Re:Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日) [ 関連の日記 ]
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dorothyさん (2006年10月10日 05時20分)
がのさん
>dorothyさんは、おませにも、小中学校の国語教育のなかで、その狂言
にふれておいでとのこと。学校の程度の差でしょうか、世代の違いでし
ょうか、哀しいかな、わたしには、その時代、そんな機会はなかったで
す。
おそらく、私の学年を担当された先生の中に、古典芸能に
通暁な方がいらっしゃったのだと思います。先日、姉と
その話をしたところ、二人の姉は、どちらも、そういった
経験がない、と申しておりました。
>いやいや、いっしょにこの狂言を観たご夫人によると、小学校5年生
の娘の国語の教科書に「柿山伏」が載っているとか。狂言としては初歩
的な作品とは思っても、ちょっと驚きましたね。ひょっとしたら、りん
ごちゃんの持っておられる教科書にも、載っているかもしれませんよ。
残念ながら、りんごの教科書(小5)では扱われていないようです。
日本の古典芸能の面白さは、その独特の決まりを理解するところから
始まるように思います。能のお面にしても、歌舞伎の隈取にしても
それぞれに約束事があるから、体の動きを最低限にして表現しても
十分伝わってくるのだろう、と。
>小学校の国語教育のなかでこの伝統の古典芸能をどう紹介していくの
か、わかりませんが、子どもの醇乎としたこころ、みずみずしい感性
が、狂言のおおどかな笑いの世界に触れる意義は、たいへん大きいのか
もしれませんね。
そう思います。がのさんがおっしゃるように、発語のみならず
そのリズムやテンポでもって、遠くまで声が通る、というのも
伝統芸能にふれてはじめて感じるものだと思います。
以前、なにかの番組で、オペラ歌手の口の前にろうそくの火を
置いて歌ってもらったところ、全然消えないどころか、ほとんど
炎が揺れなかった、というのをやっていました。ついで、日本の
民謡歌手にも、同じようにやってもらったところ、こちらも
同じように炎が揺れていませんでした。西洋オペラと日本の
民謡、発声法は全く違うにも関わらず、遠くまで声を響かせる
ための技法は同じなのだな、と感心したのを今、思い出しました。
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Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2006年10月10日 00時12分)
Hiromi~さん
【その2】
生き生きとした人間がここにはいます、生き生きとした原寸大のわ
たしたちの生活があります。もうすぐするとこの「ひろば@」のサイトで
も見られますが、ハロウィンといえば右から左までうすっぺらな借り物
でつくるハロウィン、クリスマスといえばネコもシャクシもどっかから
持ってきたまがいものでつくるクリスマス。何の工夫もない、新しがり
やの自己満足。自分のすぐ身辺にある季節行事には目もくれないで、そ
っちばかりへつっ走るお調子ものの消費者たち。あふれかえるモノに踊
らされてホンモノが見えなくなっている人たち。せめて子どもたちとと
もに自分たちの手でつくることを楽しめばいいのに、みんなまがいもの
で間に合わせ、よかった、よかったというメデタサ。
candyさんの、十五夜に因んでおこなわれた「萬葉の明日香路に月を
見る会」をめぐる日記に少しわたしの考えを書き込ませてもらいました
が、地方地方がもつ自分たちの固有の季節行事をもっと大事にしないと
いけないように思うのですが。借り物でない、自分たちのほんとうの美
しいことばが生まれるところがそこにあるからですね。「阿波おどり」
にラボがグループとして参加する活動が見られたようですし、長崎の
「おくんち祭り」にも、どういう形でか、参加したんでしょうかね。そ
んな活動もぼちぼち起こってはいるようではありますが。
で、わたしは、この14、15日、上福岡の知り合いの招きで、1泊し
て「川越まつり」に行ってみたいと計画しています。いつでしたか、川
越の喜多院のことをお書きになっておいででしたよね。小江戸と呼ばれ
る川越の楽しみ方で、何か特別にご推薦いただけるようなことはありま
せんでしょうか。おいしい食べどころとか、見どころとか、土産品と
か。たいへんな人出になりそうで、それが困りものですけれど。
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Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2006年10月10日 00時11分)
Hiromi~さん
【その1】
> 狂言「柿山伏」今回の発表の候補でしたが、すでに1年以上前から
取り組んでエントリーするパーティがあることがわかり取りやめまし
た。発刊当時、「柿山伏」に取り組んで笑いということを勉強しまし
た。実際に狂言を見に行ったりしたものです。
今回の支部発表も、新刊からのエントリーはなしでした。
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狂言の笑い…、これは、いまテレビやラジオに氾濫している、程度
の低い笑いとはまったく別で、すばらしい日本固有の文化ですね。きわ
めて高度な言語遊戯です。こんな伝統をもっている国って、ほかにある
でしょうか。「柿山伏」については、ラボのものは別にしても、他の機
会に何度か見ており、そのおもしろさのポイントはよくわかっていまし
たが、ほかのものも、語り出したらきりがなくおかしく、腹部の筋肉が
痙攣するほど。涙をこぼしこぼし、笑ってしまいます。ひとが本然にも
つ怒りや惑い、疑い、欲望、妬み、恨み、弱み…といった感情が笑いの
なかでみごとに表現されていきます。おかしみのなかで人生のどうにも
ならない哀感がにじみ出てきます。去年、わたしはどこかで書きました
でしょうねぇ、「寝音曲」や「六地蔵」のこと。あるいはほかのホーム
ページのほうだったでしょうか。
今回のなか、もうひとつ付言するなら、「水掛聟」。深刻な灌漑の
問題、農民の水争いが描かれていきますが、争っているのは、なんとま
あ、舅と娘聟。争いはどんどんエスカレートしていって、しまいには鍬
と鋤でめちゃくちゃな泥の掛けっこ、泥田での取っ組み合いにまでなり
ますが、ようやく仲裁に入るのが娘(嫁)。しかし、娘がどっちの肩をも
つかといえば、父親ではなく夫のほう。そのへんの微妙な人間関係の
味。コケにされた形の舅が投げかける負け惜しみのことばは、「来年か
ら村の祭りには呼んでやらないからなあ」という、ほろ苦いユーモア。
めずらしいですね、これほど農民の土のにおいを感じさせてくれる狂言
の曲は。
【つづく】
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Re:Re:★ゲーテの「ライネケ狐」(ドイツの古い動物寓話)を、小野かおるさん、斬新な技法で(09月30日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2006年10月09日 19時16分)
Hiromi~さん
【その2】
朝からゆっくり、じっくり、彫刻の部のほうまで「新制作展」を観
て、そのあと、さきにメールでお知らせしたように、国際子ども図書館
で北欧の絵本・児童文学の世界にどっぷりと浸り、たのしみました。こ
の夏、ノルウェーに行って来た友人に見せてもらった、おびただしい数
の北欧の風光がアタマにありましたので、北欧特異のものがたりを一段
とリアリティをもって見ることができたかも知れません。エッダ、カイ
ワラからはじまってビヨルンソン、イプセン、トペリウス、ニルスのラ
ーゲルレーヴ、ハムズン、ベスコフ、北欧のグリムと言われるアスビョ
ルンセンとムー、ムーミンのトーベ・ヤンソン、もちろんアンデルセ
ン、トロルのおはなしもいっぱい……、ほんとうにゆたかなものがたり
の世界があそこにはありますね。来年の1月末までこの企画展をやって
いますので、ラボの皆さんにはぜひ見ておいていただきたいと願ってい
ます。
この日は、もうひとつ、東京芸術大学大学美術館の展覧会も観るつ
もりでしたが、もう、こころも足のほうもいっぱい、いっぱいで、あと
は根津・谷中までのんびりと歩いて出て、そこで3年前に軽食のお店を
はじめた大学時代の友人(宮澤賢治の作品を制作するときにラボがお世話
になった詩人A.T氏の妹さん)のところに立ち寄っておしゃべりをして帰
ってきました。
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Re:Re:★ゲーテの「ライネケ狐」(ドイツの古い動物寓話)を、小野かおるさん、斬新な技法で(09月30日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2006年10月09日 19時14分)
Hiromi~さん
【その1】
> 小野先生の展覧会に行けずに残念でした。母が危篤状態になり大騒
ぎをしました。97歳の誕生日を迎えた直後でした。小野先生の今年の作
品はすばらしいですね。昨年も面白い作品をおつくりになると思いまし
たが、今年のは、また違った感じで、実物を見たかったです。
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皆さんそれぞれにたいへんな事情をかかえておいでで、たいへんで
すね。わたしも、母の法事のためにeieiさんとの日程が合いませんで、
ごいっしょできませんでしたし、先生ご自身の周辺にもご不幸があった
とかで、当日、会場で先生にお目にかかることができませんでした。観
に行った日の晩に、電話でいろいろ長話をさせてもらいましたが。
ええ、たいへんな力作だと思います。銅板画かな、と思いました
が、そうじゃなく、何と呼ぶ技法なのか、聞いたはずなのに、こちらの
不勉強のために記憶にとどまっていないというお粗末ですが、シンプル
ですっごく魅力ある表現。天衣無縫のようでいて、じつは微妙な計算が
ある、といった作品。「トシなので、もう細かいものは描けません」な
んて、あのひとらしいことをおっしゃって、ケラケラお笑いになり、
「それにしては、重くてかなわないのよね、今度の作品は。ぎっくりご
しにテキメンなのよ」とのことでした。上野のあの会場がお好きなのだ
そうですが、来年からは六本木にできる新しい都美術館に移して「新制
作展」はおこなわれるそうで、「なんだか、わたしはそれがイヤなの。
トシよりのわがままといわれるのですが」とか。そういえば、昨年とま
ったく同じコーナーに先生の作品は展示されてありましたよ。どこに展
示するかにもこだわりをお持ちのご様子。まあ、このあと、つづきの作
品に継続して取り組まれることでしょう。これを本になさるおつもりは
ないようでしたけれど。相変わらずハツラツとした声で、お元気そうで
したよ。
絵本作家を目ざして有望なeieiさんが、小野先生の作品、あるい
は、まさに目がまわるような、創意100パーセントで奔放に表現されるあ
れらのユニークな作品群をどう自分のなかに捉えたか、そこが肝心です
ね。これまでどおり、どうぞ応援してあげてください。
【つづく】
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Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日) [ 関連の日記 ]
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Hiromi~さん (2006年10月09日 11時49分)
上の写真いいですね。ヨーロッパでも北欧は又感じが違い訪ねてみた
い国です。ほんとにトロルがでそうです。
狂言「柿山伏」今回の発表の候補でしたが、すでに1年以上前から取
り組んでエントリーするPがあることがわかり取りやめました。発刊当
時、「柿山伏」に取り組んで笑いということをべんきょうしました。実
際に狂言を見に行ったりしたものです。
英語がとても簡単に思えて小学生でも英語で理解したものです。
「三本柱」も高大生かつどうで取り上げたり、テューター劇で取り上げ
たりしました。やはりあのライブラリーはすごかったです。
それに引き換え、昨年の笑は何でしょう??「寿限無」のじゅの字も
聞こえてきません。
今回の支部発表も新刊からエントリーなしでした。
「幸福な王子」に取り組んでやはり、昔のライブラリーはすごいと改
めて思いました。SK3のシリーズはだるまちゃん、たろうの次の作品で
すよね。なぜか最近の発表は同じようなものが多く、比較的新しいテー
マが好まれるようです。私には良くわかりません。
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Re:★ゲーテの「ライネケ狐」(ドイツの古い動物寓話)を、小野かおるさん、斬新な技法で(09月30日) [ 関連の日記 ]
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Hiromi~さん (2006年10月09日 11時36分)
小野先生の展覧会いけずに残念でした。母が危篤状態になり大騒ぎを
しましたが、すごい生命力で、今は少し元気になりひとまずホットして
います。97歳の誕生日を迎えた直後でした。
小野先生の今年の作品はすばらしいですね。昨年も面白い作品をおつ
くりになると思いましたが、今年のはまた違った感じで、実物を見たか
ったです。
ゲーテの古い寓話知りませんでした。探してみます。
えいちゃんは小野先生にはお目にかかれなかったようです。おりを見
て作品をお持ちするとか言ってました。
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Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2006年10月08日 15時08分)
dorothyさん
> 狂言…。小・中学生のとき、国語の教材に何点かの狂言がとりあげ
られました。幼いながらも楽しめたことを鮮明に思い出しました。
発声・発語法が全く違う欧米と日本の言語体系。西洋音楽(オペラな
ど)と日本古典芸能を鑑賞すると、また、楽しみもひとしおです。
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能・狂言の発声・発語の秘密も、魅力ですね。あんなよく通る声は、
わたしなんぞ、どうがんばっても出やしません。
思うに、それはただに発声・発語技術の訓練による、というだけでな
く、能・狂言のことばがもともと持っているリズムに秘密があるように
思います。そのリズムをしっかりとらえられるかどうかがカギ。どうで
しょうか。それは、わたしたちの民族の生理にとって自然なことばで語
られている、ということ。かならずしも「きれいな」ことば、「上品
な」ことば、「典雅な」ことばというわけではありませんが、ひびきの
美しい自然なことば。
dorothyさんは、おませにも、小中学校の国語教育のなかで、その狂言
にふれておいでとのこと。学校の程度の差でしょうか、世代の違いでし
ょうか、哀しいかな、わたしには、その時代、そんな機会はなかったで
す。
いやいや、いっしょにこの狂言を観たご夫人によると、小学校5年生
の娘の国語の教科書に「柿山伏」が載っているとか。狂言としては初歩
的な作品とは思っても、ちょっと驚きましたね。ひょっとしたら、りん
ごちゃんの持っておられる教科書にも、載っているかもしれませんよ。
小学校の国語教育のなかでこの伝統の古典芸能をどう紹介していくの
か、わかりませんが、子どもの醇乎としたこころ、みずみずしい感性
が、狂言のおおどかな笑いの世界に触れる意義は、たいへん大きいのか
もしれませんね。
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Re:Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2006年10月08日 15時00分)
candyさん
「萬葉の明日香路に月を見る」会、名月の下での八雲琴の演奏――。
写真とともに雰囲気を味あわせていただきました。ほんとに、も~…。
恵まれてところにお住いですね。
「雷の丘」という昔ばなしについては、存知ませんが、わたしの書棚
には、奈良新聞社から出ている「子供のための 大和の伝説」という一
冊があります。仲川明さんという人が書いておられます。たくさんのお
もしろい伝説・昔ばなしが眠っている土地がらのようですね、そちら
は。よく探したら、「雷の丘」もこの本のなかにあるかもしれません。
1978年6月に読んだ、と印があり、おもしろかった、というほかには
もう完璧に忘れていますが、ひとつだけ忘れられないでいるものがあり
ます。それは、奈良市の「百萬辻子」(ひゃくまんずし)という、ごく短
い話。話が逸れるのですが、わたしが特に好きなお能の曲に「百萬」が
あります。「隅田川」という曲とともに、あまりにも哀しい“狂女も
の”なのですでして、喪ったわが子を恋い求めてさまよう女のせつない
業を描くもの。
国立能楽堂で見た、目がさめるばかりの美しい舞台と、狂いの法悦の
なかで泣き倒れる舞いは、いまも目の奥に焼きついています。さらに
は、日本画の巨匠・故森田曠平さんの傑作絵とともに、それは忘れがた
い物語。
たぶん、その「百萬」の典拠を探ろうということでどこかで手にいれ
たのがこの本だったかもしれません。いまでもあるのでしょうか、奈良
の開化天皇の御陵の西に「百萬辻子」といわれた町。春日の巫女だった
百萬は、ここに住んでいたとされます。艶やかな美しい女性です。
巫女でありながらひとりの男の子をなしますが、西大寺の法要の際に
この子を連れて参詣したとき、おびただしい群集の中で子どもを見失っ
てしまいます。以来、悲しみのあまりこころを病み、子どもをもとめて
あちこちを彷徨、ついには京都・嵯峨野の清涼寺の大念仏会で親子の再
会をとげるという哀切きわまるストーリィ。
奈良については、以前にも書きましたが、車酔いのみじめな最悪の修
学旅行のためぜんぜん知らないのですが、今辻子町(いまずしまち)の東
の、西照寺というところに百萬の塚とされる石塔があると聞いていま
す。ご存知でしたか。
★転記スミ 能「百萬」について ⇒古典芸能(2)
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Re:★狂言「柿山伏」に、“笑い”の真髄と日本人に特異な感性を尋ねる(10月06日) [ 関連の日記 ]
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dorothyさん (2006年10月07日 03時36分)
狂言も非常に興味のあるジャンルです。小・中学生のとき、
国語の教材に何点かの狂言がとりあげられました。また、
演劇鑑賞なるものが催され、音楽ホールのようなところに
行って何度か見たこともあります。どういった方々による
狂言だったのかは記憶にはありませんが、教材による予習
が行き届いていたためか、幼いながらも楽しめたことを
鮮明に思い出しました。
発声・発語法が全く違う欧米と日本の言語体系。
また、欧米の言語体系が主として8分の6拍子で
あるのに対して、日本語は4分の4または2分の2。
これは、狩猟民族対農耕民族の違いである、と
言われています。そういったもろもろを踏まえて、
西洋音楽(オペラなど)と日本古典芸能を鑑賞すると
また、楽しみもひとしおです。
【追記】
がのさんの川柳、拝読しておりました。また、
特に今回は、
◎ 誤解でも 言い訳するのは 虚しいし
これにとくに心ひかれました。
最近、とみに気になる誤用に「申し出る」があります。
で、川柳(になってないけれど)
「申し出る」 「申し付ける」の 誤りよ。
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