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笑っておさめよ |
11月26日 (木) |
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久しぶりの狂言鑑賞。
「粟田口」「神鳴」「文山立」、
あいだに語りの「重衡」(しげひら)をはさんでの大蔵流狂言三番。
狂言はいろいろな機会にけっこう多く見てきたつもりですが、
「神鳴(かみなり)」も「文山立(ふみやまだち)」も、これが初めて。
やはり、おもしろかったです。
「文山立」の一場面 シテ・山本則俊、アド・山本則秀
わたしの感じる狂言のおもしろさ、その特質、魅力については
この「ひろば@」でも何度か書いた記憶がありますが、
加えて、今回、日本固有のこの古典芸能はちっとも古くなく、
まさに「今」を語っていることに気づきましたので、
「文山立」にそって、その一点を。
登場するのは二人の山立。
和泉流のほうではこの曲を「文山賊」としているように、
山立とは、追剥(おいはぎ)、山賊のこと。
「やれやれ」といわれてアドは旅人を逃がしてやる。
ところがシテとしては、とっつかまえろ、といったはずだ、
見逃せとは言ってない、と。すれちがう言語遊戯ですかね。
仕事をし損じた二人の山賊は、こんな相棒といっしょにはやっていけない、と
口論になり、とっ組み合いのケンカになり、命をかけた果し合いになる。
さんざん争った末、揚げ句には、どっちも疲れてしばし休戦。
このさき、争ってどちらかが死ぬについては、
この事情を妻子に書き置きしておく必要がある、と合意、遺書を残すことに。
あれこれ書き留めているうち、あとに残す女房や子どものことが思い出され、
おいおい泣き出してしまう。
そして、互いにちょっと我慢すれば済むことだ、と、すべてを水に流し、
笑って和解し、連れ立って帰って行く、といった筋立て。
旅人を襲って平気で殺し、物を奪う悪行をなりわいとするあらくれものが
自分の命を惜しむというギャップのおかしさ、家族を思うやさしさ。
さて、現実のわたしたちの世界はどうなっているか。
宗教問題から、人種問題から、ハチの巣をつついたような混乱状態にある中近東やアフリカ諸国。
テロが空爆を呼び、空爆がテロを呼ぶ、報復の負の連鎖が繰り返される
過激集団ISと有志連合(日本を含む)のあいだの殺戮行為。
トルコとロシアのあいだもこじれている。
核や拉致の問題を抱える北朝鮮、露骨な海洋進出をはかる中国、
歴史問題のわだちからぬけない韓国と日本の関係、いや、
沖縄住民と現政権のあいだの基地移転問題をめぐる対立、……などなど。
混迷はつづき、深まるばかり、どこに解決の糸口があるのかわからない。
不和・対立・無理解・誤解を、最後にはおおらかに笑いのめして
互いに和解しあう、そんな狂言の世界。
笑いごとじゃすまないよ、とはわかっているけれど、ここは、
わたしたちは謙虚に、冷静に、いや、もっと質朴に
ひとのまことに立ち返って、そこに学ぶ道がありはしないか。
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