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ラボ中川P国際交流体験レポート2017 ミズーリ州 倉世古美姫(くらせこみき) |
10月06日 (金) |
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私の大切な経験
中川パーティ 御薗中学1年生 倉世古美姫

私は、今夏、ミズーリ州ヴィエナ市に住む、ロワード家にホームステイをしました。 7月22日の対面式にはホスト、弟、ホストマザーが来てくれました。 事前にメール連絡をとりあっていたのにもかかわらず、 すごく緊張してしまい、その場で固まってしまいました。 そこでホストから「みき、きて」「あなたに会えてうれしい」と言われて安心しました。 しかしお返しのことばが出てきませんでした。 「緊張していたらことばがでないのだ。この人たちと一か月過ごしていくのだ」と気づき、 「緊張していたらダメ、一か月一緒に過ごすことを考えよう」と決心しました。

ホームステイ中、そうめんとちらし寿司を作りました。 作るまえに「作っていい?」と聞いたら大喜びでした。 お母さんはカメラを持ってちらし寿司をとっていました。 作っている最中、私がたまごのやき方ときゅうりの切り方を教えました。 日本料理店にも行きましたが、そのときとは違うちらし寿司だったので “good”とみんながいってくれました。この時は、家に居ないことが多いお父さんも食べてくれて嬉しかったです。

ホストファミリーにおりがみを教えたら、 ホストは毎日「おりがみのおりかたがわからない」ときいてくれました。 教えてあげたら〝Thank You″といってくれたので嬉しかったです。 ホストの弟は「自分で考える」といって頑張っていました。 おりがみひとつでもコミュニケーションがとれるということを学びました。 すがたりは、最後の夜に「すてきなワフ家」を英語で語り、 聴いてもらいました。家族全員がリビングにそろうことが少なかったので、 この時がチャンスでした。わたしは勇気を持ってチャレンジすることが大切だと思いました。

ホーム・スティが始まって一週間くらいたったころ、 ホームシックになりました。 毎日ホストの友達がやってきて、ホストが遊びに行ってしまう、 そのことから、ホームシックになったのかな、と思います。 ホームシックは複雑で、自分とは思えないくらい泣いてしまいました。 けれど、それを変えてくれたのは日本から届いたお母さんの手紙でした。 手紙の最後に「どんなときも楽しんでください」と書いてあり、 それが私にとっての励ましのことばになりました。 国も違う、言葉も違う、ホストが離れていくのが嫌で日本に帰りたい、 それが私のホームシックでした。 落ち込んだ時や嫌になったときでも、 お母さんの手紙にあったように、「楽しむこと」で、 ホームシックそのものを忘れていき、楽しくなっていきました。
ヴィエナ市の市長さんを訪問しました。伊勢市の市長さんのメッセージとおみやげを渡したら、 市長さんは伊勢市長への返事を書いて、おみやげも託してくれました。 この後、新聞に、私のことが大きく掲載され、驚きました。


アメリカの友達はわたしのことを何も知らないし、 ことばをかけられることには徐々になれてきましたが、 どう言葉をかえしたらいいのかわかりませんでした。 でもそのような時でも、悩まず、笑顔だけは忘れませんでした。 私のホームステイを良いものに変えてくれたのはみんなの力でした。 トランポリンゲームで、ホストの弟やその友達と遊んでいるうちに、 いつの間にか仲良くなっていきました。 その時、私は心から楽しんでいて、 自然な笑顔でHAPPYな気持ちだったと思います。 笑顔でいるとみんなもHAPPYになり、人間関係も変えていくということを学びました。 この夏のアメリカでのホームステイは、私にとって、大切な経験となりました。
ありがとうございました。

 中日新聞2017,7月15日掲載
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