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035
風のかよい路、〔がの〕さんの庭にて。
どうぞお気軽に。互いの率直な感性をそのままに交換いたしましょう。


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がのさんの掲示板 [全2358件] 691件~700件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年12月17日 11時46分)

ばーばーじゅこんさん

【その1】
> がのさんのページを拝見していますと、高校生時代に逆戻りしそう
です。訳もわからず、サルトルの全集とボーヴォワールの「第二の
性」、ロマン・ロランなど、読み漁っていました。そして今から30年く
らいまえになるかもしれませんが、パリの二人のたむろしていたとかい
うカフェの近くに、妹(当時パリ在住)につれていってもらい、うろ覚
えですが「カフェ・ド・マーゴ」だったかな? そこでカフェを飲んで
きました。
     ----------------------------
 そういう時代だったということでしょうかねぇ。青春の気取り、い
や、若い日の気負い。サルトル、ボーヴォワール、カミュ、カフカ、マ
ルロー、あるいはサルトルの周辺にいたポール・ニザン、レヴィストロ
ース、メルロ・ポンティといったすごい知性、またキルケゴール、ハイ
デッガー、ヤスパースといった思想にも出会い、そうそう、十分には理
解できないまま、仲間と競争するようにしてあのへんの本を読み、闘犬
のように議論をしました。しかも、学生運動のまん中で怒りの血を流し
ながら。死に物狂いで「希望」をさぐっていた時代でしたね。
 若いときのこころを養ってくれた思い出の尽きない大事な本ですが、
そうした人たちの全集本を、床が抜ける前に処理しようと思いたち、ゴ
ミにして捨てるにはこころが痛く、だれか読んでくれないものかと古書
店にもっていけば、ただでいいから、といっても引き取ってくれない。
地球の資源をこわしてつくった、しょうもない本はズラ~ッと書棚にな
らんでいても、ついぞ書店でこの種の本を見ることはめったにありませ
んね。サッと一度読めばすぐわかる、そんな本でないと商売にならない
ようで、これがケータイ文化、コンビニ文化というものなんでしょうか
ね。
 それでも、この年齢になって、機会を得て読み直してみますと、う
ん、これがいまにしてよくわかる。すぐ目に疲れが来てしまい、長くは
活字に向かい合えなくなったこの年齢にして。わたしの人生なんぞは悔
いばかりでロクなものではありませんが、よくわかるというのは、曲が
りなりにもどうにかここまで生きてきた経験の質によるのかな、と思う
ことがあります。【つづく】
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ] ・
ばーばーじゅこんさん (2006年12月17日 00時41分)

 がのさんのページを拝見していますと、高校生時代に逆戻りしそうで
す。訳もわからず、サルトルの全集とボーボワールの「第2の性」、ロ
マン・ロランなど、読み漁っていました。そして今から30年くらいま
えになるかもしれませんが、パリの二人のたむろしていたとかいうカフ
ェの近くに、妹(当時パリ在住)につれていってもらい、うろ覚えです
が「カフェ・ド・マーゴ」だったかな?、そこでカフェを飲んできまし
た。
 そして、おっしゃるとおり、人間はドキドキが無ければ、駄目ですよ
ね。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年12月15日 11時23分)

ばーばーじゅこんさん

【その3】
 50歳をすぎてからは、女権論とはタモトを分かち、女の完成は母性の
なかにある、と主張するようになります。女の自由は恋愛のなかにあ
る、恋愛こそは何ものにも囚われない男女の人格の交錯する瞬間をつく
りだす、というんですね(改めて読んだボーヴォワールの『第二の性』で
も、こうした思想に出会いました)。エレン・ケイ自身は生涯、結婚もせ
ず、子どももつくっていないのですが。

 ですから、わたしは日ごろときどき、老人の福祉施設に出入りしヴォ
ランティアをしていますが、あの人たちにいうのは、いくつになって
も、人は恋をしないといけないんですよ、と云ってるんです。余計なお
せっかいですかね、これは。ばーばーじゅこんさんも、がんばって、ど
うぞ。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年12月15日 11時20分)

ばーばーじゅこんさん

【その2】
 欲をかかぬ、貧しい暮らしのなか、格差と不公平への怒りを殺してふ
と口に出るうたは、

  はたられど はたらけど  (…あ、これはすでに挙げましたね)
  呼吸(いき)すれば胸の中にて鳴る音あり木枯しよりも寂しきその音
  あたらしき洋書の紙の香をかぎて 一途に金を欲しと思ひしが
  何故こうかと なさけなくなり 弱い心を何度も叱り金かりに行く
  家を出て 五町ばかりは用のある人のごとくに歩いてみたれど
  手も足も離ればなれにあるごとく ものうき寝覚め 哀しき寝覚め

 もう、やめましょうか、啄木は。わたしもなんだか惨めになってきま
した。でも、啄木や樋口一葉、極貧のなかで早逝していった稀有な才能
には、わが身の不才を恥じ、まいってしまいます。


> 伊藤整さん訳のD.H.ロレンス「チャタレー夫人の恋人」が問題
になって、母が洋服ダンスの一番上に隠してあったのをこっそり読みま
した。
     ----------------------------
 ハッハッハ…。こっそり、どきどきしながら「チャタレー夫人…」を
読みましたか! 高校生のころには、あのやんごとなき美しい貴婦人
が、どうして薄汚い山番の下僕と狂うようにセックスを繰り返すのか、
どうしてもわからなかったのですが、つい最近、婦人解放の先駆者であ
るエレン・ケイ、平塚らいてうの思想のバックボーンをなしたスウェー
デンの婦人思想家の『恋愛と結婚』という本を読んで、よくわかりまし
た。みなさんは『児童の世紀』の著者としてご存知でしょ。児童教育の
バイブルの一つですよね。この人自身、母はたいへん高名な貴族の血を
引く人だったんですね。父は代議士で閣僚の一人でもあったとか(ルソー
の『エミール』を愛読する理想主義者でもあったそうで、『児童の世
紀』にはその思想がつよく流れているように思います)。
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年12月15日 11時10分)

ばーばーじゅこんさん

【その1】
> それにしても、がのさんは啄木の歌をよく覚えていらっしゃいます
ね。びっくりしました。小樽の街のあちこちに碑がありますが、私はす
きにはなれませんでした。
     ----------------------------
 なんで~、なんで~! 啄木の歌、好きが嫌いか、ということで云え
ば、自分でもよくわからないですが、どうしようもなく胸に飛び込んで
きて逃げていかないじゃないですか。やはりすごいことば、すごい文
学、すごい才能なんだと思いますね。

  頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
  東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
  砂山の砂に腹這ひ 初恋のいたみを遠くおもひいづる日

たかが海岸の砂。砂をこんなふうにうたった人は世界じゅうどこにもい
ないでしょう。ああ、そうなんだ、ばーばーじゅこんさんは恵まれて育
って幸福いっぱいに生きて来られたし、恋で痛い思いをしたことなんか
ないんだな、きっと。わたしなんぞ、少年の日と青春は、傷ばかり、悔
いに満ちた悲しみの色ばかりで塗られていましたので、どれも哀しいま
でにピタッと胸にひびきます。

  己が名をほのかに呼びて涙せし 十四の春にかへる術なし
  不来方(こずかた)のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五のこころ
  わが恋をはじめて友にうちあけし 夜のことなど思ひいづる日
  ゆゑもなく海が見たくて海に来ぬ こころ傷みてたへがたき日に

貧乏してでも意地を張って田舎には帰らず、都会の片隅で小さく身をか
がめて、質素に清貧に生きているわたしの思いと、

  そのかみの神童の名のかなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと
  石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆるときなし
  小学の首席をわれと争ひし 友のいとなむ木賃宿かな

神童と呼ばれたことはありませんが、こんな田舎への思いは、もう、ど
うしようもなく親しくなつかしい。これも小樽の嬢さまには関係ないで
すかねぇ。【つづく】
Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ] ・
ばーばーじゅこんさん (2006年12月14日 10時38分)

伊藤整、小林多喜二氏ともに高校(昔の小樽中学)の大先輩です。そし
てセンターにいらした大室さんは後輩です。
 それにしても、がのさんは啄木の歌をよく覚えていらっしゃいます
ね。びっくりしました。小樽の街のあちこちに碑がありますが、私はす
きにはなれませんでした。
 伊藤整さん訳のD.H.ロレンス「チャタレー婦人の恋人」が問題に
なって、母が洋服ダンスの一番上に隠してあったのをこっそり読みまし
た。(なんで発禁?と意味もわからず)不思議でした。ジョイスも伊藤
整さん訳で読みました。(これは大学生時代)
 ラボもそうですが、いつも訳のわからないもにはまっている気がしま
す。
Re:Re:追悼文、拝読いたしました。+うちのラボっこの放映日
dorothyさん (2006年12月13日 10時23分)

がのさん
>「哀悼 木下順二氏、渡辺茂男氏」(「タカの目」)を読んでくださ
り、ありがとうございます。だからといって、この立場で何もできはし
ないのですが、哀惜の思いを共有していただくこころがひとつでも多く
そばにあることに、こころ救われます。わたしたちは、さまざまな才能
と個性と知性に洗われながら、生きて、戦って、そして老いていくんだ
な、…なんて、センチになったりします。わたしはここのところちょい
とこころ弱い状態なのかもしれませんが。

桑田バンドの歌の中に「真夜中のダンディ」というのがあります。
サザンオールスターズの桑田が、奥さんの出産休養期間中だけ
活動したバンドです(がのさんは、こういったジャンルは好きでは
ないのは承知ですが)。この曲の最後に、「いとしさを知るほどに
老いていく」という歌詞があります。ふと、そのフレーズが
頭をよぎりました。


>12月3日放送と聞いていたように覚えていたのですが、あのバタバタ
のなかでコロッと忘れていました。しまった、りんごちゃんに会いそこ
なった! dorothy さんに会わす顔がない、と思っていたのですが、そ
うでしたか。よかった! 今度は忘れないようにしっかりメモしておき
ます。でも、テレビって、ふだんあまり見ないから、すぐ忘れちゃう。
とりわけ民放となると、ときどき「笑点」を見るくらいなので、今度は
目につくところに貼り紙をしておきます。

すみません。収録が12月3日で、放映が25日なのです。
放映時間は1分ほどです。

>りんごちゃん、元気にしてる? 雪ふりましたか? この冬も猪苗代
のほうへスキーに行きますか? 風邪をひかないように、ね。

りんごは最近、熱が出てダウン、です。テレビ収録やテーマ活動
発表会など、興奮することが続いて、ちょっと疲れたようです。
でも、「学校休む?」と聞くと、「絶対にいく」と言います。
かぜの症状はなく、朝などとても元気なので、登校しています。

雪は降りましたが、まだ市内はつもってはいません。
スキーには、年明けに何度か(何度も?)行くでしょう。
今は、週末にスケートに行っています。
----------------------------
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年12月13日 09時45分)

Hiromi~さん

【その3】

 そして、この実存主義の人間論に加え、日本の婦人解放運動の端緒と
なった、「青鞜」社の平塚らいてうや伊藤野枝、物集和子、尾竹一枝(紅
吉)、山田わか、それに、与謝野晶子、山川菊栄、市川房江、高群逸枝と
いった、中層女性知識集団のすさまじいばかりの主我的態度で推し進め
た運動と、それが後世に何をもたらしたかをお伝えしようかと、いま準
備しています。
 平塚らいてうの思想的バックボーンをなしている、『児童の世紀』で
みなさんもよくご存知のスウェーデンの婦人思想家エレン・ケイの思
想、サルトルのことも語らねばならず、これはとても1回では終わら
ず、2回か3回におよぶかもしれません。いまさら、ボーヴォワールであ
りエレン・ケイであり平塚らいてう…。古臭いともいえますし、賛成し
かねる考え方も少なくありませんが、ちょっとすごいでしょ。

 古い価値観を破り、つぎつぎに新しい時代を切り開いていったこうし
た人たちとテューターを一枚に重ね合わせて考えるには、無理があり、
時代もちがうことは十分承知していますが、このごろの子どもにありが
ちな、与えてくれるのを待っているだけ、その場その場をワァワァと楽
しむだけの無自覚な存在と同レベルでは、幼稚すぎるように思うのです
よね。あのつどいから何を持ち帰ってくれたか。“行動する自発性”に
期待し、あの祝祭日を画期的な歴史のステップにしてくれることを願っ
ています。
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年12月13日 09時43分)

Hiromi~さん

【その2】
>  40周年のイヴェントも終わりもう来年度のことが話題です。でも
この騒ぎがどのような結果をもたらすかと思うと…。
     ----------------------------
 何をもたらすかは、テューターのみなさんの意識次第ということでし
ょう。ひろば@をのぞくと、2週間もたつのにまだ祭り気分の抜けない
“オタンチンパレオロガス”もおりますが、もらえるものをもらってス
ッと立ち直した人の姿も見られます。少なくとも、ただの自慰敵な空騒
ぎ、明日へのperspective に結びつかない、つまらぬ、その場かぎりの
消費で終わらせるわけにはいきませんね、大金を費やしての祝祭だった
ようですし。
 見ておりませんので何とも云えませんが、東京支部のある若いテュー
ターの記述にあるように、テューターがお客のように招かれるべき集ま
りではなかったはずだ、シンポジウムになぜテューターやラボっ子OB
が参加していないのか、あれはだれのためのものだったのか、という視
点もあるようで、反省すべきところがあればきちんと反省しないといけ
ないでしょうかね。

 こういう意識的な知性に出会うと、わたしとしては書いてみたいこと
がいっぱいあるんですよね。長くなっちゃうかな~。
 「世界に対して他人顔をする無関心もやっぱり与えられていないので
す。わたくしは物ではなく、自発性なのです。希望し、愛し、欲望し、
行動する自発性なのです」
 「人はたれの隣人でもないのです。人は一つの行為によって自分を他
人の隣人するといった按配に、他人から隣人を“作る”のです」
 ————ボーヴォワールの『人間について』からの引用です。

 私事にわたって恐縮ですが、このところ、地域の文化活動、市民アカ
デミーのなかで、ボーヴォワールのかかげるテーゼをめぐって、みなさ
んに『人間について』を読んでもらい、考えてもらっています。じつは
明日の第三木曜日にまたわたしが口演することになっていますが、その
実存主義思想における「女」像――「第二の性」でいわれる“女に生ま
れたのではなく、女になるのだ”とする人間論や、人間に許された希望
とは何か、といった難題をどうわかりやすく語るか、頭を痛めていると
ころ。
【つづく】
Re:Re:★オタンチンパレオロガス! 漱石を慕いて(12月09日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2006年12月13日 09時32分)

Hiromi~さん

【その1】
> 漱石のこと、ちょうど車の中で聞きました。NHKの番組でアナウンサ
ーと誰でしたかしら?対談していました。「吾輩は猫である」書き出し
をタイトルにしたのだとか。漱石の作品はけっこう読んだつもりでも、
忘れてしまいますね。
     ----------------------------
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。/どこで生れたか頓と見當がつか
ぬ。何ても(原文のママ)暗薄い(原文ママ)じめじめした所でニャーニャ
ー泣いて(原文ママ)居た事丈は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて(原文
ママ)人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは書生といふ人間で
一番獰悪な種族であつたさうだ」(初版版による)
 このへんのところまでは、だれもが諳んじるようにしてよく知ってい
るんですよね。もうちょっと読みやすく書き改められた文章で、たいが
いの教科書に載っていたはずですから。そしてこの数行だけ読んですっ
かり読んだつもりになっている場合が、ふつうです。吾輩がうっかり甕
に落ちて不可思議な太平の境地に入り、「吾輩は死ぬ。死んで此太平を
得る。太平は死なゝければ得られぬ。南無阿弥陀佛々々々々々々。難有
い(原文ママ)々々々。」というおかしな終わり方をするところまで読み
終わる人はめったにいないはず。読書というのは、かならずしも最初か
ら最後の句点まで読まねばならないものでもないでしょうし、これなど
はたいへんな長編でもありますので。
たしかに読み馴れないと、この種の初版ものは読みにくいかもしれませ
ん。でも、馴れてくると妙に気持ちいいんですね、声を出して読みたく
なってしまうほど。たとえば、いまたまたまパッと開いたページで、
「猫の足はあれども無きが如し。どこを歩いても不器用な音のした試し
がない。空を踏むか(原文ママ)如く、雲を行く如く、水中に磬(けい)を
打つが如く、洞裏に瑟(しつ)を鼓するが如く、醍醐の味を嘗めて言栓の
外に冷暖を自知するが如し」苦沙彌先生の天敵のような鼻子夫人のとこ
ろに吾輩が忍びこもうとするシーン。講談のような語調です。目だけの
すっとばし読みなら読まないほうがいいような味です。
【つづく】
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