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✦かくも美しい、尊ぶべきこころ、たくましいこころ |
07月04日 (月) |
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東日本大震災から間もなく4か月。その傷跡は深く、同時代人としてその復興にいささかなりの手を差し伸べたいと願いつつ、さしたることもできないまま、チャンスは数回あったのに、未だに被災現地に行けないでいる。
そんな体たらくのなか、6月末、伊豆に旅した。何度かここで紹介させてもらったことのあるラボ職員OB・OGでつくるLabo Evermate Club の年1回のツアーである。昨年だけはわたしの個的な事情があってついに継続は途切れてしまったが、ここ15年にわたって続けてきた小旅行。親しい仲間同士の自由闊達な、言いかえれば、車を駆ってのその場その場の気まぐれな旅。一昨年の例は、伊勢のJUNKOさんがご紹介してくれましたが、渥美半島から鳥羽、伊勢、伊賀上野などをぐるぐるめぐった。JUNKOさんとそのご父兄、松阪市の浜口Tにはひとかたならぬお世話になった。
さまざまな旅の愉しみはもちろんだが、醍醐味は何ものにも捉われぬおしゃべり。だれにも遠慮はない。ラボ退職後のそれぞれの生き方に、都度、こころ震える感動をもらうことになる、…泣かず飛ばずの私の場合は別にして。そのおしゃべりの一端を。
H氏。64歳になる。介護福祉方面の仕事のあと、最近、市の国際交流課に週2日程度、非常勤で出ている。畑を耕し、つい最近では玉ねぎ1千本を植えた(播いた?)とか。
4月27日から5月8日の12日間、ベトナムのキャンプに参加。フィッシャーヴィレッジ〔F.V〕の支援が目的。F.Vとは、ハノイ市内を流れるホン河(紅河ともいわれる)沿岸にドラム缶を浮かべ、その上に掘っ立て小屋を建てて住んでいる人たちの集落。地方から仕事を求めて都会に出てきたが、失敗。田舎に帰ろうにも、何もかも売り払って出てきているので帰るに帰れない。その子どもたちは学校に行けない。そんな彼らにどんな支援の手を差し伸べたらよいのか。F.Vの女性たちを集め、その自立を促すため、アクリルたわしの編み方の講習を。わずかな収入だが、まずはそのお金で薬を買ったり病院に行って治療を受けられるように。アクリル毛糸は日本から持ち込んだ。また、井戸に浄水器を設置した。F.Vには3本の井戸がある。ユニセフの寄付による。この井戸に、ドラム缶大のプラスチック製の樽に、砂やジャリ、炭を何層にも入れて浄水器にし、それをとりつけた。12月にはもう一度行くという。
またその前、この8月には、フィリピンに行く。みなさんの多くが記録映画「神の子たち」God’s Children をご覧になっておいででしょう。スカベンジャー。ゴミ溜めの中に生き、ゴミを唯一の収入源にして生きている人びと。不潔と見るか、たくましいと見るか。飢えても病んでも、その貧しさに耐えるほかない彼らの日々。でも、子どもらの瞳はあんなにも清く深く澄んで、きららかに輝いている。なぜ…? 希望とは、夢とは、そんなにも人を強くするものか! そんな映画でしたね。腐臭のひどさ。雨が降っても風が吹いてもたいへんなところ。その彼らと生活をともにするというH氏。
前回のツアーで聞いたのは、国内でのさまざまな活動。たとえば、このほど世界自然遺産に登録された小笠原諸島。固有種が生息する貴重な島だが、25時間の船旅の酔いに耐え、外来種のトカゲの捕獲やアカギの伐採のボランティアに参加、また白神山地のブナ林保全の活動にも力を注いでいる。
自分の世界をどんどん突き破って挑戦するそのたくましさ、健康さ。世界の忘れられた存在、困窮の極にある人たちに、わが身を投げだしてぶつかる強い意思。それにひきかえ、震災の被災現地にも行けずにいるわたしの意思薄弱さ、ひ弱さが恥ずかしい。
H氏のことだけでも書き尽くせないものがあるが、もうひとつ、このボランティア活動に関連してH氏のことばを紹介したい。前述のF.Vのキャンプの期間中、一泊だけホームステイを体験した。いっしょにボランティアに当たった現地スタッフの一人の家庭。食後のなごみのなか、H氏、持参したフルートで「ふるさと」や「大きな古時計」を吹く。そのあとで「そのフルートはいくらくらいするものなのか」と問われ、ついいい気になって十数万円したその値段を言ってしまった。貨幣価値が違うとはいえ、その十数万円あればここの8人家族が1年間ゆうゆうと生活できる土地がら。「一生の不覚」とH氏は悔やむ。そういう高い目線でボランティアをしているつもりはなかったが、いや、どこかこころの底にそれがあったに違いない、と目のまわりを濡らし言葉をゆらす。その償いのつもりでもう一度ベトナムへ行くという。
A氏。2年前にその後の職場からもリタイア。原発推進をはかる市と対峙し、先頭に立って反対運動をしている、…だけでなく、「源氏物語」を原文で読んでいる。岩波の日本古典文学全集「源氏物語」全6巻のうち3巻まではすでに読んだ。その読み方がおもしろい。家にあっては、解説までを丁寧に読み、古語辞典とにらめっこしつつ読み、早朝のウォーキングの際には一冊を持参して家を出、神社の境内などで声を出して読むのを日課にしているという。「源氏…」が終わったら「平家物語」「枕草子」も、と。テレビの英語講座も欠かさず聴いているというから、このA氏もすごい。
どちらもお金のことには迂遠だが、理由はともかく、自分を飛び越え突き破って命を投げ出して行動するものがいて、かたや、自分の内面にあるもの、魂の奥底にあるものを輝かす清雅さにあそぶものがいる。おっきいなあ。それぞれの老いというには遠い、見事な(還暦を過ぎた)青春である。この二氏に限らず、言い訳の要らない、自分に正直な生き方をする仲間たち、時代から、また自分から、背を向けて逃げることをしない仲間たちに、シンから憧れる。
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Re:かくも美しい、尊ぶべきこころ、たくましいこころ(07月04日)
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がのさん (2011年07月06日 07時04分)
H氏について以前このウェブサイトで書いた拙文についてのお問い合わせ
にお応えいたします。
2008年6月19日「霊地でふれた大きなこころ、やさしいこころ」です。
よくぞ覚えていてくださいました。恐縮です。ありがとうございます。
「日記一覧」からたどってみてください。
ぜひ再読していただけましたら幸甚です。〔がの〕
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