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昭和の話 |
10月11日 (日) |
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コロナ禍に思う昭和の話。
コロナはまだ容易におさまりそうにない。我慢と知恵で対処して過ごさねばならぬ。
近所の小学生は毎日マスクをかけて登校している。春から休校になって友達や先生にも会えない家での生活の時期。やっと登校できるようになっても、楽しい給食の時間は私語禁止とか、お互いに距離を保つという日常は、子供の生活には困難極まりないものだと思う。
学力や性格形成に影響はあるだろうか。
ない、とはいえないだろうが、心配はないものだ。
こんな時代があったのだと、言える時が来るものだ。
私が小学校一年に入学したと思ったら、まもなく国民学校と変わった。これで中身がどう変わったのだろう。
若い男の先生はみんな軍隊にとられ、6年間に8人の担任の先生が変わり、年寄りと女の先生ばかり。代用教員という言葉もあった。
終戦が6年生であるから、5年6年はほとんど勉強はしていない。
今のマスク姿の代わりにいつも防空頭巾というのをいれたふくろを肩から掛けていた。
運動場は食糧生産のため畑となり、さつまいもなどを一生懸命作ったのを覚えている。
畑には肥料がいる。校庭の隅にいくつもの木の枠を置き、家庭から持ち寄った生ごみを入れてたい肥にした。
さらに思い出すのは馬糞集め。
其の頃はまだ、馬車が町中を通り、馬が糞を落としていく。それを見ると、喜んで友達と二人で く さ み を持って駆け寄り、ころころの臭いおまんじゅうを拾い得意気に学校に持っていった。 (確か、「くさみ」と言っていた覚えがあるが、竹で編んだ塵取り風のざる)
時代に押し寄せる波は致し方ないものがある。長い人生は、それらを何とか埋め合わせてしまう。
コロナ時代もそんな風に話せる時が来ると思う。
それが少しでも早いことを祈る。
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