Re:Re:■カラン、カラーン…。歳末の街をパンプくんでグルグル。(12月31日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2008年01月01日 17時57分)
candyさん
【その2】
>新年から、週一度、団地の中を防災団として、ボランティアで、夕
方、回るメンバーに入りました。地域のおばちゃんとして少しでもお役
に立てるならば、と。無理せず、沢山の方が参加できる形で始めること
になりました。これに、現役のお母様方も加わってくださると、もっと
みんなの交流がいい形でできるのになあと思っています。このままいく
と老人会!になりそう。
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老人会! まさにそうなんですね。さまざまな地域行事、文化行事を
進めるうえで、若い世代に期待、積極的な関わりを期待して重要な役割
を負わせようとするのですが、なんだかんだと言って逃げてしまいま
す。逃げられてしまった分をカヴァーして貧乏クジを引くのが、いつも
わたしのようなもの、ということになってしまいます。結局、あてにな
るのは、体力はないが安定した時間をもつご老人の方がた。重層的なコ
ミュニティをつくっていくむずかしさがここにあります。あっちでもこ
っちでも文化環境が壊れてしまい(壊されてしまったのは、自然環境だ
けではなく、人のこころの持ち方も)、支えあうことも知らない世代、
すべてをオカネに換算して計る社会にマニュアルどおりに生きることに
慣れてしまった世代との共生にはむずかしいものがある、と、つくづく
思いますね。
わたしたちの町では「学援隊」というものを組織し、小学生たちの登
校・下校を見守り、犯罪から子どもを守る活動をかなり厚く展開してい
ます。ここでは、十分とは言えないまでも、若いおかあさんたちと地域
の人たちとの協働がはかられ、割合うまくいっていますね(わたし自身
は、口のほうばかりで、現実的にはあまり関われないでいますが)。わ
たしたち高齢の部類に属するものにとっては、まぶしいほどに若い輝き
をもった彼女たちとのふれあいは、なかなか得がたい楽しみなのです
が。
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Re:Re:■カラン、カラーン…。歳末の街をパンプくんでグルグル。(12月31日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2008年01月01日 17時55分)
candyさん
明けましておめでとうございます。
どうぞ本年も相変わりませずお願い申し上げます。
【その1】
>私の団地でも、毎年、持ち回りで年末の火の用心を回りますが、それ
ほど政治家は来ませんし、子ども達の火の用心団はありません。子ども
達と町を回る火の用心は良いですねえ~!
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小・中学校の子どもたちの前で口演する機会が何度かあり、そんなな
かで、まだ小学生だから、まだ幼いのだから、といって甘えていてはい
けない、与えられ保護されるべき立場にのみ甘んじていてはいけない、
人はいろいろな人に支えられ助けられて生きる存在だが、それだけでな
く、自分のもっている能力を貸してやる、与えてやることによって、は
じめて「人」が「人」として生きることになるのだ、困った人を見たら
勇気をもつて手を貸してやろう、あたたかい小さなきみたちの手を、お
年寄りのみんなは大好きなんだから、…といったようなことを機会ある
ごとに訴えるものですから、少しは地域にこころを向ける子どもも出て
きてくれるようになっています。地域活動を将来へつないでいく、とい
う点から、彼らの参加はたいへん重要と考えています。夜回りをともに
する、川に沿う遊歩道をいっしょに汗して一斉清掃するなど、そんな形
で異なる世代が触れ合うことになり、子どもたちは社会力(どっかの大
学教授のいう机上の「社会力」とは違いますよ!)を自然のうちに身に
つけていくのだと、校長・副校長たちとたびたび語り合って進めていま
す。
ええ、ここでは、国会議員、地方議会議員には直接、よく会い、よく
議論しますよ。歳末特別警戒のようなときには議会は終わっているので
問題はないとしても、よくそんなに時間があるものだ、と思うほど、夏
祭りや神社の祭礼といった地域の行事や学校の行事、福祉施設でおこな
う季節行事、社会福祉協議会のさまざまなイヴェントなどに顔を出して
います、ある特定の党に所属する人を除いて。票集めももちろん意識に
あるでしょうが、地域のオピニョンリーダーたちと顔をつないでおくこ
とが、政治をしていく核心的な力になっていく、と考えているのでしょ
うね。意見を求める文書も、うるさいくらいよく届きます。
【つづく】
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Re:■カラン、カラーン…。歳末の街をパンプくんでグルグル。(12月31日) [ 関連の日記 ]
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candyさん (2007年12月31日 19時24分)
寒い中ご苦労様です!
でも、さすが横浜の自治会・・・と感心しています。
私の団地でも毎年回り持ちで年末の火の用心を回りますが、それほど政
治家は来ませんし、子ども達の火の用心団はありません。
子ども達と回る火の用心は良いですねえ~!
新年から週一度団地の中を防災団として、ボランティアで夕方回るメン
バーに入りました。すごく暇なわけではないのですが、文庫で自治会館
もお借りしているし、地域のおばちゃんとして少しでもお役に立てるな
らばと準備会に参加してみました。 がのさんのように退職して時間が
たっぷり(がのさんは違いましたね)ある男性がほとんどですので、「毎
日朝、夕回りましょう!!」と言う意見を出された方もいて、とてもつい
ていけないなあと思いましたが、「夏休みにお母さん方が毎日夕方お当番
で回っているのを参考にしてはどうですか?」という地域で子育て経験者
としての私の意見が通り、無理せず、沢山の方が参加できる形で始める
ことになりました。今まで何もかも奥さんに任せてきた男性達が地域に
関心を向けてきていることは歓迎すべきことだと思います。これに、現
役のお母様方も加わってくださるともっとみんなの交流がいい形ででき
るのになあと思っています。このままいくと老人会!!になりそうです
から。
新しい年もお身体に気をつけてご活躍下い。
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Re:Re:Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年12月01日 23時47分)
まじょまじょさん
【その3】
もうひとつ、私事ながら付言いたしますと、いまは毎日、愚妻の病気
のために大学病院通い、病室詰めなのですが(きょう土曜日は一時帰
宅)、この世界にも、さまざまに「先生」と呼ばれる人たちがいます。
その方面の第一人者、その分野の権威とあがめられる名医と折々出会い
ます。その名医ですが、知ったかがぶりしてあまり詳しいことはいわな
いけれど、やさしく丁寧に患者に対応してくれる先生がいるかと思え
ば、周囲に持ち上げられて相当いい気になっているのか、わけのわから
ぬ専門用語をいくつか並べたあとは、傲然と助手の医師に指示してツン
ケン、ツンケンとしている先生もいます。看護師の場合もそうですね。
ズッコケたり、いちいち要領が悪く手間どったりする人。ときにはイラ
イラさせられることもありますが、でも、病院のようなところにいてホ
ッとさせられるのは、そんな人のたたずまいですね。ゴリッパな看護師
さんは、どうも馴染めないし、病んで疲れたこころはソツなさだけでは
癒されない。
…とかなんとか、酔っ払い気分で不真面目に書いてきましたが、由布
姫をかならずしもズッコケのボケ姫と思っているわけではありませんの
で、お忘れなきよう。
して、かくなるうえは、とくと覚悟めされよ、土中にもぐろうと、雲
のうえに隠れようと、竹光なれば一刀両断ならずとも、げんこつグリグ
リでござるぞよ。ハッハ、よろしいかな?
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Re:Re:Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年12月01日 23時42分)
まじょまじょさん
【その2】
>(語学力を問うより以前に、質の高い深みある人間性)ずき~~~~
ん。では、教養と経験を兼ね備えた教員の前に立つには、いったい何が
必要? どうもはったりだけでは、もちそうにありません。とほほ…。
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だから! “ズッコケまじょ”のままでいいじゃないですか、という
より、仕方ないじゃないですか。ハッタリなんて、まじょまじょさんに
は似合いませんよ。テーマをめぐってこどもと向かい合う経験と、その
向かい合い方の質(これについては、昔、『チップス先生、さような
ら』を作品鑑賞するなかで、書いたことがあったような記憶が…)とい
うことでは、けっして劣ることのないキャリアをもっておられるし、系
列にしばられた「教育」という名のタガ、成績評価という桎梏のタガの
はまった先生がたより、自由闊達な発想でこどもの目を見られるのが、
最大の強みではないでしょうか。
わたしの場合、ラボを退職した直後、あれれ…という間に、地域の小
学生たちの放課後をともにする活動に関わる仕儀に。それを、こちらも
いつの間にか喜んで、ラボ・キャンプのようなスタイルでリードしたこ
とがありました。ぶらさがられ、乗っかられ、ともに汗まみれになり、
たいへんでしたが、楽しかったし、こどもたちにはメタメタ愛されまし
たですよね。そこは、マニュアルもない、ルールもない、無手勝つ流の
世界。そして、そこは、こども(カギっ子が多い)がいちばん生き生き
と命を燃やす世界。
口惜しいながら、いまはもう、その体力がありません。かつていっし
ょにあそんだこどもたちは、いまは中学生に、高校生に。そしてわたし
は、ときどき式典などの機会に背広すがたで彼らの前に立つという立場
に。つまらんことではありますが。
【つづく】
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Re:Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年12月01日 23時37分)
まじょまじょさん
【その1】
>(地域活動で)私ごときにできることは、たかが知れています。だいた
いいつもズッコケて、大ボケかましておりまして、でももしもブレるこ
となくやってこられたとしたら、それは私の周りにいる方々のおかげで
す。人に何か頼まれたり、力を貸して! と言われたら、それこそ自分
のレベルや力の限界をついうっかり忘れて、行け行けどんどん、と前に
進んでしまいます。
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ボケたりズッコケたり…。まっすぐブレなくわき目もふらずやっていれ
ば、そうなるのがふつうでしょうね。きょろきょろ色目をつかい、周囲
の顔色ばかり気にしてソツなくキッチリやろうとしても(それは「精神
衛生上」あまりよくなく)、うまくいくことはあまりありませんよね。
緊張から解放されたという23日の地区発表会、今回はどんなズッコケを
演じてくれましたか? そのシクジリを人間の弱さというのは間違い
で、だから周囲から親しまれ、愛されることになるのだろうと思うので
すが。皆さん自身がこどもたちの英語の発語をめぐってよく言うじゃな
いですか、間違っちゃいけない、正しく言おう、と意識すればするほ
ど、パニックになって頭がまっ白になってことばが出なくなり、言おう
といるときには話題はすでにそこから離れてしまって追いつけないでい
たり…。不正確さを気にせず、こころを開いて率直に表現するもののカ
チ~! と。
人のレベルなんて、何でしょうか。基本的にはそんなものはないんじゃ
ないでしょうか。その人に備わった品格とか素養の深い・浅い、誠実な
一途さがあるか、それともその場しのぎの器用さだけか、といった違い
はあるでしょうが。そこでしょう、まじょまじょさんにいろいろな方面
から声がかかるのは。出会う人一人ひとりを大事にするこころ、隔ての
ない気持ちよい礼儀を備えていることが、まじょまじょさんを輝かせて
いるんじゃないですか(たぶん、英語力がすぐれているから、ではない
と思うんですよ、失礼ながら)。
【つづく】
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Re:Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日) [ 関連の日記 ]
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まじょまじょさん (2007年12月01日 01時41分)
がのさんへ
【その2】
>こどもを前にしたときに求められるのは「人」ですよね、誠意ある人
間の全体性。とりわけ小学校にあっては、語学力を問うより以前に、質
の高い深みある人間性。
⇒ずき~~~~ん。では、教養と経験を兼ね備えた教員の前に立つに
は、いったい何が必要?
どうもはったりだけでは、もちそうにありません。とほほ・・。
>かつての「金ツマの街」は新しく「慶応の街」へ。あの日の大集会
は、この地域の小学校教育の関心の高さを知っての、小学校低学年への
英語導入をめぐるタウンミーティングだったんですね。悲しいかな、先
生がたがまったくついていけてないのが現状ですが。
⇒そうでしたか。教育レベルの高い保護者に求められる、質の高い学校
教育を検討するタウンミーティング。その席で堂々と発言なさるがのさ
んの一言一言に、大きくうなずいておられる方も多かったのでは・・
鬼にがのぼう(お~懐かしい!)「慶応の街」にもラボ旋風が巻き起こ
るといいな~。
>…さて、勘助と由布姫の約束、忘れてはいないでしょうね! 忘れ
ていたら、今度会ったとき、げんこつゴリゴリだからね!
⇒うわぁ~忘れてはいなかったのですが、はい、あまりにも時間が早く
流れ・・実態はやはりベールに包まれていたほうがよいかと存じます。
勘助の願いむなしく、由布姫は死んでしまったようですし・・ね。
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Re:Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日) [ 関連の日記 ]
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まじょまじょさん (2007年12月01日 01時39分)
がのさんへ
【その1】
23日に山梨地区の発表会が終わり、今週はパーティをお休み!
発表会終了後の開放感は格別です。そんなわけでやっと少し心の余裕が
でき、凍結していた自分のHPの更新もでき、こうしてがのさんところに
も書き込みさせていただくことができました。嬉しいです。(やっぱ
り、たまのお休みは精神衛生上必要ですね~)
小学校英語の研究発表会で、北海道の大学と地域の小学校で協働した、
「絵本を活用した英語活動」の報告があり、話題になったそうです。
・・・・まあ、今、そんなところなんだと思います。
>一方、ラボはラボ。ものがたりのこころを大事にしつつ、感性ゆたか
にことばに近づいていくスタイルは、それとは別。これまで、いささか
なりともブレることなくやってこられたまじょまじょさんのラボを、さ
らに進め、深めていく、ということでいいんじゃないでしょうか。
⇒私ごときにできることは、、、たかが知れています。だいたいいつも
ズッコケて、大ボケかましておりまして、でももしもブレることなくや
ってこられたとしたら、それは私の周りにいる方々のおかげです。
ずいぶん助けられ励まされてここまで歩いて(いや、ほとんど走っ
て!)きました。だから、人に何か頼まれたり、力を貸して!と言われ
たら、それこそ自分のレベルや力の限界をついうっかり忘れて、行け行
けどんどん、と前に進んでしまいます。困った性分です。
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Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年11月29日 01時20分)
まじょまじょさん
【その3】
それに、きびしい母親たちの目。もしも英語の先生でござんす、なんて
気どっていたら、たいへんですよ、この人たちを相手にするのは。テュ
ーターのレベルを超えるような英語力をもっていますし、国際交流経験
ならはるかに豊富。市民ボランティアでアシスタント・テイチャーをや
れそうな人なら、わたしの周辺だけでも十数人いますね。しかし、国際
的なセンス、語学力という点で申し分なくても、子どもの前に教育者と
してどう立つか、となると、そりゃあ、だめでしょうね。まじょまじょ
さんくらいの実力と実績とエスプリがあれば、ぜんぜんOKでしょうが。
一方、ラボはラボ。ものがたりのこころを大事にしつつ、感性ゆたか
にことばに近づいていくスタイルは、それとは別。これまで、いささか
なりともブレることなくやってこられたまじょまじょさんのラボを、さ
らに進め、深めていく、ということでいいんじゃないでしょうか。
最近、アレッと言う間にこのあたりの土地の価格がウナギのぼりして
いると思ったら、慶応義塾大学の小学部がすぐこの近くに進出、開校へ
向けて着々と工事が進んでいるとか。それを見越した進学戦争がすでに
モーレツに過熱。かつての「金ツマの街」は新しく「慶応の街」へ。目
ざとい人たちがいるものです。あの日の大集会は、この地域の小学校教
育の関心の高さを知っての、小学校低学年への英語導入をめぐるタウン
ミーティングだったんですね。悲しいかな、先生がたがまったくついて
いけてないのが現状ですが。
※…さて、勘助と由布姫の約束、忘れてはいないでしょうね! 忘れ
ていたら、今度会ったとき、げんこつゴリゴリだからね!
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Re:Re:★小学校低学年への英語導入、その模索の手ぶり(11月26日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2007年11月29日 01時18分)
まじょまじょさん
【その2】
> そうしたら、なんと夕方、市内の小学校の校長先生からお電話をい
ただき、「文科省の研究開発指定校になったものの、このままでは英語
嫌い量産していく可能性がある。(中略)ついては、まずわが校の教員
研修をお願いできないだろうか」というものでした。
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まあ、そうでしょう。市民力が期待されている、と当局に言われて、
まず思い浮かんだのは、テューターという人たちのこと。とりわけ、山
梨県や甲府市の教育をめぐる集いの場に、都度都度、何度も駆り出さ
れ、高い評価を受けてきた実績のあるまじょまじょさんですから、わた
しがもしその立場にあったとしても、「ねえ、ねえ、ちょっと…」と声
を掛けて助力をお願いすることになるでしょうね。
いろいろな課題が押し付けられることになりましょうが、まじょまじ
ょさんという「人間」ならだいじょうぶ、そのプログラム参加に太鼓判
を押してもいいですよ(わたしのハンコでは、あまり意味ないか!)。
>私は、ラボ・テューターなので、ここは思いっきり”ラボ”でいいのか
しら? 校長先生も教育委員会の指導主事も巻き込んでの、テーマ活動
は楽しいだろうか? 色や、動物や、くだものを覚える英語活動をして
きた先生方は、目から鱗になるでしょうか? それとも…、う~ん。
⇒まあ、そうでしょうね、事情もよくわからないまま期待をし、最初の
うちは、「いいんじゃない、なかなかおもしろい!」と。しかし、教育
現場がスジとしているところとのブレに気づいてくると、たちまち批判
が噴出してきます。ものすごく形式ばかりいう旧弊なところですから
ね、学校というところは。日々の課題に振り回されているためでしょう
か、ことばに対する感度が鈍すぎるように思います。遠まわりのようで
も、日本の古典文学の良質なものに、たえずふれているといいのでしょ
うが。
【つづく】
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