Re:Re:Re:純良な日本/陰影深い世界
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がのさん (2007年06月03日 12時24分)
candyさん
先日、映画「眉山」をみました。 私のふるさと徳島が舞台です。映画
では、眉山から見る徳島の景色、街から見る眉山がとてもきれいで、ふ
るさとを見直しました。ふるさとを離れて思うふるさとの良さ。住んで
いる時は、都会にあこがれましたが・・・私には都会は似合わないよう
です!ゆったりと、時が流れる空間がいちばんあっているようです。
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新しいものを追いかける生活は疲れます。「うつろはぬもの」のシン
プルな真実と深い味わいに惹かれ、なぐさめられます。
オモテの日記で“聖なる無頼詩人”中原中也について少しふれまし
た。それで思いつくのが、彼の生前最後に書いた詩、「四行詩」。こう
です。
おまへはもう、静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火をあとに
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。
そしてこころの呟きをゆっくり聴くがよい。
書きためた詩稿をそっくり、どうともしてくれ、と小林秀雄にあず
け、故郷の山口・湯田温泉に帰ります。都会のなかで、人との軋轢のな
かで、ズタズタに病んだこころを抱いて。帰って間もなく、他界しま
す。30歳という若さで。晩秋の10月22日でしたかね、命日は。
せわがしい世間をおもしろおかしく駆け回っていても、結局、人が帰
っていくところは「静かな部屋」という質素な懐ろ。いじらしいほどの
弱さでおさまっていく人の命。それでいいんでしょうね。
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Re:★愚かしくも美しい永遠の父親像―、子に与えつづけた老人の悲しい死(03月11日) [ 関連の日記 ]
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Play with meさん (2007年06月01日 23時31分)
こんばんは!!
ゴリオ爺さんの下を読み終わりました。
哀れな父性愛の結末に心を痛めると同時に田舎から出てきた青年ラステ
ィニャックの生き方にも興味を持って読みました。
はじめは学問も同時に修めようと思ったけれど結局はパリの社交界に落
ち込んでいく様、しかしゴリオ爺さんの最後を走り回って、お金を工面
して見取ったことに青年の純粋を見て安心しました。
でも最後は社交界に戻り、立身出世を夢見るのですね。
純粋な生き方を選んでいればどうなったか・・・とあとがきにもありま
したが、どんな物語が展開したのでしょうね。
読んでいて、アレッと思うことは本当に実在した人の事かな?と思うこ
ともありました。
人物再登場の手法なんですね。
ラスティニャックの将来での成功と老いの時も知りたくなりました。
「ニューシンゲーヌ商会」「骨董室」も読みたいと思いました。
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Re:Re:純良な日本/陰影深い世界
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candyさん (2007年06月01日 23時30分)
がのさん
【その2】
いまNHKの朝の連続ドラマ「どんど晴れ」でときどき見せる横浜も、あ
そこばっかり。
→本当にみなと未来の風景は良くドラマに出てきますね。「ああ、横浜
だ」と思います! 今風なんでしょうかね。撮影しやすいのでしょう。
今の日本人が描く都会が象徴されているのでしょうか?
先日、映画「眉山」をみました。
私のふるさと徳島が舞台です。
先に本を読みました。 阿波踊りの描写がとてもすばらしくて、学生
時代に、連(踊りのグループ)で、足が棒になるまで踊ったことを
思い出しました。映画もとても良く出来ていましたが、阿波踊りの季
節感、雰囲気は本のほうが強烈でした。さだまさしは、徳島出身では
ないのに、どうしてこれだけ阿波っ子の気持ちになれるのかと、思い
ました。
子どものころから体に染み付いたリズムは本を読んでいても体の中に
流れてきて、まるでその場所にいるようでした。
映画では、眉山から見る徳島の景色、街から見る眉山がとてもきれい
で、ふるさとを見直しました。
私は、市内の出身ではないので、いつも眉山を見上げていたわけでは
ありませんが・・・。
ふるさとを離れて思うふるさとの良さ。
住んでいる時は、都会にあこがれましたが・・・
今住んでいるのも、都会ではありませんね、ワハハ・・・。
私には都会は似合わないようです!
ゆったりと、時が流れる空間がいちばんあっているようです(^^)
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Re:純良な日本/陰影深い世界
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がのさん (2007年05月30日 15時02分)
candyさん
【その3】
まあ、そうは言うけど、自分のおカネで行って帰ってくるのだから、
ノーテンキでもいいじゃないか、どうせ遊びさ、何も学ばないでも無事
に帰ってこれればいいじゃないか、とも言えますが。愚かしいムダな消
費によって世界の経済がまわっている一面もありますのでね。でも、ど
うせ有り余って遊ぶためのおカネなら、食べるものもなく飢えて病んで
いる人のいる国、子どもに勉強する機会も与えられない貧しい国、異常
気象による自然災害で危機に見舞われている国に落としてきてもらいた
いですが。ゴールデンウィークに何十万、夏休みに何十万と海外へ出て
行くおシアワセな人たち。あの人たちがそういうところを見て知ってく
れたら、世界はガラッと変わるのでしょうけどね。
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Re:純良な日本/陰影深い世界
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がのさん (2007年05月30日 14時58分)
candyさん
【その2】
いまNHKの朝の連続ドラマ「どんど晴れ」でときどき見せる横浜も、あ
そこばっかり。まったくウソっぱちで、ほんとうの横浜はあんなところ
にはありません。人間の生活があそこにはありません。歴史のとばりに
閉ざされたもっとうす暗いところにホンモノは静かに眠っています。も
っともCandy さんにはあの機会に山手のほうまで歩いてもらいました
ね。何もないけれど独特の風が流れる、ホッとさせられる空間がありま
せんでしたか。そもそも、売らんかな、見せんかなの欲望がちょっとで
も見えるものは卑しくていけません
>先日『バベル』を見たときに、東京を舞台にした日本の場面が私には
とても違和感がありました。地球の中の小さな日本ですが、日本の顔・
日本の風景・日本らしい景色ってどんな所なんでしょうね。職業柄?海
外に興味がいきがちですが、日本のことも本当は良くわかっていないの
にと反省しております。
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そうなんですよね、海外に出て、日常から解放されてぜいたくな観光
をし、おいしいものを食べ、珍しいものを見て、いいベッドに寝て、お
みやげもいっぱい買ったし、ああ、よかった、よかった、サイコー!
で帰ってくる分にはいいのでしょうが、その土地の人と心でふれあおう
とするとき、あるいはその土地のホンモノを学びとろうとするとき、自
分がいかに日本のことを知らないか、ものを見るときのシンにすべき目
をいかに備えていないかに気づき、恥ずかしい思いをすることが多いで
すね。いかに日本人がうすっぺらな生き方をしている人種かを自分が日
本人を代表して世界にふれまわっているような後ろめたさがあって…。
日本のこころをよく知る人が見る外国の文物や風光は、同じもので
も、中身の空っぽの人が見るものとはぜんぜん質のちがうもののはず。
そう言ってすぐ思い出すのは、夏目漱石の見たヨーロッパ、森鴎外の見
て体験したヨーロッパ。ふたりともノイローゼのようになって帰国しま
すが、異文化に真っ向からぶつかり、それほどの内的な葛藤を経て、や
っと自分が見えてくるということですね。【つづく】
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Re:純良な日本/陰影深い世界
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がのさん (2007年05月30日 14時55分)
candyさん
【その1】
>アラン・ブースさんが純良な日本と言っていたのは津軽と沖縄だった
とか。昨日、奈良出身の河瀬監督の『殯の森』が、カンヌ国際映画祭で
グランプリを受賞しましたね。明日香ではありませんが、「奈良を日本の
原風景として世界にアピールしてくれた」と今日の新聞記事にありまし
た。
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津軽と沖縄にしかほんとうの日本はない、なんていわれると、なんと
なくわからないではありませんが、いやいや、そうはいうけどねぇ、と
いいたくもなりますね。奈良や明日香もそうでしょうし、Candyさんの郷
里の四国にも挙げたいところがあるでしょう。わたしだって、ここのと
ころ毎夏行っている尾瀬とか谷川岳、この魅力については、みんなに教
えてあげたいような、いやいや、わたしだけのものにしておいて他の人
には教えたくないとさえ思います。手じかなところで、ヒマなおりふら
りと行く鎌倉にも、あまり人に知られていないすばらしいところがあり
ますし。概していえることは、上からルックスの高い蛍光灯がついてし
まったところは、もうだめですね。横からのわずかな光というか、すだ
れや格子を通して入ってくる縞模様の光というか、竹林のあいだをぬけ
て来る光というか、つまり、明るすぎて陰影を失くした風景にはこのご
ろ趣きを感じなくなりました。癒しのない風景にはこころに添わないも
のを感じるようになってきました。加齢によるものでしょうか。
アラン・ブースが奈良や明日香を挙げないことにCandy さんはご不満
でしょうが、わたしにも不満があります。横浜といったら何かにつけ
て、テューターのみなさんも見たあのペッカペカの“みなとみらい21地
区”ということになっているようです (横浜にそれほど愛着をもってい
るわけではありませんが)。【つづく】
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純良な日本
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candyさん (2007年05月29日 22時19分)
アラン・ブースさんが純良な日本と言っていたのは津軽と沖縄だったと
か。
昨日、奈良出身の河瀬監督の『殯の森』が、カンヌ国際映画祭でグラン
プリを受賞しましたね。明日香ではありませんが、「奈良を日本の原風景
として世界にアピールしてくれた」と今日の新聞記事にありました。
先日『バベル』を見たときに、東京を舞台にした日本の場面が私にはと
ても違和感がありました。地球の中の小さな日本ですが、日本の顔・日
本の風景・日本らしい景色ってどんな所なんでしょうね。
職業柄?海外に興味がいきがちですが、日本のことも本当は良くわかっ
ていないのにと反省しております。
地域の小学校や中学校の体育祭の来賓席で、子ども達の競技をにこにこ
見つめるがのさん。地域活動に長く関わっておられたがのさんは、ちょ
っと今までの方とは違った自治会長さんでしょうね。高齢者にも若者に
も声を掛けられる存在は地域にとってとても貴重です。名前を思い出さ
なくてもにっこり「やあ!」とおっしゃれば向こうは覚えてくれています
よ!がのさんの地域の方々は幸せですね。お忙しいでしょうがご活躍
を!
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Re:「イブニングスター消える」でした。
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がのさん (2007年05月29日 18時09分)
candyさん
【その2】
記憶力の衰えは嘆かわしいことで、じつは今日(5月29日)、地域の中
学校の陸上体育祭でした。来賓席から元気なすがたを見ているとき、い
きなりわきからとびついてきた女の子が! 10年近い以前のこと、小学
校に「はまっこふれあいスクール」というのを立ち上げ、スタッフの一
人として3年間その活動にかかわりました。放課後の子どもたちと地域
のおとなたちがいっしょに遊ぶことを通じてふれあう、というものです
が、当時、小学1年生で、「がんちゃん」「がんちゃん」といってわた
しの手にぶらさがり、肩に乗ったりしていたやんちゃな子(当時、「がん
ちゃん」と呼ばれて子どもたちに親しまれていました)。ほんとうのおマ
メちゃんでしたが、もう中学2年生のレッキとした女の子、この体育祭
の運営を中心になってテキパキと仕切っていました。ほかにもチラホラ
と当時のおもかげをとどめる子が…。悔しいことに、そうした子たちの
名前がなかなか思い出せないんですね。名前がわかったら、こちらから
声をかけることもできたのに…、と情けない思いをいたしました。イヴ
ニングスターは消え、わたしからは記憶が消え…。ハッハッハ。
そういえば、去る土曜日(26日)は、小学校のほうの運動会でした。幼
い子たちの生きいきとした動きに感動させられました。日ごろは福祉活
動、市民活動のなかで高齢者に接する機会が多いなか、久々にみずみず
しい息吹きにふれる幸福に浴し、青年期に返ったような…。Candyさんた
ちはいつもその幸せのなかにいるんですね。テューターっていつも、弾
け飛ぶ命の前で記憶力を衰退させているイトマもない、ほんとうに恵ま
れている存在。
先にアラン・ブースが日本各地を歩き、純良な日本は津軽と沖縄にし
かない、と言っていたことを紹介しました。ところで、これはわたしの
不注意で聞きのがしたか、それとも忘れてしまったのか、彼はCandyさん
の住む明日香の里へは行ったのかな~、ということ。ひょっとすると、
“あおによし”の萬葉のふるさとには触れることなく逝ってしまったの
かなあ、あの萬葉歌碑の数かずを見せたら、彼はどう言ったろうかな
あ、と思ったりしています。万葉集を語りあった記憶がわたしにはない
んですよね。
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Re:「イブニングスター消える」でした。
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がのさん (2007年05月29日 18時01分)
candyさん
【その1】
>今日、開設時からファイルしている「テューター通信」を取り出して
読み返してみました。記事の部分を折って、張り出していたので、その
部分のみが黄色く変色しています。くりっとした目元が少年のようなア
ラン・ブースさんの写真と「イブニングスター、消える――アラン・ブー
ス氏を偲ぶ」。記事の主はがのさんですね。「イブニングスター、消え
る」、ぴったりのタイトルでした。
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もう、いやになっちゃいますね、忘れることばかり多くて。“夕星、
消える!” そうでしたね。写真を記事にいれたかどうかも記憶にあり
ませんでした。あごの運動のことまで書いたですかね~。抜粋いただい
た記事、ありがとうございました。そういわれてみれば、そうだったよ
うな…。ダメですねぇ。彼を偲ぶもうひとつのよすがとはなりました
が。
それにしても、Candyさん、すごい! そんな昔の「テューター通信」
までちゃんと持っておられるとは! たかだか小さな囲み記事をそんな
ふうに大事にしてくださっておいでとは! そういう奇特な方もいるの
ですから、どんなときもいいかげんな記事を書いてはいけませんね。こ
のごろはあちこちに雑文を書き散らす日々ですが、いい戒めになりまし
た。
それにつけても、ことばのきれいな人、声のきれいな人には、言うに
言えない魅力がありますよね。品格と気韻を感じます。それにひきか
え、容姿はすばらしくても、話してみるとスッパなことしか言えなかっ
たり、品のない声だったりすると、百年の恋もさめてしまうというか、
がっかりしてしまいます。とりわけ、わたしには依怙地な性格がありま
して、ペラペラ、ペラペラと早口で多弁を弄してしゃべる人をみると、
ああ、こいつは軽薄なウソツキだ、ごまかしだ、ほんとうの深みにおい
てものを考えていない、と思ってしまう傾向があります。その点、以
前、西田幾太郎先生の声を録音で聞いたことがあります。ラジオだった
でしょうか。難解な哲理のなかで生きた思想家ですが、その話は意外な
ほどやさしく、人間味あふれるものでした。落ち着いた深遠なことば、
胸にスッと落ちてくることばでした。わたしなんぞには及びもつかない
存在ですが、あんなことばづかい、あんな声にあこがれますね。
【つづく】
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「イブニングスター消える」でした。
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candyさん (2007年05月29日 00時50分)
印象的なタイトルだったのと、衝撃的な記事だったこと、そして、ラボ
ッ子と一緒に偲んだ思い出が鮮明に残っているので14年前にラボルー
ムにその記事を張り出したことも思い出しました。
今日、開設時からファイルしているテューター通信を取り出して読み返
してみました。
記事の部分を折って、張り出していたので、その部分のみが黄色く変色
しています。
くりっとした目元が少年のようなアラン・ブースさんの写真と「イブニン
グスター消える~アラン・ブース氏を偲ぶ~」
記事の主はがのさんですね。
みかんさんへの書き込みを読ませていただいた時に、あの追悼文はがの
さんが書かれたんだろうなと思いました。
読み返しながら、お二人のこだわりの会話をうらやましく想像しまし
た。
~録音本番前にはスタジオのマイクを前にしてあごの骨の動きをなめら
かにしておくといって口をいっぱいにあけ、左右に動かしてなにやら喚
くように声を発するのがくせだった。豊富な演劇経験をもっていること
もあり、発声法とキャラクターづくりには群をぬいて確かなものがあ
り、もっとも安心して任せられる声優さんのひとりだった。~
と記事の中にありますが、本当にたくさんのライブラリーの声でお世話
になっているのですね。
先週のラボでは久しぶりに「じぷた」をしたのですが、アラン・ブースさ
んの声だったのですね。
記事に掲載されていたお顔は、イブニングスターのイメージにぴったり
です。
「イブニングスター消える」・・・ぴったりのタイトルでした。
間違えて覚えていてごめんなさい。
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