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笑いの隠し味 |
11月08日 (火) |
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1年ぶりの狂言鑑賞。狂言と語りで、腹の皮をよじってきました。
伝統的古典芸能としての狂言をめぐる講演につづいて
大蔵流狂言三番と語り。狂言は「萩大名」と「月見座頭」と「首引」、
語りは「呉服(くれは)」。
「萩大名」を除いては初めて観る狂言でした。
「萩大名」と「月見座頭」は、笑いというよりは、「萩」であり「月」であり、
秋の風情をしっとりと味わう清雅な調子。
「月見座頭」にいたっては、能の名曲「弱法師(よろぼし)」を想わせる
しんみりとした情緒さえ感じさせられました。
一方、腹がいたくなるほど笑ったのは「首引」という作。
室町、江戸の先人たちは、こういうもので腹の底を踊らせていたのか!
鎮西八郎為朝といえば、鬼退治のエピソードで知られる人物。
アドがその為朝ゆかりの者という設定(為朝そのひとという説もあり、
わたしはこの説でいいのではないか、と思うのですが)。
西国から都へのぼろうとして鬼につかまります。(親鬼がシテ)
この親鬼には娘がいます。秘蔵のこの姫鬼の「喰い初め」に
捕えた若者・為朝を供しようと、親鬼はあの手この手のお膳立てをします。
さあ、喰え、噛みつけと促しますが、初心(うぶ)で小心の姫鬼は怖がって
噛みつくどころではありません。近づいては悲鳴をあげて引き返してきます。
親鬼の苛立ちは極点に達します。
揚げ句、姫鬼と為朝とで決戦勝負をさせることに。
若者もその勝負に負けたら、おとなしく喰われよう、と約束する。
“腕押し”をやっても“臑(すね)押し”をやっても、姫鬼は若者に勝てない。
それなら“首引き”で、となります。長い綱を輪にして、
それをふたりで首に掛けて引き合うというもの。この勝負でも姫鬼の形勢が悪い。
親鬼の焦慮はいよいよ頂点に達し、どうしても娘に勝たせてやろうと、
眷属の鬼どもを全員呼び集めて姫鬼に加勢させます。
「おおきなかぶ」をみんなで、よいしょ、よいしょ、と引っ張るようにして。
親鬼は、それ引け、やれ引け、とやっきになって囃し立てます。
しかし、力は為朝のほうが勝り、眷属の鬼どもを綱でつなげたまま引きづりまわします。
舞台いっぱいにさんざん引きづりまわした末、為朝がパッと綱を外すと、
鬼どもはそろって、もんどりうって将棋倒しに!
眷属の鬼どもが目をまわしてひっくり返っている間に、
為朝はスタコラサッサと…。
☆
笑いのポイントは、その痛快な結末のおかしみにあるのかも知れませんが、
それよりは、親鬼が娘を可愛がる、その愛し方、世話のやき方のほうにあるのでは、
というのがわたしの見解。だって、こんな荒唐無稽な話を
作者はどんなねらいで書いたのだろうか、と推察してみるのですが、
往時の武家社会にあっては(テレビや映画のフィクション世界とは違って)
男親が娘を可愛がるというのは、まずなかったといっていいでしょう。
女をチヤホヤするのは男の恥とされていた時代。
親の政略のためにのみ生きた娘たち。
そんな武家社会(ひとの生き血を吸って威張って生きている鬼たち)の、
非人道性、窮屈さを、町民感覚で揶揄したのが
この一番だったのではないか、と。
☆写真は「月見座頭」で盲人(シテ)を演じる山本東次郎さん
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