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ラボには「こうしなきゃだめ」が、ない。
でも、「ここ、はずさない」は、あるとおもう。
みんなの目標はあるけれど、アプローチの方法は、それぞれ。
パーティは本来、こどもたちがつくっていくもの。
こちらはできるだけ、こどものなかにはいって様子をみている。
今日は元気だな、と思ったら、新しいことにチャレンジ。
どうしようもなくブルー?のとき、
こちらが用意したことが、すこしも進まない日もある。
そういうときは、無理しないで方向転換。
ときにはみんながすきなSBを飽きるほど繰り返す。
それはそれで、大満足。
昨日は、サマー共通SB、NRにも取り組んだ。
人数の関係で、高学年活動のときのようにはいかないが、
それなりに楽しんだ。
すこしやったことがある子がリードして、
まわりはそれにつづく。
さんざん汗をかいたあと、マルベリーは、動作の絵カードを作っておいて 裏向けて置いて、歌にあわせて一枚とってめくり、
歌と合ってるか自分で判断して、間違ってたらもどす・・
というのもやってみた。
19日はまよなかのだいどころ、がんばろう。
意見の出し合いをみていて、テーマ活動にすこし
なれて、積極的になってきたのがわかってうれしい。
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2008年、国際交流プログラム参加者のための壮行会(地区)が
日曜日に行われた。
今年は例年より多くて、並ぶと舞台ぎっしりになった。
昨年のことがリアルに思い出され、保護者からのメッセージのときには 笑いながらも涙が出てきて、こんな複雑な心境になる親心を、
子どもたちはいつ知るのだろうか・・などと考えてしまった。
去年は息子も、「は?」と言いたげな表情で、涙ぐむ私を見ていたっけ。
高校留学から帰ってきたふたりのスピーチは、伝えたいことが
いっぱいありすぎて、ことばがあふれ出すその姿に、それぞれの
「こころの成長」をずっしりと感じた。
一年前のふたりの姿がまだ鮮明に残っているので、
ほんとに同じ子?
と思うくらい、10代のあのころの成長というのは
めざましい。
期せずして
今日、高校留学の案内が送られてきた。
暇そうにしていた息子に見せると、一応眺めていた。
「ただ、オレは、JOELに会いたいだけだ、もう一度あの家族と
会いたいだけだ」
そう思うのなら、良かった。
行きたいといわれたところで、行かせてやれるのかは?だが、
まずは、そのまえに・・・・・・・・高校に入らないとね。@@;
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기다리다가 다시 메일을 보넸다..
スジちゃんから、便りはまだない。
8月5日 とある駅の新幹線ホームのなん両目で出迎え~という
最終のお知らせも今日届いた。
が、ファミリーからのお便りは、ない・・。
明日、お手紙出そうと娘と決めた。
でも、5日はかかるのだ。
行って帰って二週間かな~?
どうなるのかな・・。
昨年、息子のステイしたカナダの家族は、MOMが非常に筆まめな方。
夜送ったら、朝には返事が~~
それになれているせいか、なんだかチョーさびしいのだ。
実感が沸かない。架空の話のような気分。
でもほんとに来るんだよね~~、スジちゃん。??
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月に一度のレターを書く身となって、1年以上がすぎた。
そういうこともあってか、こどもがもらってくる学校のクラスだよりも以前にもまして目を通すようになった。
新学年、新学期にはいって、なにもかもあたらしいころは
先生のクラスリポートも、「こんなことがありました」と 毎回元気にこどもたちの様子を伝えてくれていたのだが・・・。 幸先よいスタートをきったはずが、
なんだかこのところ文章に全然元気がない。
それが気になっていた。
はじまったころとちがい、通り一遍のことしかかかれていないのだ。 ほどなくして、一部の保護者から「少数のこどもの名前をあげて いいことをしているからと、クラスだよりに誉めることばを載せる のはどうか・・。そんなクレームが来たということを知った。
それを聞いてとてもさびしい気がした。
そのうらには、自分の子が誉めてもらえてない、という気持ちも隠れているのか。
そのようなことにさえ気分を害するひとがいることが残念だ。
これでは先生も身動きがとれないな、と同情の気持ちさえ持った。
クラスのためになるようなだれかのよい行いを、 すばらしいとみんなが喜ぶことが、 なぜいけないのだろう。なぜ、腹立たしいのだろう。 では、全員分を載せたら納得されるのだろうか。
ほめられること、ほめること、
そのどちらも、素直なこころの表れであるはずなのに、
そんなことまで「公平・不公平感」で勘定することに 憤りを感じる。
こどもって、うちでクラスの友達の悪い仕業は話すことはあっても、いいことはめったに言わないもの。
だからわたしは、せめて文面上で、いいニュースを聞きたいと思った。
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後期のTSが終わった。
もう、このメンバーで顔をあわせることはないんだ・・と思うと
ちょっとさびしい。
始まったころは、お互い顔と名前も一致しておらず、
個性的なテューター同士だけど、互いをさぐりながらの
遠慮がちな共同作業が続いた。
それがいい雰囲気に変わっていくのは、
やはりその中心にテーマ活動があるからだ。
テーマ活動は、ある意味
そのひとの本質を徐々にさらけだしていくような作業だ。
壁をつくったり、身構えている間は、
本当の意味でのたのしさを味わえない。
ここで出会ったものがたりを
年月を経てあらためて耳にするとき、
このときの情景と、このときのメンバーと、
このときにあった出来事をきっと思い出すだろう。
いま、わたしの中に、
こどもの時に出会ったラボライブラリーの
数々のお話が当時の情景と共に記憶されているように。
これにかかわった人たちの歓喜も、涙も、焦りも、憤りも、
すべてがしみこんだその物語を心の糧にして
がんばっていこう。
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日曜は、代々木でオリエンテーションがあった。
今回、韓国ラボのラボっ子を受け入れするにあたって
ホストとなる娘は、まだラボに入って1年ちょと。
昨年、兄がカナダへひと夏行ったので、
出かけるほうの大変さは、目の当たりにしてきた。
なにも心配してなかったはずのむすめが突如
「しゃべれない。だからいやだ」
確かに、英語は小1からやってる韓国だから
かなわないかもね。
だけどちょっとまって・・・
去年の兄を思い出して。
ことばに関して完璧な準備なんてしなくても
何の問題もなく行ってきたよ。
ラボっ子のすごさは、テーマ活動にあり。
もちろんことばをより多くしみこませるには
ライブラリーを聞くこと以外に良策はないくらい。
また、コミュニケーションの道具のひとつとして、
テーマ活動での経験も生かせばどうかな。
ふだん、人の顔もろくに見ずに挨拶、ことばを交わすわたしたち。
伝えたい、伝えよう、ほんとにそう思ったら、
いい加減な伝え方はできないはず。
持てる力を総動員して、表情も、気持ちも、動作も、ことばも。
コミュニケーションって、心を通わせるって、
こういうことなんだ!!
・・・そんな新たな発見をしてほしくって。
娘の奮闘に期待して、この夏を迎えようと思う。
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昨日届いた、財団からの書類。
昨年、息子のステイ先がなかなか決まらず、オリエンテーションでも
まだ不安だったことを思い出す。
今回は娘の受け入れとあって、
昨年とは逆の立場で娘と封をあける。
写真を見て歓声を上げる娘。
明日、メールしようね。
**************
その明日、さあ、頭を絞って英単語を探す娘。
ラボっ子二年生、困っている。
あきらめて日本語で語りだす。
それをどううまく訳すのか、
去年もこれにずいぶん時間をかけた。
初回はこのくらいにしようね。
気付くと娘はすでに自室に戻っている。@@;
そうし~ん!
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さあ、オモニとしての挨拶は。
電子辞書と愛用の参考書とキーボードの配列カードを使い
PCのまえに一時間以上陣取った。
これはなかなかだ。いや、これを今度のレッスンで
先生に添削してもらうことにしよう。
きっと、打ちのめされるだろうな。^^;
話すと書くは、ほんとに違う。
娘に話した。
ことばの習得は、聴く→話す→読む→書く の順番だからね。
쓰는것은 너무 힘들어요..
今書けなくっても ダイジョウブ (ミッキーパイロットの口調)
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いま中学3年の長男が低学年のころから、
小学校でよみきかせをしてはや8年。
うまく継続できなかった年もあったけれど、
娘のほうは、これで5年目にはいって、
関わるみなさんのご尽力により、間が空くことなく続いている。
蔭ながらわたしも、そこに参加させてもらっている。
これがなければ、学校にそうそう行く用事はない。
学校公開は、よそいき顔になるので、
普段の教室の姿がよくみえない。
だから、こどもたちと「ものがたり」を共有しながら過ごす時間は、
ふだんの様子を知ることにもつながって一石二鳥だ。
5年生だから、ちょっと長い話にも挑戦できる。
授業にすこし食い込んでも、先生方がおおめに見てくださるのでありがたい。
毎週金曜は次の時間が算数教室なのだが、
例年、よみきかせで集中したあとは、
授業への集中度が増すそうだ。
いつもは、なかなか教室が騒がしくて
大変なようす・・・。
今年度からとなりのクラスとも組んで一緒に行っているので、
よみきかせのおかあさんとして、
学年共通の知った顔になるのがいい。
さて、
つぎはなんにしよう。
神話もいいね・・だれかが言ってたっけ。
それなら、いろいろありますよ~~。^^;
どんな本を選べばいいの??高学年にお話・・・
そんなときに、ラボライブラリーのなかの物語を紹介したり
とても役立っている。
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先週のパーティのとき、
ラボっ子のひとりが、移動教室でフォークダンスをおどった話をしていた。
すごく楽しかったって。¥^O^¥
うちの子供は、そういうのは経験ないらしい。
息子のほうも、ラボで「おどる」姿をもし友達のだれかに見られたら
「死ぬ」・・と。
昨日は、高学年活動があった。
高校生のリードで、 Send My Brown Jug Down To Town ♪を特訓。
「おとこのこ、おんなのこ 交互になるよ」
・・のひとことに、たちまち四角い部屋の
壁際に散らばろうとする小学生。
・・その、ちらばった子達を、何食わぬそぶりで引っ張ってきて
「さあさあ・・」と手と手を繋がせる。
円の中心で、軽快にお手本を見せる高校生。
「次は、おんなのこは男の子の肩に左手を、おとこのこは左手を
パートナーの腰に」
さりげなくやってのけるので、小学生も逃げきれず、みようみまね。
手がつくかつかないか、触れるかふれないか、
その様子が、なんだかわたし自身にとってもなつかしい。
くちソン♪で何度もやってみたあとは、
CDに乗せてできるか挑戦だ。
おっ!速いぞ!たいへんだ!
この曲、意外に繰り返しがある。
終わったとおもいきや、まだある。
一曲終わったら汗だくだ。@@
テーマ活動は、トムソーヤ二話と、ロージーちゃんのひみつ
に取り組んだ。
トムが、学校に遅刻して、先生から
バツとして「女の子の隣にすわらせるぞ」
といわれたときの気持ち。
「みんなはどう?」
その場で高校生たちから質問があった。
トム世代からの声の反応はなかったけれど、
場の空気から、
Yes とも No ともつかない複雑な気持ちが
わたしに伝わってきた。
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ちいさなパーティだけど、保護者会を大切にしている。
ふだん、なかなかお目にかかれない保護者の方との語らいは、
ラボ活動になくてはならないものだ。
いろんな子供の習い事。どれを選択し、どのくらい続けていくのか。
子供の意見もあるが、多くはお母さんの考え方にかかっている。 最近は、「子供の意見を尊重」が、なによりの良策と
もてはやされているようだが、
「子供の意見の赴くまま」にならないように
注意しなければならないともいえる。
ラボは、活動の幅も広くてひと口に語れないので、
その多面的な魅力に気づかず離れる人もいて残念に思う。
それはとてもさびしいことだ。
どんな子にも、かならずぴったり合う部分が見つかるはずなのに。
だから、精一杯語っていこう、と思う。
子供にとってのラボ。
こころの居場所、仲間との空間、自分を解放するひととき。
言語習得についてまわる「法則的縛り」がなく、
勉強しなきゃというつらさを忘れていられる楽しさ。
学校でも家庭でも見せない別の自分の姿。
親にとってのラボ。
わが子に新たな発見をする場所、子育て仲間としての、
学校の枠をこえたつながり、
長い時間を経て、我が子以外の子供の成長を共によろこぶ醍醐味。
ラボって、最初から期間限定コースで参加するのはもったいないのだ。
どんなことも、続けるには山あり谷あり。
そこには、揺らいだ子供の心を支えて見守る人が必要だ。
保護者の方には、その役目をぜひおねがいしたいと願う。
これで間違いない、と安心できるなにかをつかんでもらえる日まで
折に触れてラボを自分のことばで語ろうと思う。
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