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『明日香学』最終日~現地見学会~ |
01月30日 (土) |
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9月からほぼ毎週通った久しぶりの大学生気分!本日最終日で『飛鳥を歩く(現地講座)』でした。
奈良交通の貸し切りバスで、大学近くを1時に出発!
5分ほどで飛鳥駅到着
①岩屋山古墳(飛鳥駅裏・西北徒歩5分)
7世紀中期(飛鳥時代後期)の古墳。玄室・羨道がほぼ当時のままセットで残っている(前円下方墳)→国生みのイザナミとイザナキがヨモツヒラサカで石を挟んでやり取りをした場面がイメージできる!
バスに乗って
②高松塚古墳
1、古墳跡・・・現在実物は修理中→古墳跡は土が盛られて復元されている。
2、墓(古墳に残っていた推定163cmの熟年男性の骨を葬ってある)
3、高松塚壁画館 (30人以上の団体で大学生料金!!)
*海獣葡萄鏡・・・704年の遣唐使によって持ち帰られたもの
*刀の装飾品・・・銀製→最高位(天皇)ではない
*白虎と青龍の絵を重ね合わせるとピッタリ・・・下絵は同じだっただろう(虎の胴体が嫌に長いなあと思っていましたcandy)
徒歩で高松塚公園を歩き
③中尾山古墳(高松塚から北方)
八角形墳・・・7,8世紀の天皇陵は八角形
『日本書紀』檜隈の安古の丘のみささぎの~ (このあたりを安古の丘という)・・・文武天皇は25歳没、火葬された・・・この中には火葬骨が葬られている・・・文武天皇陵(?)
八角形墓のなごりの石が地表に現れている。
そのまま徒歩で
④天武・持統天皇合葬陵古墳
藤原京の宮殿からちょうど真南にある。
北がこの世の都 南が来世の都(この地に古墳が多数)→檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)
古墳は八角形、5段築成。周囲に石檀をめぐらし南面に石門あり。
天武天皇と持統天皇の2つの墓を造営する予定で広大な土地を用意していたが、持統天皇が天武天皇と同じ墓に入ることを望んだので、持統 天皇は火葬され並んで葬られている。
そのまま徒歩で
⑤鬼の俎(マナイタ)
7世紀中旬(天武陵より古い・・・天武天皇のお墓を作るときに壊したのではないか・・・?)
すぐ下に
⑥鬼の厠(かわや)
この石を俎にのせると石室になる(うえから落とされたのだろう)
*伝説「昔、このあたりを霧が峰と言い、旅人が通ると俎で調理し、鬼が食べ、満腹になって下の厠で用を足した」
徒歩で聖徳中学の前を通り、野口駐車場前でバスに
⑦石舞台
『日本書紀』に蘇我馬子の桃原の墓(みささぎ)を作るために、公の民を使ったので批判されたと書かれている→馬子の墓であろう。
また、馬子は島の大臣(おとど)と言われていた→この地は島の庄と言う。今、石舞台公園になっているあたりには多くの墓があったが壊 されている。
岩屋山古墳より、少し古く形式も少し違う、羨道・玄室があるが、自然石を少し削ったものである。 今ある玄室内の排水の為の水路も当 時のもの。入口の石が一番大きく70tある。1350年前そのままで、 バランスもすばらしい!
家型石棺(復元)
蓋には縄かけ突起があるが時代と共にだんだんなくなっている。
二上山で出土される凝灰岩で出来ている。
石舞台駐車場(元飛鳥小学校跡)には
馬子の屋敷跡と大海皇子の屋敷跡が2層になっている。
このあたりは宮殿の東にあたり、東宮(皇太子の住まい・・現在も同じ)
石舞台みやげ物店の隣の田んぼは
島のまがりの池(1辺60mの池)→日本で一番最初の庭園
畑の淵に見られる石積みは当時のもの。又、現在は埋め戻されているが、畑のした前面に石が敷き詰められている。
バスで
⑧伝飛鳥板蓋宮跡 (上層は飛鳥浄身原宮あすかきよみがはら)
ちょうど、飛鳥の中心にあたる場所。
井戸が復元してある→80cm下にそのまま残っている。
バスであまかしの丘の横を通過して帰路に。
あまかしの丘には蘇我蝦夷、蘇我入鹿の屋敷があった。
石舞台とあまかしの丘に蘇我氏の屋敷があり、それに挟まれるように宮殿はあった!!
~~貸切バスなので、我家の近くで降ろしていただく~
前園実知雄先生の案内での贅沢な現地見学会でした。
今まで、何度も我家にこられた方に飛鳥を案内しましたが、これからはもっとおもしろく(興味のある方には!)案内が出来るかな(><)
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毎週の講義記録は忙しさと寒さに負けて日記への更新が途絶えています・・・ぼちぼち左側のページに『明日香学』としてUPする予定。
気長にお待ちください(興味のある方へ)
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