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「ことば」に気持ちを重ねて初めて気が付くこと |
02月26日 (土) |
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”Alice in Wonderland, The Queen of Heart"ハートのJackについての
、小5のHの気持ちを中高生グループで伝えてみた。
もう一人のハートのJack役のS(中1)は、そんなの自分も最初から
考えてた、、と
彼が息巻きながら話したことには。。。
「裁判の席でアリスが急に元の大きさに戻った(大きくなった)から、ハートのJackは刃が立たない、とても無理、と思って
『そうおっしゃられても…』って言ったんだよ」
「あともう一つは恩返し説。
Jackの処刑のための裁判を、Aliceが邪魔して中断したからその恩返しとして、
Aliceの首を切らなかった」
みな、「ふ~~ん、納得」
テューター:「Hちゃんはこんなことも言ったよ。JackはAliceが初めてクローケー場に来たとき、
フラミンゴとハリネズミを持ってきてクローケーのやり方を
Aliceに教えてあげたから、
Jackは優しい性格なんだと思う。」って。
みな:「ああ、たしかに、たしかに、、それもある」
こんな話合いは普通なら、もっと前の段階で出てくることだったのに、
発表2日前で、それも子どもたちは「時間がもったいない」とか、
「こんなことしている場合じゃない」とは言わずに、
別日で活動している小学生の感じたことをきちんと受け止めて、
自分たちなりの思いを熱く語る。
今回はJackの気持ち、JackとAliceの関係について、ぎりぎりまで
「気づき」が出てこなかっただけ。
子どもが自分の役の「ことば」を言えるようにしてくる段階で、
自然にその「こどば」を何度も注意深く聞く。
そしてそのことばで語られる内容を、「我が事」として受け入れるからだろう、、
そこで「何かを感じる」からこそ、今まで通り過ぎてしまっていたことに、ふと気が付くんだね。
子どもたち自身から湧き上がってきた「感じ方」「気持ち」を
かみしめることなしには、生きた表現は生まれないのだろう。
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