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笑顔に小声で・・・それでも |
02月25日 (日) |
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中学時代からの友人が芝居を初プロデュースするというので、いざ武蔵野芸能劇場へ。
劇団風力写真機 「番外編 風待公園kazamachikouen」
ふたくちつよし作・演出
ふつうにいい人たち(最初はふつうすぎて変な人たちと思ったけれど)が、何かをかかえながらもふつうにしているいい人たちと出会うことで、可笑しくもせつない世界がくりひろげられる。 あまりの人のよさに笑いが出るくらい。 でもなんだか共感してしまいました。 公園でままごと遊びをしている人に笑顔で「おかえりなさい」と言われたら、笑顔で「た・ただいま」と返すだろうななんて。
ふつう・・・というか自然に行動してしまうも、今の世の中ではふつうではなくなっているかも・・・。 なるほど、ふつうの暮らしの中で、人はけっこう心の葛藤を経験しますね。 他人には理解できなくても本人は真剣だから、それにこたえてしまう。 別にやさしいから、とか、温かいとかでなく、人としてふつうに。 それが今では、警戒しなくてはならないこともあるのですかね。
芝居自体は何かテーマ性を押し付けるとか、感動で泣かせようとかの力技はなく(あったのに感じられなかったのかって?)、淡々と日常のなかの非日常性を見せてくれたようで、芝居のことは何も分からない私でも十分楽しみました。
さて、そろそろタイトルにあった、「笑顔に小声で・・・」について
書きましょう。
その芝居を見に行く途中の電車の中でのことでした。
隣に座った小学1,2年生くらいの男の子がピコピコ、ドカーンと音をさせながら小さなゲーム機を手に持っていました。 男の子の前にはきれいなママが立ち、「音が大きいよ」と言っています。 男の子はボリュームを下げたらしいのですが、目はゲーム機に向いたまま。
私は本を読んでいたので、さほど気にならなかったのですが、さすがに真横でピコピコ、ドカーンが続くと、心の中で「大人としてこれを黙って見過ごしていいのか・・・母親が注意しているのだからいいか・・・でも、親以外の大人が黙っているから、勘違いしたまま大きくなってしまうということもある・・・ん?席が空いて反対側に座ったママも何も言わないなあ・・・」 なんて考えている自分が可笑しくなり笑えました。 その笑いの自然な表情のまま、こっそり彼の耳元に
「ね、その音消せるの?」
そうしたら、彼は身動きひとつせず、表情も変えず、ゲーム機に目を落としています。 これにはびっくり!
「ここは自分のお部屋じゃないから」
またも無視。 すると、向こう側のママが笑顔で「すみません」と返してくれた。
「頭が痛い人もいるかもしれないしね」
指が動いている以外はどこも動かない。
でも、ピコピコは聞こえなくなった。
「そっかあ。恥ずかしかったんだね。知らない人に声かけられて」
・・・
「音が消せたんだね。 ありがとう」
ラボの教育シンポジウムで鈴木先生が話された、日本の子どもたちがカイブツになってきているということばをふと思い出しました。 ふつうに返事もできない、カラダも反応しない子にびっくりしました。 でも、その後無言で立ち去った親子を心の中で見送りながら、~他の人には聞こえないように小声で話しかけたけど、きっと彼自身もびっくりしたし、本当にはずかしかったのよね。~と思い直しました。
おまけ:
最後に「愛妻の日」の書き込みに続く、おとぼけ話
「芝居の開演前、友人夫婦との会話」
私「お久しぶりですね。 ご主人とは 初めまして に近いですよね」
彼「いえ、ぼくはちゃんと覚えてますよ。・・・ちょっと失礼」とご年配のお客様のほうへ行かれて、私と友人が残り
彼女「私たち結婚して25年よ」
私「それはそれは、銀婚式おめでとうございます!」
・・・ん?どこかで最近聞いたような。
私「あら?私たちも25年なのよ・・・(と言ってから思い出した)
って、やだー、あなたと私、結婚式の日程が1週間しか違わなかったよね!」
25年前、彼女に「結婚するよ」と言われたとき、「えっ私も!」としばらく離れていても仲がいいことと笑っていました。 式場なんて頭になかった私に彼女は同じ会場(上品でステキ、安価でステキ)を勧めてくれたのです。 会場が空いていたのは彼女の式の1週間前だけだったので、私が先に。 私は新婚旅行を後回しにして、彼女の結婚式に列席し、「私も1週間前ここで・・・」とスピーチを始めて笑いを取っていました。 (どうしても笑いネタで終わってしまう)
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