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小夜の中山の浮世絵美術館と夜泣き石 |
12月23日 (金) |
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小夜(さよ)の中山といえば、旧東海道の難所のひとつ。
年たけてまた越ゆべくと思ひきや 命なりけり小夜の中山
西行法師も命がけのその険しさをうたっていますね。
都方面から東国(関東方面)を目ざすには、三つの難所がある、
といわれ、鈴鹿、箱根とともに挙げられていたのが小夜の中山。
現在の住所は静岡県掛川市佐夜鹿(さよじか)になります。
見下ろせば、山肌に茶畑がひろがる風光明媚なところながら、
たいへん険しい峠道です。歌川広重も葛飾北斎も、また他の絵師も
ここに来て東海道五十三次などの絵を描いていますね。
みなさんにはご記憶ないかと思いますが、わたしの童話集に
ときどき登場する「小夜」ちゃんという少女、
ちょっとおとなびた、感性するどい、とても賢い子ども。
わたしのなかでは、ルノワールの名作「少女イレーヌ」のイメージの女の子。
(イレーヌ・カーン・ダンベール)
その物語とはまったく無関係なのですけれど、
どこかで結びついてしまっていて、「小夜の中山」はずうっと気になっていました。
☆
このたび、小夜の中山の頂き、「小夜の中山公園」のほぼまん前にある
浮世絵美術館「夢灯」(ゆめあかり)を訪れました。
目立たぬ、ごくごく質素な美術館ですが、どうしてどうして、
ほかでは見られないユニークな浮世絵が所蔵されています。
ちょうどこの時期、開館10周年を記念して、枕絵本特別展をやっていました。
いわゆる春本ですね。たかが春本と侮るなかれ、
これがまさに世界に誇る浮世絵の原質になっていること、
競い合って高められた、きわめて高度な表現技術であり、
江戸町民の暮らしを細微にわたってみごとに映すものだと、よくわかります。
それにしても、江戸の人びと、楽しむことにほんとうに貪欲なんですね。
☆
さて、広重の絵にも北斎の絵にも、
手前にゴロンとまるい石が描かれているのがおわかりでしょうか。
これが「夜泣き石」で、古い悲しい伝説をいまに伝えています。
かいつまんでそのストーリィをご紹介します。
お石さんという妊娠した女の人がこの峠を越えようとしていました。
まずいことに、そこで産気づいてしまったのです。
松の木の根元のまるい石にもたれかかって苦しんでいるその折、
男が通りかかって女の人を介抱します。
親切なやさしい男かと思われましたが、
お石さんが何がしかのお金をもっていることを知ると、
くるりと態度を一変、持っていた太刀で斬りつけ、お金を奪って逃げます。
母親は血まみれになり、瀕死の状態で石にすがって出産、
生まれた子どもをあわれんで泣きました。
泣きながら死んでいきました。悲痛なその泣き声が石に浸みついたか、
里人は夜になるたび悲しげなその泣き声を耳にしたという。
生まれ落ちた赤子は、近くの久延寺(きゅうえんじ)の住職によって
拾われ、育てられ、長じて評判の刀研師になります。
あるとき、刃のこぼれた刀をもった男の客があらわれました。
いろいろ聞けば、その刀が小夜の中山で妊婦を殺めたものだとわかり、
若ものは研ぎあがったその刀でついに仇を討つ、という物語。

久延寺境内にある夜泣き石。子育て観音としていまもひとが訪れる
浮世絵美術館とほぼ並ぶようにして久延寺という古い寺があります。
その境内に「夜泣き石」が祀られています。
が、じつはこれはニセモノで、本来の「夜泣き石」は、
こことはちょっと離れた、国道1号線の
小夜の中山トンネルの手前の道路脇にあります。
もとは道のまん中にあったらしいですが、その後、通行の邪魔で、
道路の脇に置かれるようになったとか。
国道1号線脇にある本来の夜泣き石
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