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035
風のかよい路、〔がの〕さんの庭にて。
どうぞお気軽に。互いの率直な感性をそのままに交換いたしましょう。


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がのさんの掲示板 [全2358件] 621件~630件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年03月15日 23時48分)

dorothyさん

【その1】
> 中学生のときに読んだものの、今日これを読むまでは忘却の彼方に
ありました。確か、「ひたすら暗い、希望のない小説だな」という読了
感をもった記憶があります。
最後の最後で(もし間に合わないにしても)娘が来るのではないか、そ
うでないと救われないじゃないか、と。
     ----------------------------
 ほんと、希望がないというか、救いがないというか、児童文学の世界
などではぜったいありえないストーリィ展開ですね。いささかも甘さや
妥協がない、読者にこびるようなところは微塵もない。最後には、娘た
ちが来てくれる、涙を見せてくれる、老人の痩せ衰えた生気ない額にキ
スをしてくれる、それがなきゃあ、老人が哀れすぎるよ。……そんなこ
ちらの読みも完全に裏切られる救いのなさ。それは、手加減のない殴り
合いで完膚なきまでにやっつけられたあとの、120パーセントの痛快さと
いうようなものでしょうか。さんざんにやっつけられて、かえってさっ
ぱりとした心地。これこそが読書の醍醐味なのかもしれません。

 それにしても、中学生のときですか、これを読んだのは。いくら
dorothyさんがすぐれた感性を持ち、柔軟な理解力と想像力をもっていて
も、中学生でこの作品を十分に読み解くには限界があるでしょうね。た
とえば、第一、トルストイの「戦争と平和」などである程度までかじっ
たとしても、まだまだヨーロッパの貴族社会、社交界というもののすが
たは、その年齢では背丈(経験量)が足りず見えてこないでしょうし。
【つづく】
Re:Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ] ・
ばーばーじゅこんさん (2007年03月15日 21時26分)

がのさん
全く 同感です。
 幼児化といえば、町並みも、服装も、眼につくところ、耳にするもの
すべてが、がっくりすることが多すぎます。今のファッションといえ
ば、それまでですが、政治からして変ですので、仕方のないことなので
しょうか?腹のたつことばかりなのは、私が年を重ねたせい?
 
 老人問題でもう一つ。母が施設に入っていたころ、もう10年以上ま
えですが、入居している方々より、「歌はすきだけれど、どうして童謡
ばかり歌わせられるのかわからない。それに、名前があるのに、おじい
ちゃん、おばあちゃんはないと思う」などとよく耳にしました。高齢の
方とのコミュニケートは外国語より難しい。10人いらっしゃれば10
人の方が通ってきた道があり、プライドがありますもの、私は可愛いお
ばあちゃんにはなれそうにもありません。目指すは意地悪ばあさん!!
お花の綺麗なページに書くことではなかったですね。

>ばーばーじゅこんさん
【その3】

自身の感性を幼児化させることが必ずしも子どもの目線に立つことでは
ないのは、いうまでもありませんね。自身を絶えず高めつつなお子ども
たちとともに高めあう。
 目先きのことばかりに囚われている人には、それができないで、もっ
ともイージーに英語を教え込むことに走る。ひとりで得意になって語句
を説明し意味を解釈する英語の先生です。「先生はいろんなことをよく
知ってるなあ」と子どもがいい、それを聞いてホッと自己満足するよう
では、教育をあずかるものとしてはサイテー!
 意味を一方向から教えても何にもならなりません。急がず、じっくり
考え味わう時間をかけて、子ども本人の自発的な働きによってわかって
くる、自分からわかるのを待つ。…真の理解が成り立つのはそこ、こと
ばの美しさと深さがわかるのはそこで、それが教育の大原則のはず。

あれれ、いけない、いけない、また話が逸れてきました。ご無礼しまし
た。
----------------------------
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年03月14日 22時45分)

dorothyさん

ありがとうございます。こういうものをきちんと読んでいただけたこと
だけで、感謝です。
え~と、いろいろ書きたいのですが、明日は「レクトロ」や「クレー
ン」を中心にライナー・チムニクのことを地域の皆さんの前でしゃべる
ことになっており、その準備をしなければなりません。明日にでもゆっ
くり書かせてもらいます。
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年03月14日 22時37分)

ばーばーじゅこんさん

【その3】

自身の感性を幼児化させることが必ずしも子どもの目線に立つことでは
ないのは、いうまでもありませんね。自身を絶えず高めつつなお子ども
たちとともに高めあう。
 目先きのことばかりに囚われている人には、それができないで、もっ
ともイージーに英語を教え込むことに走る。ひとりで得意になって語句
を説明し意味を解釈する英語の先生です。「先生はいろんなことをよく
知ってるなあ」と子どもがいい、それを聞いてホッと自己満足するよう
では、教育をあずかるものとしてはサイテー!
 意味を一方向から教えても何にもならなりません。急がず、じっくり
考え味わう時間をかけて、子ども本人の自発的な働きによってわかって
くる、自分からわかるのを待つ。…真の理解が成り立つのはそこ、こと
ばの美しさと深さがわかるのはそこで、それが教育の大原則のはず。

あれれ、いけない、いけない、また話が逸れてきました。ご無礼しまし
た。
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年03月14日 22時33分)

ばーばーじゅこんさん

【その2】
 実際、息子がひとりおりますが、わたしから譲り渡すべき何ものもな
いわけで、その言い訳と言われても仕方ないのですが、「身死して財(た
から)残る事は智者のせざる処なり」と、言ってくれています。ダメおや
じにとって都合よすぎますかねぇ。

> バルザック「ゴリオ爺さん」読んでおりませんが、主人の本棚にあ
りました。私はバルザックは全然読んでいないことに初めて気がつきま
した。どうしてなんでしょうね?
     ----------------------------
 いやいや、ばーばーじゅこんさんにかぎらず、いまどき、まずめった
に読まれることはないでしょうね。かく言うわたしも、この「ゴリオ爺
さん」や、先回ご紹介した短篇集「知られざる傑作、ほか」以外には、
「谷間の百合」「従妹ベット」くらいしか読んでいないと思います。全
巻そろってはいないながら全集は持っているのですが、二十数年前に買
ったままです。比較的よく読書をするはずのテューターのみなさんで
も、ほとんど読んではいないでしょう(dorothyさんが読んでおられるよ
うですが)。とりわけこの作家の文章は、なんとなく陰気で、とっつきに
くく、話がなかなか前へ進んでいきません。読み終わるころになって初
めて、それがなかなか見事な構成で編まれていることに気づくという次
第。ですが、滋味深いですよ。重厚な大河小説を読み終わったあとに特
有の、なんとも言えぬ高揚感と充実の感動があります。

 わたしがこの「ひろば@」で書くものは、よく「難しすぎる」と非難さ
れ、「恥ずかしいから」といって、ウラ通信のほうでメッセージをもらう
ことがしばしば。難しいでしょうか。或る意味でそうかもしれません。
失礼ですが、ものがたりをやっておられるといいながら、絵本や児童も
ののといった、鞍部の低い山(程度が低いという意味ではなく)ばかりを
歩いている人もおいでで、ときには、人間の本質の問題に迫るもっと高
い峻険な山を死ぬ気で越す努力もしてもらわねば、ほんものじゃあな
い、と、偉そうながら言わねばならないかもしれません。
【つづく】
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年03月14日 22時22分)

ばーばーじゅこんさん

【その1】
> 83歳で亡くなった母が「その年にならないとわからないことがいっ
ぱいあるよ」とよくいっていました。現在それを痛感しています。…親
不孝だったかな? きっと、淋しい思いばかりさせていたのでは? 
と。
 一方、近くにいる姑は今年の6月で101歳、頭のしっかりしている姑の
介護で、主人はかなりまいっているようです。その姑は…嫁は他人らし
く、いまだに自分の弱みはみせたくないようです。明治の女の意地を感
じます。人間の生き方の幸不幸は最後まで本人にもわからないのではな
いでしょうか?
     ----------------------------
 101歳で、頭はしっかりしている! すごいですねぇ。日本の窮乏の時
代と飽食の時代、戦乱の時代と平和ボケの時代、…激動の時代をモミク
チャにされながら生きてきた明治女の底力ですね。でも、その底力をつ
くったのは、有能なやさしい息子さん、つまりばーばーじゅこんさんの
ご主人“オジサン”の存在だったのではないでしょうか。親は愛する子
どものためならどんなことでもできる、何でも与えることができる、…
ゴリオ爺さんが父性のキリスト(こんなことを勝手に言ったら、信者の方
には叱られるでしょうか)なら、お姑さんは母性の女神様かもしれませ
ん。
 そうですね、何が幸福か、それは「みんなちがって、みんないい」の
かもしれません。ばーばーじゅこんさんにはその幸せが、わたしにはそ
の幸せが。いや、わたしの場合は、幸せって何かもよくわかりません
し、幸せを求めるという意識はぜんぜんないんですけれど。ただ、争っ
てモノやカネを求めようという欲だけはぜったいに持たない、物欲の集
団的な狂気からは遠く距離をおいて、恬淡にしている…、そういう居心
地のよさを、あえて言うなら「幸せ」というのかな、と思うことがあり
ます。
 つい先日、福岡の林ライスさんのところに立ち寄り、ハチドリの寓話
にそって、自分にできることをやる、たとえ小さなことでも自分にでき
ることを誠実にやる、というわけで、兼好法師の「徒然草」からの一文
を贈ったところですが、ここでも「徒然草」から引いておきましょう。
第百四十段です。

 朝夕なくて叶はざらん物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほ
しき。

【つづく】
Re:Re:早春賦と花の街、浜辺の歌
dorothyさん (2007年03月14日 16時37分)

がのさん

【その2】で知らせてくださった歌は、寡聞にして
知らない歌も混ざっており、うまく感想を
まとめることもできず、失礼しました。

ただ、童謡の多くが2番までしか歌われず
3番に(その歌の最後の歌詞)に深い思いが
残されているように感じます。

「我は海の子」。現在は、歌詞が古くて
(苫屋:粗末な、小屋のような家、など)
小学校の教科書からもはずされたようですが、
この曲は海の近くで生まれ、青年に成長して
いく若者の成長の歌です。7番で
「いでおおふねを こぎだして
 われはひろわん うみのとみ
 いでぐんかんに のりくみて
 われはまもらん うみのくに」
と歌われたときには、泣いてしまいました。
軍歌集に載っている、海軍の歌だったのです。

「むすめさん よくきけよ、
 やまおとこにゃ ほれるなよ」
この歌も、軍歌集に載っている歌詞では

「むすめさん よくきけよ
 かいぐんさんにゃ ほれるなよ
 おきでどんとなりゃよ~
 わかごけさんだよ」

こんな明るい節でこんなにつらい
歌詞・・・。
Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
dorothyさん (2007年03月14日 16時26分)

中学生のときに読んだものの、今日
これを読むまでは忘却の彼方にありました。
確か、「ひたすら暗い、希望のない小説だな」
という読了感をもった記憶があります。

最後の最後で(もし間に合わないにしても)
娘が来るのではないか、そうでないと救われ
ないじゃないか、と。

救われない、だからこそ悲劇なのですね。
今、年老いた母のことを思います。
そう、若いころはまさか自分が老眼で
字を読むのがつらくなる、だの、足を
よたつかせながら家の中を歩く、だの
想像だにしていませんでした。

もういちど、深くじっくりと読みたいと思います。

それにしても、合間合間の挿絵の美しいこと。
それゆえに悲劇の深さも感じました。
Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ] ・
ばーばーじゅこんさん (2007年03月14日 15時58分)

 83歳でなくなった母が「その年にならないとわからないことがいっ
ぱいあるよ」とよくいっていました。現在それを痛感しています。
 若い頃は 心配かけずに やってるから大丈夫 と両親のことなど気
にせずにおりましたが、この年になって親元から遠く離れていたのは、
親不孝だったかな?きっと、淋しい思いばかりさせていたのでは?と後
悔しております。
 一方、近くにいる姑は今年の6月で101歳、頭のしっかりしている
姑の介護で、主人はかなりまいっているようです。その姑は息子である
主人は自分の手足と考えているようですが、嫁は他人らしくいまだに自
分の弱みはみせたくないようです。明治の女の意地を感じます。
 人間の生き方の幸不幸は最後まで本人にもわからないのではないでし
ょうか?

バルザック「ゴリオ爺さん」読んでおりませんが、主人の本棚にありま
した。私はバルザックは全然読んでいないことに 始めて気がつきまし
た。どうしてなんでしょうね?
Re:Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
がのさん (2007年03月13日 20時52分)

林ライスさん

【その3】

 年を重ねるなかで見えてくるものがたくさんあるということ。ものの
ほんとうの価値がどこにあるかが見えてくるということ。やっとそれが
わかってきたとき、過去の不実のシッペ返しとして、ゴリオ爺さんのよ
うに無一文で、だれからも見捨てられて死んでいくのかなあ、それもい
いかなあ、という感慨。
 よい子どもさんに恵まれた林ライスさんにはそんな惨めなことは、あ
りようはずがないのでしょうが。
 つまらぬことを書きすぎたようですね。
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