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宮沢和史さん、ラボを語る~FM長崎にて |
01月19日 (月) |
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今夜8;30~9;00、FM長崎の『MIYA THE WORLD 』という番組のなかで、宮沢さんがラボの活動についてとても詳しく話していらっしゃいました。テーマは Old story で、宮沢さんが自身の思い出話をするコーナーだったのでしょう。もちろん『ひとつしかない地球』も全国で沢山のラボの仲間たちが聴いてくれいる曲として紹介され、流れました。曲の合間のトークはほとんどが彼のラボ活動、特にホームステイ体験の話でした。
山梨の農家で育った彼の両親は自分の子には広い世界を見せたいと、幼児期にラボに入会させほぼ同じ頃国際交流の積み立ても始められたと。
中2になったとき、親から『アメリカに行って来い』といわれ、仕方なく行ったそうです。30年近くも前のこと、アメリカに行くことは怖くもあり、不安もあり。また、夏休みに女の子と遊んだり、映画に行ったり部活をしたり・・・・。日本に残ってしたいことも沢山あったとか。でも宮沢さんは親の気持ちを察して旅立ちました。
出発の前日に東京の代々木オリンピック会館に全国から仲間が集まってきたこと。現地についてからスタンフォード大学寮で一泊してオリエンテーションを受けたこと。今と同じですね。
そして、アメリカでの生活で圧倒されたのは、何もかもが大きいということだったと。
『人も自然も家も、スーパーも、そこに並んでいる商品も何もかもがでかかった』
それなのに、一月の間いつもお腹がすいていたそうです。あの、頼りない朝食。シリアルなんかでは食べた気がしなかったそうです。しかも、昼食も食べたり食べなかったり、夕食もお父さんがピザを買ってきておしまい。とてもひもじかった思い出があるそうです。
ホストファミリーは農家だったので、羊やウサギの世話をしたり、時にはウサギを自分たちでさばいて食べたのだそうです。
また、一緒に魚釣りに行ったり、むこうで始めての味噌汁を食べてお腹をこわしたりするなか次第にホストファミリーと馴染みコミュニケーションが取れるようになったのだそうです。翌年彼のホストは日本にやってきて宮沢さんの家にホームステイし、相互交流が成立したそうです。
このような体験があったからこそ、後に音楽活動をするようになってから自分の音楽が外国に人たちに受け入れられるかチャレンジすることになったのだそうです。そしてそのチャレンジは見事に花を咲かせていますね。
この、ラジオ放送はしっかりテープにとりましたので是非ラボっ子達にも聞いてもらいたいと思っています。
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Re:宮沢和史さん、ラボを語る~FM長崎にて(01月19日)
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返事を書く |
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michelleさん (2009年01月20日 15時41分)
はじめまして。高知でTやってます。
私も聞きました。ミヤザワールド!!!!!!
今の宮沢さんの原点はラボですね!感動しました。
宮沢さんの音楽にいつも励まされています。
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