幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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035
風のかよい路、〔がの〕さんの庭にて。
どうぞお気軽に。互いの率直な感性をそのままに交換いたしましょう。


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がのさんの掲示板 [全2358件] 661件~670件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
近松門左衛門に見る日本の情死のすがた
がのさん (2007年01月22日 21時22分)

dorothyさん

【その3】

 どちらの作も実際にあった事件にもとづき、近松の手を経てつくられ
た物語だそうですが、とにかくすごい創作家ですね~、近松という人
は。心中ものの類型をつらねるもの、と思ってきましたが、どうして、
どうして。心中ものというよりは、すっきりとした人情ものにつくりな
していて心をうち、味としては、どちらかというと、いま評判の「蝉し
ぐれ」などの藤沢周平さんの作品や、山本周五郎の下級武士ものなどに
通じるような…。とにかく、ずうっとわき目もふらず、息もできないほ
どに緊張し集中して読むことになります。それは、やはり、ことばの調
子のよさに尽きるでしょうか。

 「世を忍ぶ心の氷三百両、身も懐も冷ゆる夜に、越後屋に走りつき、
内を覘(のぞ)けば八右衛門、横座を占めて我が評判、はつと驚き立ち聞
きす、二階には梅川が、心を澄ます壁に耳、濡るゝぞ仇の始めなり」

 この八右衛門という腹黒い友人のワナに忠兵衛はまんまとはめられ、
追われる身になるわけ。

★…転記スミ「近松門左衛門の浄瑠璃本に見る日本の情死 ⇒ ページ
一覧「つれづれ塾=その5/古典」
近松門左衛門に見る日本の情死のすがた
がのさん (2007年01月17日 23時29分)

dorothyさん

【その2】
 お吉にしてみれば、殺される何の筋合いもないのに、カネ欲しさに狂
う与太ものに刺し殺される。どうして…? 理由を探れば、親切がアダ
になって、というしかない。
 しかし、お吉殺しの犯人が、天井のネズミが暴れたことによって発覚
した、という展開には、これまた驚かされました。


> 「曽根崎心中」でしたでしょうか?これから心中しよう、というと
き、男の父親を見かけ、心中相手の女がその父親の落とし紙をこの世の
思い出に、と大切そうに懐中するシーンはそのせつなさに涙が出そうに
なります。
     ----------------------------
 そうそう、遊女梅川と忠兵衛の、縄目を逃れての死の道行きで、老父
が巾着から銀子一枚をとりだして梅川に渡すシーンですね。1日でも多
く逃亡して生き延びよとの路銀だが、それでは世間が立たぬ、大坂の義
理は欠かせない、と、梅川の親切に対するお礼として手渡す。
 この世の見納めに、忠兵衛は生まれ在所の村にやって来ます。忠兵衛
は男女双生児の片割れで、この村から大坂の飛脚問屋亀屋にもらわれて
行った養子でした。名うての美妓の梅川との相思相愛のよしみができ、
ひとから預かった大事な金を盗んで追われる身に。帰郷して一目なりと
も会いたいが、すっかり追求の手は延びていて、親子が会うことは許さ
れない。遠いものかげから実父の孫右衛門を見れば、老いて足はよろよ
ろ、高下駄の鼻緒を切ってよこざまに泥田へ転げこんでしまう。梅川が
思わず飛び出して、すぐさま抱き起こし、裾をしぼって、腰と膝を撫で
さする。鼻緒はわしがすげようと、ふところから紙をとりだす父親。梅
川は、よい紙がある、こちらをひねってあげしょうと、裂いて見せる。
嫁としてのせめてもの親孝行。その手もとを見ながら、孫右衛門は、や
さしいこの見知らぬ上臈がだれであるかを察する。老いた実父の出した
紙は形見として忠兵衛にわたされる。このあと間もなく、孫忠兵衛・梅
川は代官所の捕手の縄にかかるのですが…。
【つづく】
近松門左衛門に見る日本の情死のすがた
がのさん (2007年01月17日 23時22分)

dorothyさん

【その1】
>近松ものでは、「女殺油地獄」が好きです。あの、おどろおどろした
舞台の雰囲気。江戸時代、どうやってあの雰囲気を舞台演出したんだろ
う? と想像してしまいます。
    ----------------------------
 いやいやいや…。近松をこの「ひろば@」で語り合うことになろうと
は、思いもよらないことでした。
 『女殺油地獄』、わたしはその舞台は見たことがありませんが、もの
すごいやりきれなさを覚えましたね。きわめて現代的とも云えるように
思うんです。与兵衛という油屋「河内屋」を継ぐ次男坊、これがとんで
もないワルです。遊女の小菊のところに入りびたっている放蕩無頼、手
のつけられない極道ものです。長男もいるのですが、こちらは家を出て
真面目に商売をしている働きもの。与兵衛がどうして放蕩に走るように
なったか、と云えば、母親お沢の盲目的な愛情というか、可愛いがりす
ぎです。極道ものと云っても老舗の大事な跡継ぎ。欲しいといえば何で
も与えて育ててきました。父親の徳兵衛は、実父が死んだあと、番頭あ
がりで後夫に入った養父で、先代の主人の手前や周囲をはばかって、云
いたいことも云えず、不良青年の無頼を見て見ぬふりをするしかない弱
い立場にありました。先に書いたJ.J.ルソーの「エミール」にあること
ば、「子どもをダメにするのはいとも簡単だ。欲しいものがあればハイ
ハイとすぐ与えるようにすればよい」という、まさにあの典型ですね。
そして、ちょっと理解できないのは、なぜお吉(よし)がこのバカなハナ
つまみものに殺されねばならないのか、ということ。おなじ大阪・本天
満町で同業の油屋「豊島屋」の美しい若妻。27歳の町内きっての美人で
あり、3人の子どもをもつ、無邪気なほどに明るい小商人の律儀な妻で
す。だれにでも親切で、気さくに声をかけます。屋形船に乗っての野崎
参りの途中、ふと、色仲間といっしょの与兵衛に出会います。からかい
半分でしょうか、「あら、きょうは小菊さんといっしょじゃないんです
か」。それ以上には関係のないお吉の店「豊島屋」に行って、カネを貸
してくれと執拗にせがむ与兵衛。主人の七左衛門は出かけていて留守。
主人に相談もなくそんなことはできない、とお吉が断ると、ブスリと刃
物で刺してカネを奪って逃走する。【つづく】
「鎌倉」と「イノック・アーデン」
dorothyさん (2007年01月17日 10時34分)

鎌倉を散策するとき、この歌は非常に
役に立ちます。本当にその道程どおりに
歌われていますね。
新田義貞の故事は、高校の日本史の時間に
知りました。室町幕府の経緯の話の中で
先生がこの「鎌倉」の歌を取り上げてくださったのです。

イノック・アーデンは、姉の高校時代の
英語の副読本で、私も姉のノートを借りながら
夢中で読んだ記憶がよみがえりました。

近松ものでは、「油殺し・・・」が好きです。
あの、おどろおどろした舞台の雰囲気。江戸時代、
どうやってあの雰囲気を舞台演出したんだろう?と
想像してしまいます。
「曽根崎心中」でしたでしょうか?これから
心中しよう、というとき、男の父親を見かけ、
心中相手の女がその父親の落とし紙をこの世の
思い出に、と大切そうに懐中するシーンは
そのせつなさに涙が出そうになります。
Re:「上毛かるた」/ことばを声にする楽しさ
がのさん (2007年01月16日 22時04分)

dorothyさん

【その2】

 そしてまた、この唱歌「鎌倉」はいろいろなことを教えてくれますよ
ね。わたしは年に数回ずつ鎌倉に遊んでいますが、行くところ行くとこ
ろ、だいたい歌になっていて、すぐに口辺に歌が浮かび、親しみを覚え
ます。極楽寺、長谷観音、露座の大仏(“極楽寺坂を越え行けば/長谷観
音の堂近く/露座の大仏おわします”)、由比ガ浜、雪ノ下、鶴岡八幡
宮、大銀杏、静御前の若宮堂(“若宮堂の舞いの袖/しずのおだまきくり
かえし/返せし人をしのびつつ”)、鎌倉宮、建長寺、円覚寺(“建長円
覚古寺の/山門高き松風に/昔の音やこもるらん”)…。鎌倉の浜から江
ノ島、富士を見れば、“真白き富士の嶺 緑の江ノ島/仰ぎみるも 今
はなみだ…”の「七里が浜哀歌」が。

 ことばを声に出して言ってみること、自分のことばにして言ってみる
ことには、すばらしいカタルシスがあります。みなさんには内緒です
が、いまわたしは近松門左衛門全集を読んでいます。おもしろいですね
~。「曽根崎心中」「鑓の権三重帷子」「心中天の網島」「堀川波鼓」
「冥途の飛脚」「女殺油地獄」などなど。何がおもしろいかといえば、
浄瑠璃で語るものとして書かれたものですから、やたらことば調子がい
い。どうしても自分で声に出して言ってみたくなります。「みをつくし
 難波に咲くや此の花の 里は三筋に町の名も 佐渡と越後の合いの手
を 通ふ千鳥の淡路島」(「冥途の飛脚」より)といった調子。
 あるいはまた、この木曜日には、中学生と地域の旧世代の人びととの
読書会で、テニスンの「イノック・アーデン」をしゃべることになって
いますが、「ことばのハーモニィの詩人」と呼ばれる桂冠詩人の詩、五
脚無韻の流麗にして簡素なこの物語詩は、わたしがあれこれ屁理屈をこ
ねてしゃべるよりも、みなさんにまず声にして読んでもらうことにしよ
うと思っています。これももともとは、まだ読み書きのできる人の少な
いイギリス19世紀の初頭、吟遊詩人が地方の資産家の応接間かどこかで
語ったものではないかと推察していますが。
Re:「上毛かるた」/ことばを声にする楽しさ
がのさん (2007年01月16日 22時03分)

dorothyさん

【その1】
>初耳です。ですが、こちらでご紹介の内容は、歴史に地理に、郷土を
知らしめる上で非常に優れていますね。しかもそれを地元の人がカルタ
遊びで楽しむとは!
     ----------------------------
 各地にその土地ごとのカルタがあるとは思いますが、中ではこれは断
然すぐれていると思います。しかし、なんと言っても、ことばを声にす
ることには、言うに言われぬ楽しさがありますね。ラボがまさにそれを
やっているわけですが、そこに引きつけないまでも、小さいころから親
しんだ「イヌ棒カルタ」でわたしたちは、知識というよりは、ずいぶん
多くのモラルや生き方、生活の知恵を学んできました。小倉百人一首
で、古来から受け継いでいる日本人の感性を知り、なるほど、ことばは
何よりも文化だ、世代をつないでいく文化だ、ということを知りました
ね。これからもぜひ、現代っ子たちに、百人一首にふれる機会をつくっ
てやってくださること、期待しています。

 ことばが血肉化するということについてですが、「上毛かるた」に
“歴史で名高い、新田義貞”とあることを紹介しました。これが、むず
かしい歴史書をひもとかないでも、文部省唱歌「鎌倉」の、“七里ケ浜
のいそ伝い/稲村ケ崎 名将の/剣投ぜし古戦場”につながっていきま
す。そこは“稲村ケ崎駆け渡り”といわれる『太平記』で伝説化された
ところで、江ノ島と富士山を望む美しい海浜。南朝の後醍醐天皇の側に
ついた義貞が鎌倉攻めに際して、黄金の剣を投げ入れて竜神に祈ると、
とたんに潮が引き、いよいよ士気高まって磯伝いに一挙に鎌倉へ突入し
鎌倉幕府を倒したという歴史へとふくらんでいきます。
【つづく】
「上毛かるた」
dorothyさん (2007年01月16日 10時45分)

初耳です。ですが、こちらでご紹介の
内容は、歴史に地理に、郷土を知らしめる上で
非常に優れていますね。しかもそれを
地元の人がカルタ遊びで楽しむとは!

英語が話せるかどうかは、英語文化圏に
いる人にとっては話題にすらならないこと。
話せる中身が問題であり、英語文化圏の
人々の喋るウィットや比喩表現には
聖書やシェークスピア、ギリシャ神話まで
さまざまな教養・知識が具わっていることが
多いように思います。
Re:Re:Re:Re:★ゴッホと浮世絵、時間を表現する稀有な技法の発見(01月10日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年01月13日 22時15分)

Hiromi~さん

> ゴッホやセザンヌなどやっぱり印象派の絵が好きです。
 今度は5月に、夫も行くといってます。次女も赤ちゃん連れて絶対行 
くと張り切ってます。又違ったフランスに出会えそうです。スイスも行
きたいな~~なんて今から胸膨らんでいます。
     ----------------------------
 まあまあまあ、いいですねぇ、おそろいでの海外旅行。幸せの絶頂と
いうところですね。
 一方、わたしゃ、悲しいカゴの鳥。この不幸な子にも、いささかなり
ともお恵みを! ということで、Hiromi~さんの旅行カバンにもぐりこ
んで、いっしょについていきたいですよ、まったく。
もっとも、このごろは、あぶない、あぶない、女性の旅行カバンといえ
ば、バラバラの死体! 気分の悪くなる猟奇事件がパッとアタマをよぎ
りますが…。
 いやいや、ごめんなさい、つまらぬことを!
 5月といえば緑かがやく美しい季節。ヨーロッパのいい旅をしてきて
ください。そして、またそのうち、楽しい旅の話をゆっくりと聞かせて
ください。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★ゴッホと浮世絵、時間を表現する稀有な技法の発見(01月10日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年01月13日 20時52分)

dorothyさん

【その2】
 で、子どもたちには時には「小倉百人一首」なんていいのだけどな
あ、と思いつつ、この年初、百人一首をやるパーティがどこかにありは
しないだろうか、と注目していました。ああ、やっぱりどこもやってい
ないのか、と落胆しかけていましたら、ちこらんたんさんのところ、
dorothyさんのところでやっていることを知って、うれしかったのよね。
ほんと、よかった、よかった! もっとほかでもやっているのかもしれ
ない、と。

 「かるた」というのは、なかなかすぐれた遊びだと思います。こうし
たあそびのなかで、洗練された美しい日本のことばをこころにいっぱい
沁み込ませる、そこからこころにつながる「ことば」がはじまってい
く、そんな感じがしています。

【閑話休題】
 わたしの郷里には「上毛かるた」というのがあり、群馬県内の子ども
たちは小学生のころから何百回となくこれで遊ぶことになります。例
年、たいへん盛んなかるたとり競技会もありました。「つる舞う形の群
馬県」「雷(らい)と空風、義理人情」といった県民性や名物とされてい
る風物、「すそ野は長し、赤城山」「仙境尾瀬沼、花の原」「世のちり
洗う四万温泉」といった地理や名所旧跡、そして「和算の大家・関孝
和」「平和の使徒(つかい)新島襄」「歴史に名高い、新田義貞」「心の
灯台、内村鑑三」「誇る文豪、田山花袋」「沼田城下の塩原太助」(勤倹
節約で財をなした人物)、…といった歴史に残る郷土の偉人たちのこと、
また、日本の開国、横浜の開港、そしてそれを機にどんどん海外との交
易が進められていったわけですが、その実質的な推進役として決定的な
役割を果たしたのが上州の生糸。「日本で最初の、富岡製糸」、その富
岡製糸工場は、いま世界遺産登録申請中、といったような郷土の歴史文
化などを知り、ことあるごとに唇にはそのことばが浮かびます。
 それは自分をゆたかにする自信と誇りとして血肉化し、からだのシン
をつらぬくアイデンティティとなっていて、その七・五調のことばは、
生涯、どんなときにも忘れることはありませんでしょうね。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★ゴッホと浮世絵、時間を表現する稀有な技法の発見(01月10日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年01月13日 10時42分)

dorothyさん

【その1】
> がのさんは、トンビの眼でそれを目撃したのだ、と。
     ----------------------------
⇒ いやいやいや。わたしの眼は「トンビの眼」というよりも、ひょっ
としたら「千里眼」かもしれませんよ! きょう、外から帰り、夕食を
とりながらチラとテレビを見ましたら(NHK総合「迷宮美術館」)、ほらほ
ら、ゴッホと浮世絵のことを紹介しているじゃあありませんか! 「タ
ンギー爺さん」の肖像の背後に描かれている数々の浮世絵のこと。この
タンギー爺さんは、モンパルナスの裏通りのちっちゃな画材屋の主人。
この人自身、貧乏でおカネに苦労していたようですが、貧しいゴッホは
食うや食わずの日々、なかなか思うようには画材を購入できない。払え
ないおカネの代わりに描いたのがこの肖像画、…というのはたぶんにわ
たしの勝手な想像ですが、案外そんなところかもしれません。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あめつつ ちどりましとと などさけるとめ
おとめに ただにあわむと わがさけるとめ

大好きなあなたに早く会いたいと眼を大きく見開いたから目が裂けたの
ですよ、とあまりにもストレートな愛情表現だな、と高校でこれを習っ
たときにびっくりしたものでした。

⇒ 古事記の歌ですね。素朴ながら率直な若い男のこころを吐露する
歌。宝石の原石ならぬことばの原型のようなものがカチリとひびきま
す。
 わたしがときどき、古くさいといわれながらも「ことばはこころ」
「ことばを育てることはこころを育てること」、ラボは“教える”こと
はしない、と、ラボ草創期の理念を持ち出すのは、この謂いなんです
ね。英語だ、英語だ、と、それがあたかも特別なことでもあるかのよう
に金科玉条にして言っていたのでは、こころにつながる「ことば」は育
ちません。ことばはそんな薄っぺらなところにはありません。日本人が
日本語もろくろく知らないで外国語を教える、なんて考えられないこ
と、恥ずかしいこと。外国から来て日本語を学ぶ人のほうが、はるかに
よく日本のこと、日本のことばを知っているという皮肉によく出会いま
す。ラボが「母語も大事にする」と標榜しながら、じつのところ、それ
がまるでウソっぱちであることを感じることがときどきあります。
【つづく】
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