Re:★ヒマラヤの青い空を映す幻の花(06月18日) [ 関連の日記 ]
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keikoさん (2004年06月19日 08時39分)
長野の伊那の大鹿村というところに800株ほどの青いけしが見られるそうで
す。実際に見たことはなく、そこに行ったとき(鹿塩温泉という岩塩でもなく
山の中で塩分の濃い温泉が湧き出るのです)青いけしというのをはじめて知り
ました。こんなにきれいな写真で見られこころにひびいてくるようです。
ヒマラヤまでは行けそうもないのですが、南信だとなんとかなりそうなので行
きたいなと思いついたところです。
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Re:★ヒマラヤの青い空を映す幻の花(06月18日) [ 関連の日記 ]
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Play with meさん (2004年06月18日 23時26分)
心が洗われるような澄んだブルーの美しさにうっとりデス。
北海道で栽培できるのですね。
こんなお花畑の中でヒマラヤの笛の音を聞くと、世俗を忘れることでしょう。
キャンドルの輝きの中で聴く、あのライブラリーは格別ですよ。
ぜひ、お勧めです。
ここのところ、ゆったりとお話に向かえるような気分です。年令のせい??
(大阪の花の万博で見たのを思い出しました。)
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Re:JUNEサルビアレウカンサス
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がのさん (2004年06月11日 10時16分)
Play with meさん
>今頃咲くのは本当に珍しいですね。我が家のこのお花は、親友の形見になっ
てしまいました。美しく咲き誇っていました。その後ず~と秋に楽しませてく
れています。その友も3年前に旅立ちました。
――ありがとうございます。思い出の花なのですね。この花,近くに「サルビ
アレウカンサス」と案内標示があり,でも,違うんじゃない,この時期ならメ
ドーセージじゃないか,と思って調べてみました。
メドーセージ Meadow Sage(学名:Salvia Guaranitica 英名:Blue
Anise Sage, Brazilian Sage)。これならたしかにこの時期に咲きますよ
ね。きのう,読書サークルの人たちとの文学散歩で,太宰治の桜桃忌を前に三
鷹・玉川上水のあたりを案内してまわりましたが,その際あちこちで見たメド
ーセージとは,横浜で見たものと比べて,花のつき方も葉の形,枝の分かれ
方,その他の点でやはりぜんぜん違うんですね。陽のよく当たるところでした
し,港にも近いですし,狂い咲きだったのでしょうか,それとも改良種でしょ
うか。
この秋もその大事なお友だちの名残りのその花がPlay with meさんのお庭で
きれいに咲いてくれることでしょうね。
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JUNEサルビアレウカンサス
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Play with meさん (2004年06月11日 01時51分)
今頃咲くのは本当に珍しいですね。暖かい気候なのでしょうか?
一度、秋に芽が出ますが寒さで枯れてしまうのが毎年の繰り返しです。
いま、新芽が30センチほどになっています。
我が家のこのお花は、親友の形見になってしまいました。
京都の遷都??年の時に作られた公園を親友と散策した時、美しく咲き誇って
いました。彼女の庭にも美しく咲かせているそうで、苗を宅配してくれまし
た。その後ず~と秋に楽しませてくれています。
その友も3年前に旅立ちました。この花を見るたびに美しい彼女を想います。
今年は株分けをしてやりました。
レウカンサス=メキシカンブッシュ と知りませんでした。
どっちが本当なんだろう?と思っていました。
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Re:★芥川「利己心のない愛」とは…(06月06日) [ 関連の日記 ]
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さとみさん (2004年06月08日 23時20分)
がのさん、スミティさんへ
>今、パーティの子どもたちやお母さん方に言っているのは、『私はどう
感じるのか。人ではなく、あなた自身はどう思うのか、どうしたいの
か。それを伝えよう』と。これってテーマ活動の中でいつも言っている
ことなのですけどね。
ついでに、『利己心のない愛』とは、究極『自己愛』かもと私は思うの
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そうですね。今の日本の社会では、敢えてそんなことをつきつけられる場面
は、あまりないまま社会に出てしまい、なんなら結婚して子どもをもって、、
子育てしてはじめて自分は一体何をどうしたいのか。自分の子どもにはどう育
って欲しいのか、、つきつけられる。
自分が何者かがわからないままでは、他人との違いも結局受け入れられず、そ
れは親子関係にも通じることなのかもしれませんね。究極のところ、自分しか
愛せない人間が増えてしまっている?!
そんな人間が親になってしまている?!
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>ラボの理想のひとつである異文化とのふれあいと併せ,タテ長をほんとう
のタテ長にして日常的に多世代とふれあうことのできる環境づくりも考えてみ
るというのは…。
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今こそ、ラボの活動をおじいちゃん、おばあちゃんも巻き込んだラボの輪を広
げていけたら、素敵ですね。
建設的な展望が見えてきたところで、
セーノ、チャチャチャ、グッグッ、チャチャチャ、グッ、ピー、シュワッチ
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Re:Re:Re:★芥川「利己心のない愛」とは…(06月06日) [ 関連の日記 ]
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スミティさん (2004年06月08日 21時38分)
話題に割り込ませていただきます。
今のお母さん方はまさにそこで悩んでいらっしゃる。
私は 距離感というより、自己と他者のエリア感というか、領域感とい
うか、範囲をどこまでに取るかという気がするのですが。
母と娘なんてお互いの気持ちが分かりすぎるほど分かって、どこまでが
自分の気持ちで、どこからが相手の気持ちなんだか分からなくなって、
そこから、これは私なのよーと、もがき始めるのが小5くらいの気がしま
す。私自身を振り返っても。昨日も、小5の女の子のお母さんとそういう
話をしました。
小5、小6の女の子の友人関係もそれに似たところがあって、仲のいい子
とは、、気持ちが分かりすぎて、相手の期待も、みんな分かる。その中
で、自分自身はどうしたいのか、本当の自分お気持ちは何なのかわから
なくなるというか、自分自身に向き合えなくなるというか。
今、パーティの子どもたちやお母さん方に言っているのは、『私はどう
感じるのか。人ではなく、あなた自身はどう思うのか、どうしたいの
か。それを伝えよう』と。これってテーマ活動の中でいつも言っている
ことなのですけどね。
ついでに、『利己心のない愛』とは、究極『自己愛』かもと私は思うの
ですが。こんなことぽんと書くと誤解されかねませんが。
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Re:Re:★芥川「利己心のない愛」とは…(06月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2004年06月08日 20時57分)
さとみさん
>「厳しさをともなわない愛は、どんな愛も単なる利己愛にすぎない」
子どもが一人の人間として社会に巣立っていく時に、必要な力。
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ふと思いついたことがあります。時代を動かし新しい社会づくりに貢献した歴
史的な大人物のことを読んでいて,意外に多いのが,父母の慈しみを受けて幼
少期を過ごしたというよりは,祖父母に可愛がられ,いろいろな体験をし,そ
の都度,教えられるということもなしに教えられつつ育ったというタイプの人
物。
ここに大事な「距離感」の秘密があるのではないか,…という思いつきです。
父母は現実的なやりくりに日々きりきり舞いをしています。昔の人は子どもの
ことをかまっているゆとりはなかったのでしょう。お父さんに限らずもお母さ
んもいつも背中を向けて何か黙々と仕事をしていました。それにひきかえ,お
じいさん・おばあさんにはゆとりがありますね。それに,たくさんの経験智を
もっています。そして,父母より一世代多く生きてきた人です。時間の感覚,
歴史の感覚が違います。ですから,いつもおじいさん・おばあさんのそばで育
った人は,目の前のものを性急に追うのではなく,長いスパン,広い視野から
冷静に客観的にものを見る力を知らず識らずのうちに体得していた,それがゆ
くゆくは時代を動かすエネルギーとなっていった――。そう考えるのはこじつ
けでしょうかね。
親の利己的な愛がどう働くかというと,自分の仕事をどんなことをしてでも継
がせるというようなリアルな例も含まれるかも知れません。それはなかなかう
まくいかないことが多いですよね。
利己心を離れた祖父母と孫のあいだの距離がちょうどよい,そんな感じがしま
す。核家族化の時代にそれは非現実的かも知れませんね。でも,どうでしょう
か,ラボの理想のひとつである異文化とのふれあいと併せ,タテ長をほんとう
のタテ長にして日常的に多世代とふれあうことのできる環境づくりも考えてみ
るというのは…。
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Re:Re:★芥川「利己心のない愛」とは…(06月06日) [ 関連の日記 ]
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がのさん (2004年06月08日 01時09分)
さとみさん,Hiromi~さん
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父母会のなかで「利己愛」「利己心のない愛」が語られたというのはたいへん
興味のあることですね。芥川の一文を借りて「利己心のない愛」というものを
みなさんの前に投げ出してみました。むずかしいことですね。加えて,わたし
は母親だったこともテューターだったことも(恥かしながら,父親らしかった
ことも)ない身,はっきり申してわかりません。
じつはついさきごろ,スミティさんの掲示板に書き込ませていただいたことな
のですが,コミュニケーションにおいては,ことば以前に人と人との関係性,
その距離の取り方が問題なのではないかということを書き,芥川が言っている
のもそのことなのではないかと思うのですが,どうでしょうか。平たく言え
ば,べったりな関係からはほんとうの価値ある個性的なものは生まれないとい
うこと。このごろのお母さんは美しいだけでなくやさしいですからね,叱りつ
けたり撥ねつけたりはなかなかしないようですし,自分の子どものこととなる
と何から何まで知らないと気がすまないらしい。突き放すなんてとんでもない
こと。そうやって親が子を偏愛するあまり,子が自分で考え判断する前にぜん
ぶ親が取り上げてやってしまう。自分の頭脳で判断する経験がないから,何を
やっても実感が薄く,ひとを傷つけてもその痛みはわからない。芥川のいう
「暴君」は必ずしも家庭内暴力のことを意味してはいないと思いますが,自分
の欲のことのほかには考えない人格,本当の実力はないのに「おれが,おれ
が」を振りまわす暴君に陥りやすい,またはひとに互して戦う力のない,免疫
力のない弱い人間を生んでしまう――21世紀人に向けるそういう警告だった
のではないかと推測しますが,どうでしょうか。
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Re:★芥川「利己心のない愛」とは…(06月06日) [ 関連の日記 ]
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さとみさん (2004年06月07日 22時59分)
がのさま
母としてテューターとして考えさせられました。
私が自分の子どにもラボッ子にも向き合う時に、忘れない様にしていること
は、
「厳しさをともなわない愛は、どんな愛も単なる利己愛にすぎない」
子どもが一人の人間として社会に巣立っていく時に、必要な力。
その力を供えて欲しいと思うとき、時には厳しさをもって伝えていかなけれ
ば、どんなに無償の愛として、子どもをいとおしいと思っても、それは自己満
足な利己愛の域を越えられない。
なんだか、観念的なことしか書けませんが、今日の父母会でそんなテーマでひ
としきりお母さん方と真剣に話し合いがされました。
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Re:★芥川「利己心のない愛」とは…(06月06日) [ 関連の日記 ]
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Hiromi~さん (2004年06月06日 16時00分)
「利己心のない愛」まさに現代の世相というか、最近の子供の様々な、事件
や、虐待。本当にそんな感じがします。がのさんのように深く本を読んでいま
せんので、よくわかりませんが、21世紀を、予言していた言葉だという事に
うなずける感じがします。
テューターという第三者が親とこどもの間に入りうまく機能していること
は、私自身も思います。自我自賛のようになりますが、ラボに来ている子供達
は幸せだといつも思うのです。
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