国際交流参加しますがあそこへ行ってあの光景を見ることができたらなあと思って密かに期待をしていたのですが。
{娘は都市にいきたいみたいですが}
残念です。ワイオミング州との交流がいつか必ず再開されますように。
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tutorとしての仕事はpartyのある、その曜日のその時間だけでは終わらない。
あれもこれもしなくちゃ、、、あそこにもいかなきゃ、電話して予約しなきゃ、あの人と話をしなくっちゃ、あの本を探そう、この本を読もう、と頭にいっぱい浮かんできたときは
ポストイットに書き出して机の上にぺたぺたとはりつけるようにしている。
貼った中にはすぐには解決しない仕事もある。
そして土曜日は比較的私は骨休めが出来る大好きな曜日でこの曜日に
家庭のことやたまりたまったポストイットに書いてある仕事をかたずけられるのです。
今日は前々からやってしまわなければと思っていた大仕事がひとつ終わりました。むふふ。大満足です。
たった31枚の写真をピックアップするのに10年以上たまったpartyの写真を見直しました。
入会した頃と現在のラボっこの写真を並べて1人で笑っておりました。
見る人から見るとこれは仕事ではないのでしょうがこんなこともtutorの仕事だったりするわけです。
でも今日はおかげさまであと机上のポストイットが残り1枚となりました。それは3月のparty通信だったりするわけですが、、、これはまだ来週月曜日の会議後のほうがいいようなので残しておきましょう。
1ヶ月が過ぎるのがあまりに早くてついていけてません。
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よそのpartyではラボっ子が巣立つ時の卒業式をどんなふうに
していらっしゃるのでしょう。
1月末に前年度のママの会の役員さんと大枠を話し合い
2月先週に持った父母会で案をだし、新しいママの会の方中心に
これから一つ、二つ、進められていくことがあるようです。
センスのない私ですから作り物系は全くお母様方に頼らざるをえません。
機械にいたってはことばの意味がわからないアナログおばさんです。
ということで私のお手伝いできることはただただ毎週のparty活動、と
いうわけですがお役にたたない私で、「あい。ちゅいまちぇーん。」本当に助かっております。
ありがとうございます。
先週の父母会の後、スライドショーを卒業式にする為に高いホームシアターを思い切って購入されたという方がいらっしゃいました。
amazing!
というか旦那さんがずっと欲しくて高価なものだから承諾されない奥様がいて、旦那様に「これからラボで卒業式があるたびに出動して上映する役目をいたします」という誓約をしてもらい買って差し上げたらしいのです。
旦那様が入場される時にみんなで花道をおつくりしますことよー。
本当にお世話様です。
大学受験の為に高校でラボとお別れになる彼が先日ぽろっと言っておりました。
「高校が5年くらいあればいいのに。ラボは高校からが面白いのになあ。」ですと。
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それに触れる機会がこの数日中にあった。
「ねえ。中学でホームステイに出る子供を送り出す気持ちってどんなん?」と聞かれたのだった。
高校生になった彼らが「当時の親達の本当の気持ちはどうだったのか
メッチャ知りたい!」というのです。
どこの地区でも壮行会などで送り出す親御さんのごあいさつなどは
何度も聞いてきただろうに中学生当時の子供達には親の気持ちなんて考える余裕すらなかったのかもしれませんね。
私自身の気持ちやpartyの親御さんとのやりとりしか経験はないけれど
その辺を話してみました。
「みんな親は我が子が可愛くて可愛くて仕方ないんよね。送り出す前も
送り出した後も集まっちゃー、どうしてるか、こうしてるか、あーでもない、こーでもないと話していたよ。自分のお腹から出てから、長くても平郡キャンプの一週間くらいしか離れて暮らしたことがない我が子が
1ヶ月も外国の家庭の中に入って愛されて過ごすんだーと思うと感無量
だったよ」って。「帰ってきたらどさくさにまぎれてハグしちゃろうやー計画」は我がpartyでは口癖のように語られた。「ふーん」と子供達。決して楽しい観光旅行ではないホームステイであえて子供にとっていい経験になるだろうからと送り出しつつも内心、さびしい思いをしてはいないか、向こうでみんなとうまくやっているだろうかと全く考えないではない。
こどもたちは「あの頃って、あんまりかまわれたり、言われたりするとうっとうしいけどほっとかれるといやなんよ。。。」と笑いながら胸のうちを教えてくれた。ホームステイに出る前も行っている最中も帰ってからもみんな親からの愛情を感じていたいようだ。あたりまえだけれど。
特に2番目、3番目の子供を送り出す際は1番目の子供のときと同じように別れの際もあまり簡素にやって欲しくないのだそうだ。{笑}
そうだとわかっちゃいたけれど、「やっぱりそうなんだ!!!」と確信。
子供には手はかかるものだけれどこの年代の子供を育てるのは気のほうが大変だ。でも楽しいなあ。
私にとっては中学生我が子が2人。毎日が本番だ。結果が悪い方にいけば旦那と2人「ほらー、あなたの言い方で腹を立てたでしょ。」とお互い責任をなすりつけあい楽しく格闘しております。
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金曜日の朝は午前中プレイルームがあるのですが
その前にもう一仕事わたしには小学校でやっているボランティアが
あります。{各週にしていますが。}
前日は「あー、明日の朝は忙しいぞー。。。。」と思うと朝が弱い私に
とっては気が重くなるときも正直あるのですが学校に向かい子供達の
顔を見たとたん俄然元気がでてきます。
「やっぱりきてよかった!」と思う2週間に一度のボランティアです。
なんせ子供達は本が大スキ。
騒ぐことなんてありません。
みんなとっても静かにきいてくれます。
今日は最近新聞でも話題になって取り寄せした「わたしのいもうと」を
読んでみました。3年生の教室でした。
これはいじめで心にキズを負って結局なくなってしまった妹について書かれた手紙を元に松谷みよこさんが本にされたものです。
とても重い内容なので昨夜は教室のシチュエーションを想像して「本当に朝から読めるかな」と思いましたが思い切って。
読み始めると本当に水を打ったように教室が静まり返りました。
でも小さな子供達のうちからこういう本で知る事実があってもいいかなあと思って読みました。読んだあとに感想なんて聞きはしませんが
心の中に子供達なりの日常にあわせて何かしら感じてもらえたらなと
思います。
でも私はこの本、1冊で終わるのではなくて2冊目に
「どんなにきみがすきだかあててごらん」を読みましたよ。
子供達にだいすきだよってメッセージをこめて読みました。
帰り際にかばんから「どんなにきみが。。。」の小さなうさぎのぬいぐるみを出して振りながら「今日一日仲良くねえ」とおせっかいおばさんを思いっきり楽しんできた10分ボランティアでした。
さー!プレイルームだよん!
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と題して平和公園すぐ隣りにある国際会議場で講演会が
あることをラボパパから教えていただき今日は昼から
行ってまいりました。
アメリカに本部を置く高校生中心の民間異文化交流組織団体の会長さん:フランシスコ・タチ・カザール氏のお話と
高校生の時、そちらから1年留学体験のある広島市長である秋葉忠利さんのお話を聞くことが出来ました。
そこでお話された中で印象的だったことをいくつかご紹介します。
高校生の時に留学経験のある秋葉市長は「アメリカ留学当時ヒロシマのことについて何ら自分で語ることが{言葉の面でも、自分の国を語るという面でも}できませんでした、その時から{ヒロシマについて語るということは}自分の中の宿題だと思ってヒロシマ市長になりました。そしておととし、やっとシカゴ大学でヒロシマについての講演会をした時に当時のクラスメートがたくさん聞きに駆けつけてくれた。やっと自分の宿題をおろすことができました」と。また「留学当時に得た友達は本当に今でもよい友達だ。」と。
頭の柔軟な知識吸収力が大きい年頃に異文化交流体験をすることがきっかけとなり、その後に自らも努力することで言葉の習得にもつながっていくのだということを語ってくださいました。
同じようにそちらの会長でありパラグアイ出身であるタチさんも最初は
英語もまったくわからなかった、と。
学生の時に留学から帰ってすぐは自分の背中にしょっているバックパックの中に何が入っているのか全く分からなかったそうです。
その後、自国でエンジニアも経験された後に「やはり自分には興味のある異文化交流の道へいきたい」とアメリカへ戻りそちらの組織に
入られ今ではニューヨーク本部で会長にまでなられたのだそうです。
今日の講演も2時間英語で語られました。
若いときにした異文化交流直後ではバックパックの中に何がつまっているのかは分からなかったけれども大人になったら自分の中に様々なスキルを取り出せることに気がついたのだそうです。
ラボでもそうですね。ホームステイから帰ったばかりの子供達は食べ物がどうこうだった、飛行機がなんとか、とか、なかなか帰国報告でも
これ!!と思われるような感想をすぐに言えたりはしませんが、それが
1年たち2年たち数年するうちに自分の中でどんなふうに大きな体験だったかがだんだんにわかってきて確実に自分の中に引き出しを一つ、いや、もっと増やしていることに気がつくようです。
まさに今ラボのOB OGについて「大人になったピーターパン」という本で様々な交流体験をした彼らの分析がなされラボっ子{高校卒業くらいまで活躍した}が高く評価されていますが、組織は違っても世界中に
多様性を大切に考えられる子供達を1人でも多く育てることが
世界の平和につながるんだいうお話を聞いてtutorの仕事も
そういうことへ少しは貢献できているのかなあと思うと{まだうちにはOBOGはおりませんが先を想像して}勝手にちょっと嬉しくなりました。
ヒロシマ市長は毎年3月の支部の国際交流のつどいにも祝電をくださっています。
帰り際、感想やメッセージがあったら書いておだしくださいという紙がありましたので「毎年わたしたちの団体の国際交流のつどいに祝電を送ってくださりありがとうございます。。。。。うんぬん。。。」とダラダラ書いて提出してまいりました。
テレビでしか見たことがなかった市長は若々しく平和都市ヒロシマのリーダーにふさわしい方だなあとあらためて思いながら帰ったのでした。この講演会を教えてくださったTさん、ありがとうございました!
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驚いた。。。
どこかで行方不明になっているのかと思っていたママノートが
何年ぶりかで戻ってきた。
平成11年に始まったママ達の交換ノート。
始まった頃はプレイルームママだけでまわっていたのがママ達が
幼児グループにあがり、「あのノートが見れなくなるのは寂しい」と
だんだんとプレイルーム&幼児ママの交換ノートに。
そして幼児グループだったママも今では小学生のママになり
そのうち誰から誰に回されても良いように順番無視で突然やってくるノートとなりました。
今は3冊目に入り3冊をガムテープでバサっと一緒にはりつけ厚いノート。
書いたら翌週必ず次の人へ渡すのがルール。。。なんてことは
とてもじゃないけど出来ないので書けるときに書いて渡せる時に渡す。。。という大変アバウトなルールの下成り立っている。
1人が春に書いたら次の人に渡されるまでに忘れられ、季節が秋くらいになっていたりしながらも脈々と渡され続けていたノート。
下手すると一度書いたら次に書くときには子供が1人増えていたりする。
突然あまりにも久しぶりに届いたものだから夕飯の用意しながら
炊飯ジャーの上に乗せて読み始めたら止まらない。
8年前の自分やラボママに会えるのだ。
すごい。
これは是非存続させていかねばと思いました。
若いママ達がこのノートを見て今は中高生や小学生を持つ年上ママ達も
育児に奮闘していらしたんですねえー、これを読ませてもらって良かったと書いていらっしゃった。
3冊もある大学ノートをまた次の方にお渡しするまでにもう一度読破してから返そうとまで熟読したいらしい。
どうもmy partyのバイブルになりそう?!だ。
my party発足11周年記念図書「ラボママノート」が次は
あなた!!のところに突然やってきます!
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