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洋裁・和裁という言葉があった。
洋裁学校が盛んな時代もあった。
ドレメ式とか文化式とかいって、型紙を裁って服を作っていた。
今は、好みに合わせたものが手に入るから、自分で服を作ることは少なくなった。
そんな時代だが、私は身近にあるものを、少しでも生かそうと着なくなった和服、ちりめんや、大島など、上等な天然素材のものを、何かにしようと努力している。
そこで、かんたん服作り。
いままで着ていたお気に入りの服の古くなったものを、丁寧に縫い目のところで鋏を入れ、袖、身頃、襟など、きちんと切り取る。
それをそのまま型紙として布に載せて裁ち、縫うだけ。いとも簡単!
コロナで出かけるところもないのに着るものはいっぱいある。
最近作ったのは、男物の兵児帯で作ったブラウスや、ちりめん訪問着のアロハシャツ。
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春から初夏へ。花々もみどりも美しく、いい季節なのに
コロナというのが忌々しい。
玉ねぎは葉が伸び、下にまあるく白い玉ねぎが育っているのがわかる。土に埋めたジャガイモは芽を出し、元気がいい。 その分庭は草がいっぱい。
みんな太陽のおかげで育っている。
少し前から、太陽のおかげを十分にいただいてやっていることがある。
干し野菜。 切り干し大根などは前から作っていた。頂き物の大根があると細いのや丸のまま切ったものなど保存食としてたくさん作っていた。
それとは別に、このごろは、いろいろな干し方をして楽しんでいる。
完全に干さなくても、一日、半日、2, 3時間、と干した野菜を炒めたり、煮たりすると、食感がそれぞれにちがって美味しく楽しめる。
離れて暮らす娘も、このごろは、もっぱら内食なので、あれこれ情報を交換し合い、干したり食べたり感想を話し合っている。
野菜料理が倍楽しめて野菜に対する関心も愛情もわいてくる。
一日ほして
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今日で2月も終わり。もう2月も終わりだ! という感じ。
何と、もう一年もコロナ、コロナと言い続けて、なんだかわからない一年が過ぎてしまった。
それなりに働いて、食べて、人は生きていかねばならない。
それぞれの人の周りにはいろいろな出来事や変化があったことだろう。
ただ、ありがたいのは、自然と季節はめぐり、花は咲き、木は芽吹く。
ひなまつり。
なんと、温かい響きを持つことばだろう。
まだ友達を呼んだりは出来ないけれど、今年も雛人形を飾った。自分のために!
せめて写真を撮ってあちこちメールで送った。
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松かさの開いたものや、はすの花托の実の抜けた蜂の巣のようになったものに布を入れて、飾り物をつくり、棚に飾ってあった。遊びに来た姪っ子がそれをみて、「かわいい」といって持ち帰った。そして、「うちに帰る途中にもっと大きな松ぼっくりが落ちているから、今度拾ってくるわ」といった。
その大きな松ぼっくりが届いた。
その大きさに私はびっくり。
私が今まで作っていたのは、アボガド程度の大きさ。これで十分大きいと思っていた。
ところがその松ぼっくりはパイナップルほどある。
立派な松ぼっくりを見ながら考えた。
紅白の飾り物にしよう。
赤い絹の布、白い布をもとにして、少しアクセントをつけて、布に少しの綿を詰めて一つ一つの松かさの鱗片に詰めていく。ボンドでつけていくので松かさ自体も丈夫になる。
大きいので見栄えのする置物になった。
コロナ禍で、訪ねてくる人もあまりないけれど、見た人は、みんな驚いてくれる。
こんな実をつけていた松の木を思い浮かべながら・・・・・。
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2021年の幕開けは大変なことになってしまった。
普通の年とは違うお正月。
まさに、われわれ一人一人が後世に語り継がれる歴史の年に生きている。
昨年の暮れ今年の干支の丑の木目込みをつくり、それと同時に「あまびえ」の人形も作って、息子と娘の家に送った。
今朝の朝日新聞の天声人語にも、「蘇民将来」という伝説の人のこととか、福島の赤べこにも疫病退散の願いが込められているとか、イギリスでペストの流行った時には「アダブラカタブラ」と書いて、玄関先にはったとか、どの時代にも、どこの国でも、大変な時には何かにすがりたくなるものだ。
人間はこれだけ科学、医療が進歩しても根本的には弱い存在である。
自己の知恵と思いやりで一人一人がこの苦境を乗り越えるより仕方がない。
今より少し気楽に人と笑いあえる日が来ることを祈りつつ・・・謹賀新年。
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娘からロボット掃除機が送られてきた。
説明書を読んで早速働いてもらう。
まずはホームベースを設置して充電する。
手始めに障害物のない和室、座敷にもっていって、掃除開始ボタンを押す。
チャラチャララン(はい、始めます)と言って動き出す。
私が掃除するときは畳の目に沿って隅から順々に仕上げていくが、ルンバはめちゃくちゃ動く。段差2センチぐらいなら乗り越えてしまうし、廊下に出られるとややこしくなってしまうので、ふすまを閉めて、まず一部屋を仕上げてもらう。15分くらい動いたらチャラン(終わった)と言って止まった。
つぎは、リビング。障害物が多いと、それだけやり残しが多いから、椅子などを別の場所に移動させて、ルンバに頼んだ。隅の方をピッピ、ピッピと刷毛を動かして埃を吸い込んでくれる。
どのようにセンサーが働くのだろうか。
もう少しまっすぐ行くのかと思いきや、斜めに走り出す。もうそこはさっきやったよ、と思ってもまた丁寧にやっている。テーブルの脚にぶつかるとその周りをぐるぐる回って刷毛を動かしきれいにする。確かに賢い。私は文句を言わずに、椅子に座って初めてだからずっと眺めていた。
センサーが終わったと判断したのだろう。チャランと、止まった。
掃除機ではきれいにできなかったベッドの下もきれいになった。
ルンバが下にもぐれるように、あらかじめベッドの脚を調節しておいたので、何回も下にもぐって時間をかけてきれいにしていた。
センサーが汚れのひどいところは何回もきれいになるまでやるみたいだ。
ソファの下もテーブルの脚の周りもあちこち行ったり来たり、動いて動いてチャラン、チャラチャラチャーンと、音がしたのに気が付くと、一人でドック入り、ホームベースに戻っていた。センサーの働きはすごい。
掃除機をかける動作よりも、椅子を動かす行為のほうが、私の腰にはいいようだ。老人の体をいたわってくれるロボット君。 私は、君を監督するだけで、楽をさせてもらいます。
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今年はコロナ、コロナといっているあいだに立冬を迎えてしまった。
親戚のうちに蜂谷柿が沢山なったので、ダンボールにいっぱい送ってくれた。
皮をむいて、軒先につるすと、今年は雨が少なくいい天気が続いたのでうまく出来上がった。
それほど田舎でもなく、郊外のこの土地で、柿をつるした風景は、ほっこりできるというものだ。
犬と散歩する人、時間を決めて散歩するお年寄りなどなど。
見るともなく見ながら、庭の花や軒先の四季変わる様子をささやかに楽しんでいてくれると思う。
もうひとつ、部屋の中ではシイタケ栽培。
これも意外と面白かった。
興味本位で買い求めたきのこの栽培セット、見事に大きなシイタケが出てきた。
ちょうど訪れていた家族と、わいわい、がやがや収穫(切り取って)して、ホットプレートで焼く。ジュウシーでおいしいこと!
芽が出る。成長する。それをいただく。
生命力を感じる、日常生活を豊かにする時間だと思う。
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コロナ禍に思う昭和の話。
コロナはまだ容易におさまりそうにない。我慢と知恵で対処して過ごさねばならぬ。
近所の小学生は毎日マスクをかけて登校している。春から休校になって友達や先生にも会えない家での生活の時期。やっと登校できるようになっても、楽しい給食の時間は私語禁止とか、お互いに距離を保つという日常は、子供の生活には困難極まりないものだと思う。
学力や性格形成に影響はあるだろうか。
ない、とはいえないだろうが、心配はないものだ。
こんな時代があったのだと、言える時が来るものだ。
私が小学校一年に入学したと思ったら、まもなく国民学校と変わった。これで中身がどう変わったのだろう。
若い男の先生はみんな軍隊にとられ、6年間に8人の担任の先生が変わり、年寄りと女の先生ばかり。代用教員という言葉もあった。
終戦が6年生であるから、5年6年はほとんど勉強はしていない。
今のマスク姿の代わりにいつも防空頭巾というのをいれたふくろを肩から掛けていた。
運動場は食糧生産のため畑となり、さつまいもなどを一生懸命作ったのを覚えている。
畑には肥料がいる。校庭の隅にいくつもの木の枠を置き、家庭から持ち寄った生ごみを入れてたい肥にした。
さらに思い出すのは馬糞集め。
其の頃はまだ、馬車が町中を通り、馬が糞を落としていく。それを見ると、喜んで友達と二人で く さ み を持って駆け寄り、ころころの臭いおまんじゅうを拾い得意気に学校に持っていった。 (確か、「くさみ」と言っていた覚えがあるが、竹で編んだ塵取り風のざる)
時代に押し寄せる波は致し方ないものがある。長い人生は、それらを何とか埋め合わせてしまう。
コロナ時代もそんな風に話せる時が来ると思う。
それが少しでも早いことを祈る。
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異様とも見える光景が普通になってしまった。どこも、ここもマスクの集団だ。
マスクも、消毒も日常に根付き、マスクも消毒液も手に入るようになってきた。
今、問題になっていても、便利すぎて、普及しすぎて、何とも減らしにくいのがポリ袋。
食品の包装、保存に最も便利でなかなか減らしようがない。
スーパーのレジ袋が、マイバッグ、エコバッグと変わってきて、今はほとんどレジ袋を求めている人は見かけない。
その当時、風呂敷などで大きい丈夫なしかもかさばらない袋を何枚も縫った。
今度は、コンビニとか薬とか、ちょっとしたもの、しかも、何かのついでに立ち寄りたくなって買うときなど、「しまった、袋がない」というときのために、いつでも持ち歩ける袋がほしい。ということだ。
薄めの、軽い布で何枚か作った。
普通の手提げ型もいいが、たたんで持ち歩きやすく、ハンドバグやポケットにも入る袋を縫った。
布の幅の3倍の長さがある布で作れる。私の祖母はこの袋を縫って、底に、入れるものによって必要な幅のまちをぬった。それが、私のお弁当袋だった。
それを思い出して作った。
例のごとく何枚もたくさんと言えるほど縫った。いろんな布やきれいな風呂敷など、今まで活用されなかったものに光が当たる。
何枚もあるから人は安心してもらってくれる。
友達が来て
「私、これもらっていくよ。」と言って持っていく。
こんな関係が、私はありがたいと思っている。
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コロナ禍。異常気象。
例年と違い暇な寂しいお盆を過ごしている。
そんな折、ラボテューター仲間で、ずっと交流が続いている一人から、どさっと郵便物が届いた。
彼女はテューター引退後、図書館司書の資格を取り図書館の活動に加わっている。
その活動の一つに「音読塾」というのがあって、その資料の色々を送ってくれたのだ。
その活動も、このコロナ禍で思うように活動できず、家庭で一人音読が楽しくできるように、すごろくを考案したり、いろいろ努力した資料を送ってくれた。
とても楽しそうで興味深い。
私も一人で試してみる。
口腔ケアとして始める前にやる体操があるらしい。
パタカラ体操といってたとえば「線路は続くよ…」のメロディーで
パータカラ パタカーラ
パッパッパッパッ パー
パータカラ パタカーラ
タッタッタッタッ ター などと歌う。
掃除しながらでも声を出すと、意外と楽しくなるものだ。
そうして音読の資料の中に「なぞり書きで味わう・美しい日本の詩歌」という本があり、(写経のように)なぞり書きをして自分で自分流につくれる本がある。
ちょうど、暑くて外出もままならぬ今、楽しく、穏やかな気分になり、なぞり書きで言葉を味わい、私はついでに挿絵を描いている。
私もこんな活動をしてみたいなと思いながら・・・・・・
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