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バッファローのむすめ。秋の研修にて。 |
10月15日 (木) |
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相変わらず、とてもいそがしい毎日です。
昨日は、むすこの就学時検診。
その前日には、秋の研修で仙台に出かけました。
今回は『太陽へとぶ矢』より、
各自選んだおはなし『ドゥルガ』『くろいとり』『バッファローのむすめ』
に分かれての研修。私の選んだのは『バッファローのむすめ』。
事前に、このお話から受けるイメージを各自ポストイットに書いて持参し、
4人グループで、それらを見せ合いながら解釈を深めていく。
私が最初にこのおはなしから受けた印象はこんな感じ。
「むすめと若者の親戚との確執。泣くのはいつも嫁だよなぁ。
Native American版『渡る世間は鬼...』のようだ。
こういった夫婦間の問題は普遍的なテーマなのか?
それにしても、よくできた息子だ。子はかすがいってやつだね」
などと、かる~く考えてました。
ところが、4人で話し合いをすすめるうちに、
「バッファローのむすめを受け入れられない若者の親戚は
異文化を受け入れら れないことの象徴であり、
現代の人種差別や民族の排除にも通じる」とか、
「大地の土のにおい、セージなどの野草のにおい、そしてバッファローのにおい、と
おはなし全体を通して、においが効果的に使われている。
現代は、においを嫌う傾向にあり、個人のアイデンティティをも
消しかねない現代の風潮に危機感を憶える。ファブリーズなんていい例」
などと、解釈が深まります。さらに、
「1回ぐらい親戚に文句言われたからって、普通すぐには家をでないよね。
だから、きっとむすめが家を出る前に何度かこういうことがあったんだね。
子どももいるわけだから、かなりの覚悟だったと思う」
と、むすめの心理を解説するテューターがいれば、
「みんなだったら、だんなが何回むかえにきたら家に帰る?」
と、フィールド調査をはじめるテューターまで出て、盛り上がる!
でも、この日一番の収穫。おはなしのなかのことば
「われわれはつながっている」
この意味が、自分なりに解釈できたこと。
「バッファローが人間の子どもに自分の肉を捧げる」というくだりがあり、
捧げてもらった人間は、その代わりに何をバッファローに返すのだろうと
疑問に思っていた。
わかものは、バッファローの命の代わりに祈りを捧げてはいたけれど、
人間が老いて死んでいくときには、土に埋められ土に還り、
その土壌がバッファローがはむ草を生み出す、そう考えると、
「つながっている」の意味がとてもわかりやすくなる。
火葬される現代には、思いも及ばない思想だけど。
もう一つ。
私は、わかものがバッファローになってしまうエンディングに
何か違和感を感じていました。「あんまりハッピーじゃないなぁ」
「自己犠牲が究極の愛だから」と言ったテューターもいましたが、
この場合は、そういった聖書的な考えとも違うような気がします。
他のテューターに聞いても、ラボッ子達が私と同じように感じていたとのこと。
しかし、ハッピーじゃないと感じるのは現代人の我々だからこそであり、
わかものにしてみれば、愛する妻と子どもと一緒であれば
人間でもバッファローでも、その立場は考えるに値しないのでは。
Native Americanが自分たちと動物達を対等と考えれば、なおさらか。
今回、研修中にむすこを預かってくれる人をファミリーサポートにお願いしたら、
参加している子ども劇場で親子ともどもとてもお世話になっている人を紹介されました。
違う意味で...「つながっている」

お昼のポットラック用に作った「レンズ豆の煮込み」と「コーンマフィン」
レンズ豆の煮込み、作り過ぎちゃったので、チーズを加えて餃子の皮に包んで揚げてみたら超美味!

スー族の揚げパンだそうです。ドーナツみたい。
こちらも揚げパン。歯ごたえがあります。
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