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 その《2》
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035
風のかよい路、〔がの〕さんの庭にて。
どうぞお気軽に。互いの率直な感性をそのままに交換いたしましょう。


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がのさんの掲示板 [全2358件] 791件~800件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
Re:Re:Re:Re:★トム・ソーヤとハックルベリー・フィン、アンクル・トムの小屋(09月22日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年09月28日 21時00分)

dorothyさん

【その2】
 奥地の棉の栽培地に買われていったトムには、恐ろしい重労働と迫害
が待っていましたね。老いがきて自由に動かせないボロボロの肉体。し
かし、もとの主人の一人息子が言ってくれたあのことば、「かならず買
い戻すから」ということばをひたすら信じ、キリスト教的信仰をつらぬ
いてあらゆる悲惨に耐えます。いや、ついに耐え切れず、死の床につく
わけですが…。
 文学的な評価は別にしても、からだが熱くなるような感動なしには読
めない一冊でしたね。dorothyさんが「ハックルベリー・フィン」に加
え、ここまで読んでおられますと、「トム・ソーヤ」のテーマ活動の取
り組みは、ことば=英語にばかり走る、表面ばかりのうすっぺらなものと
は違う、テーマのしっかりしたものになることでしょう。そんなテーマ
活動をいつかぜひ見てみたいと思いますね。
Re:Re:Re:Re:★トム・ソーヤとハックルベリー・フィン、アンクル・トムの小屋(09月22日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年09月28日 20時59分)

dorothyさん

【その1】
>「アンクル・トムの小屋」は中学校のときに読みました。そのあまり
の仕打ちと反対に、あまりにも清らかなトムに純粋に感動したものでし
た。白人っぽく見える女奴隷が生まれたばかりの子供を抱いて白人のふ
りをして逃げるシーンは今でもありありと覚えています。
奴隷船。大きな船底に身動きできないほどびっしり黒人さんを詰め込ん
でアメリカ本土まで移送していた、という事実。丸太並みの扱い。一度
病気が蔓延したらそのほとんどが病死しても何の手当もされない。また
嵐で舟が沈みそうになっても、鎖でつながれた黒人さんたちは逃げ場も
ない。
     ----------------------------
 わたしが「アンクル・トムの小屋」を読んだのも、中学生のころだっ
たか、高校生のころだったか…。忘れてしまったことばかりですが、え
え、おかげさまでだんだん思いだしましたよ。ケンタッキーの農園。そ
この寛大な農園主。しかし農園経営は行き詰まり、使っていた奴隷たち
を売らねばならない事態に。
 召使いの女奴隷エルザの、生まれたばかりの赤ん坊まで売り渡さねば
ならない。そのことをエルザが偶然に立ち聞きし、生まれて間もない赤
ん坊を胸に抱きしめて夜陰にまぎれて逃亡、氷のかたまりが浮いて流れ
るオハイオ川をまろぶようにして渡って奴隷商人の追っ手から逃がれ、
カナダを目ざす場面…。
敬虔なこころの持ち主の中年奴隷アンクル・トムも妻子と引き裂かれて
売られていく。妻子との別れを悲しんでいるとき、主人の一人息子が、
「必ずトム爺を買い戻しに行くからね」という。それをこころに深く刻
んでどんなことにも耐えるニグロ奴隷に、これでもか、これでもかとつ
ぎつぎに降りかかる苦難…。
 そんなすがたに、涙をポロポロこぼしながら読んだ記憶が。
【つづく】
Re:Re:Re:★賢治祭、そしてトム・ソーヤとハックルベリー・フィン(09月22日) [ 関連の日記 ]
dorothyさん (2006年09月28日 04時20分)

がのさん

「アンクル・トムの小屋」は中学校のときに読みました。
丁度、奴隷船について学び調べていたところで、その
あまりの仕打ちと反対に、あまりにも清らかなトムに
純粋に感動したものでした。白人っぽく見える女奴隷が
生まれたばかりの子供を抱いて白人のふりをして逃げる
シーンは今でもありありと覚えています。

奴隷船。大きな船底に身動きできないほどびっしり
黒人さんを詰め込んでアメリカ本土まで移送していた、
という事実。丸太並みの扱い。一度病気が蔓延したら
そのほとんどが病死しても何の手当もされない。また
嵐で舟が沈みそうになっても、鎖でつながれた黒人さん
たちは逃げ場もない。

ヨーロッパではアメリカほど黒人さんに対して
ひどい差別はない、と聞いたことがありました。
「奴隷制度」という制度自体がなかった、という
歴史的事実に鑑みての意見だったのかも知れません。

オランダに住む友人にこのことを尋ねたところ、
奴隷制度自体はないものの、明らかに、さまざまな
点で差別はある、という話でした。むしろ、貴族・
庶民という階級格差が厳然と残る北ヨーロッパでは
むしろ、ハナから階級に属さない人たちはその格差
に抗う術すらない、ということでした。確かに奴隷
制度はなかったので、肌の色だけで奴隷階級に属させ
られたこともなかったようだ、とは言っていましたが。
Re:Re:★賢治祭、そしてトム・ソーヤとハックルベリー・フィン(09月22日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年09月25日 19時07分)

dorothyさん

【その2】
>賢治記念館に足を運んだことがあります。りんごが生後半年の頃、あ
の「下の畑に居ります」の黒板の前で、私に抱っこされて写真を撮った
こともあります。今では、150cmのりんごです。
----------------------------
⇒ そうですか、もうすぐおかあさんを追い越してしまいそうですね。
赤ちゃんのりんごちゃん、かわいいだろうな~、写真で見てみたいな
~。おかあさんにだっこされながら賢治の透き通った魂をこころに注い
でもらったから、落ち着いた、こころの澄んだ、考え深い女の子になっ
たんだね、きっと。
 賢治が亡くなったのが、たしか1933年。もう73年の星霜を経たことに
なるんですねぇ。人間はそのとき以来、本質的なもの(虚飾に満ちたどう
でもいいものはともかく)をどれほど獲得したのでしょうか。
Re:Re:★賢治祭、そしてトム・ソーヤとハックルベリー・フィン(09月22日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年09月25日 19時01分)

dorothyさん

【その1】
>この夏、偶然にも「ハックルベリー・フィンの冒険」を買い、読みふ
けっていました。トム・ソーヤの育った環境とは違い、本当にまともな
教育を受けていないハックが、逃亡奴隷とともに行動する。逃亡奴隷を
助けるということは、当時では大罪。
----------------------------
⇒ 逃亡奴隷のジムをその所有者に渡さないと決意した瞬間から、さま
ざまな問題が起こってきましたね。旧家のいさかいに巻き込まれたり、
ふたりの詐欺師にまんまと利用され、ジムを売りとばされたり…。その
あとのさまざまな救出作戦がおもしろいわけですが。
アメリカの児童文学に黒人奴隷の問題が登場するのは、これが初めてで
はありません。「ハックルベリー・フィンの冒険」が世に出たのが1884
年、それより先、1852年にはストウ夫人の“Uncle Tom’s Cabin”が出
ていますね。これはかならずしも子どもの文学とは呼べないという面も
ありますが、ご存知のように、黒人奴隷トムの感動的なすがた――、ど
んな迫害にも屈せず、愛と信仰と忍耐を見失うことのない、寛容な忍従
のすがたを感動的に描いた作品。奴隷制度の廃止を主張し、その解放の
ための南北戦争の気運をもたらしたとされる作品で、リンカーン大統領
の奴隷解放宣言以上に影響力は大きかったといわれます。
にもかかわらず、なぜマーク・トウェインがまた改めて同じ問題を書い
たのか。ストウ夫人(ハリエット・ストウ、1811~96)は、神学者の娘と
して生まれ、聖書の文学を教える牧師と結婚した人。いわゆる“ハイ
ソ”な人で、その主張も、どこか、市民のもの、働く人たちのものでは
なかったということではないでしょうか。トムの不自然なほどに寛容な
すがたは、白人にとって都合のよい黒人像を示すものだったのかもしれ
ません。アメリカがその誕生以来抱えている重たい社会問題、根深い社
会悪を感傷に流しているとの批判は、ある意味では当たっているかも知
れません。遠い東海の小島に生きるわれわれには考えおよばない深い問
題、いまもって解決しない問題がそこにはあるようです。
【つづく】
Re:★賢治祭、そしてトム・ソーヤとハックルベリー・フィン(09月22日) [ 関連の日記 ]
dorothyさん (2006年09月22日 14時42分)

この夏、偶然にも「ハックルベリー・フィンの冒険」を
買い、読みふけっていました。トム・ソーヤの育った
環境とは違い、本当にまともな教育を受けていない
ハックが、逃亡奴隷とともに行動する。

逃亡奴隷を助けるということは、当時では大罪。
これをどう収拾していくのか、偶然やってきた
トムが奴隷逃亡を助ける、という行為に、ハック
自身が戸惑い始める。

そう、あまりきれいな言葉遣いを使われず、出てくる
大人たちに幾人かは、決してほめられないような
ことを行っている。そこに、確かに当時の息吹を
感じていました。

賢治記念館に足を運んだことがあります。
りんごが生後半年の頃、あの
「下の畑に居ります」の黒板の
前で、私に抱っこされて写真を撮ったことも
あります。今では、150cmのりんごです。
Re:お葉書、ありがとう/賢治祭
がのさん (2006年09月21日 21時17分)

dorothyさん

お礼を言っていただくほどのことではありません。お恥ずかしい次第。
どうぞお気づかいなく。このラボのネットでは馴染みにくい萬葉集や古
事記の方面についつい勝手にのめりこんで、いい気にさせてもらい、そ
のお相手になっていただいてうれしかったものですから、つい…。
      ☆
ぜんぜん別な話。きょう9月21日がどういう日がご存知でしたか。

わたし自身は、地域の文化講座で、マーク・トウェインについて2時間
口演してきました。その処女作となった「キャラヴラス郡の跳び蛙」か
ら、「トム・ソーヤ」「ハックルベリー・フィン」、そして次つぎに悪
夢のような不幸にみまわれた後半期、ペシミズムの色が濃くなって、や
たら人間の醜悪さ、卑劣さを書くようになりますが、その「ハドリバー
グを堕落させた男」「不思議な少年」といった作品へとたどりながら、
その文学的軌跡と、米文学史における意味、といったところをしゃべり
ました。
なかで、時間さえもっとあればわたしがほんとうにしゃべりたかったの
は、「トム・ソーヤ」と「ハックルベリー・フィン」の比較。「トム・
ソーヤ」のほうは、ラボのものも含めて、子どもらしい自然さ、無邪気
ないたずら、悪知恵、冒険、といったところで日本の読者に受けていま
すが、この作家が本来書こうとしたのはそこにはなく、そこでは特有の
諧謔の精神は薄められています。その点、「ハックルベリー・フィ
ン」はアメリカの大自然をバックにした一大叙事詩のようであり、黒人
の逃亡奴隷ジムとのヒューマンなふれあいなど、こここそ「アメリカ文
学誕生の記念碑」といわれる由縁であり、マーク・トウェインの本領で
あり、読み解くポイントだと思ったものですから。

いやいや、そんな話をしながら、じつは、きょうが宮澤賢治の命日であ
り、花巻では賢治祭がおこなわれているはずだ、マーク・トウェインよ
り宮澤賢治のことをしゃべればよかったな、と内心ずっと思っていまし
て…。ずいぶん久しく行っていない賢治祭。詩碑ひろばをわたる松風、
稲穂が黄金の波をなす花巻きの風光が頭のなかにあふれていました。
お葉書、ありがとうございました。
dorothyさん (2006年09月21日 05時50分)

こちらでお礼を書こうと思っておりましたが、
うれしくて、日記に書かせていただきました。

全国のがのファンに叱られるかも・・・。
また、トップの写真がかわっていて
驚いてしまいました。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★チピヤクカムイの世界/萬葉の恋 [ 関連の日記 ]
dorothyさん (2006年09月19日 09時20分)

がのさん

マッキントッシュ、お悔やみ申しあげます。
バックアップは、壊れてはじめてその必要性を
実感するのです。確かに。

>まだ忘れずにわたしのなかに残っている、笠女郎の熱烈な恋の思いを
つづる歌のいくつかを。声に出して読んでみると、ほんと、日本語っ
て、美しいなあ、と思うし、恋をした経験のある人なら、しみじみとし
て、なんかやるせない思いにつつまれます、…でしょうかね。どうです
か、dorothyさんは、経験からして…。

 夕さればもの思ひまさる見し人の言問ふすがた面影にして

 わが形見 見つつ偲ばせ あらたまの 年の緒長く われも思はむ 

 わが思ひを 人に知るれや 玉櫛笥(たまくしげ) 
             開き明けつと 夢にし見ゆる

 相思はぬ 人を思うふは 大寺の 餓鬼の後(しりへ)に 
                      額づくごとし


一度は相思相愛となった(と思った)貴公子に自分が
捨てられていく。「餓鬼の後に 額づくごとし」とは
俊寛の足摺のさまを思い起こさせます。

万葉集ではないけれど、恋の歌ですきなのは古今集
読み人知らず

  さつきまつ 花橘の 香をかげば
    昔の人の 袖の香ぞする

遠い昔の結局は添い遂げられなかった愛しい人の想い出を
香りとともに思い出すのが好きです。

笠郎女のなりふりかまわぬ姿は、シャンソン「ラ ヴィ サンバ」
の最後「行かないで」と叫ぶ姿と重なります。
越路吹雪さんが歌い嘆きそして叫ぶ姿が郎女の相聞歌の
心の動きと重なっていきます。

ありゃりゃ・・・。万葉集からマッキントッシュ、
古今集にシャンソン。幅広ですね。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★チピヤクカムイの世界/萬葉の恋 [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年09月18日 21時39分)

dorothyさん 【その3】

 つまらないことを書きました。まだ忘れずにわたしのなかに残ってい
る、笠女郎の熱烈な恋の思いをつづる歌のいくつかを。声に出して読ん
でみると、ほんと、日本語って、美しいなあ、と思うし、恋をした経験
のある人なら、しみじみとして、なんかやるせない思いにつつまれま
す、…でしょうかね。どうですか、dorothyさんは、経験からして…。

 夕さればもの思ひまさる見し人の言問ふすがた面影にして

 彼女の歌は萬葉集に二十九首とられています。そのすべてが大伴家持
に贈った恋の歌。特に巻四の二十四首を見ると、まさに恋愛歌集のさま
になっていますね。

 わが形見 見つつ偲ばせ あらたまの 年の緒長く われも思はむ 

 形見とは何だと思いますか? これは恋の一夜のあと、たがいの下着
を取り交わし、次に会うまでそれを肌身につけておくという当時の習慣
があって、その下着というわけ。ちょっと、ねぇ。

 わが思ひを 人に知るれや 玉櫛笥(たまくしげ) 
             開き明けつと 夢にし見ゆる

 もう、どんどん書いて送りますが、それに対する家持の返歌は二首の
み。彼女のはげしさに色男のほうはちょっともてあましぎみ。その歌が
次第に変化していきます。最後には、あきらめと自嘲に満ちたこんな
歌。甲斐のない恋に身を焼き尽くし、もうやけくそ、という感じですか
ね。

 相思はぬ 人を思うふは 大寺の 餓鬼の後(しりへ)に 
                      額づくごとし

 哀しく燃えるこころを伝える実感のこもったいい歌ばかりですが、所
詮、笠女郎は人妻でもあったらしいし、美貌の貴公子、大伴家持のほう
は、星の数ほどの女性との恋の遍歴を経て、結局は初恋の女性、大伴坂
上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)との恋に戻っていく。歌の背後にせ
つないドラマが見えてきます。長くなりました。
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