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万次郎の、帰国への気持ち |
02月15日 (火) |
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連休前の活動で、〈ジョン万次郎物語 航海記その2「アメリカ」の発見〉を取り組んだ中学生グループ。
数週間前、この物語を動く前に地図の上で万次郎の足跡をたどったあとで、「(漂流から始まったという)事情はどうあれ、万次郎のように世界中いろんなところに行く人生、うらやましい?」という問いかけに、「どうかな…」と首をかしげた子もいた。
けれども、自由の国アメリカという新境地で、この国のことば(英語)を自分のものにし、自らの人生を切り開き逞しく生きるジョン万次郎という人間の物語を動いた後では
「日本とアメリカなら、こっち(アメリカ)のほうがいい、と思うんじゃないかな」
と言った。
「うん、絶対そう思う」とほかの子たちも同意見だった。
「でも、10年経っても、それでも日本に帰りたいと思ったのはどうしてなんだろう?」と、私が問いかけると、ひとりが
「かあちゃんに会いたい、っていう気持ちは、子供のままだったからなのかな」
と言った。みんなも、しみじみとうなずいた。
『おっ母に会いたい』というせりふはいくつか出てくる。
この物語の航海も、大海原の旅は勿論ではあるけれど、やっぱりおっ母のところへとすすんでいる気がする。そのすすむ原動力が
-子供のままだったから-
と思えたラボっ子の感性に、じんときた。
テューターは子供たちににたくさんの問いかけをする。
それに対して、まさにその通り、とか、それが正解、と言い切れる答えがあるわけではない。世の中、そういうことが多い。とくに人間関係や、子育てがそう。単純にはいかない。
だからこそ人は、どう感じるか、どう思いを寄せるかという力(感受性、洞察力)を育くみ、また自分と違う意見があること〈多様性〉を認めなければならない。
たくさんの物語、それに対してどんなことを思ったり感じたりするか、問いかける。そうやって、子供たちが、自分やほかの人の『気づき』に出会うことで、やわらなか、豊かな心が育っていくことを願っている。
…ラボを始めてから10年の3人の中学生たち。
いつも物語と一緒に育ってき子たち。
子供たちのやりとりを聞いて、やわらかな、豊かな心が育ってくれたことに、静かな感動をおぼえた。
その心を、たいせつにしたい。
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