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★補追、花は散るもの、散らすもの サクラ再考 |
04月08日 (土) |
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某誌に吉野を詠った西行のサクラについての小論を書いたことを引きずって、日本の古典文学、能、狂言、古典落語に見るサクラのさまをザッとご紹介いたしました。サクラについては見識高い一家言をお持ちの方がたが多く、とりわけラボの外部からおもしろい情報を多く寄せていただきました。御礼申し上げます。

御衣黄ざくら
中に、この花を“軍国の花”とし、日本の帝国主義、国粋主義のシンボルとして外国と戦った方が、あの明るさ美しさとは別に、まがまがしい、恐ろしいものとして忘れがたく胸に収めておられることを知り、ハッと胸を突かれました。そうですね、♪きさまと俺とは同期のサクラ…、なんていうよく口にされる軍歌がありますし、サクラはただに美しい春の使者、豊饒と幸せな恵みをもたらす天女で、一村あげて歓迎し、浮かれ騒いで楽しむというだけのものではないんですね。
美しいけれども、女の心を狂わすまがまがしいものとしてのサクラ、ひとを吸い込むような怖さを秘めたサクラを、すでにお能のなかに見てきました。子を喪った女のあまりにも悲しい狂気。お能や文楽などばかりでなく、ちょっと見まわしてみれば、近代・現代の文学上の傑作に思い至ります。梶井基次郎は短篇小説『桜の樹の下には』で、そこに死体が埋まっている、サクラがあんなに悲しいまでに美しく咲くのは、根もとに死んだ人がいるからにちがいない、と書いています。ゾーッとさせられる一文。坂口安吾には、妖気ただようミステリアスな作品『桜の森の満開の下に』があります。野盗と女。サクラの幽明境は人間をもの狂おしい気分におとしいれるらしく、旅の途中に襲われ捕えられた身分高い女は、サクラの魔境にあっていつしか鬼に変身し、山賊どもを翻弄、花吹雪のなかをスゥーッと消えていきます。映画にもなりましたね、これは。
ロシアにはチェーホフの『桜の園』が。この話のサクラも天真爛漫なめでたいサクラというわけではありませんね。旧地主のラネーフスカヤ夫人の転落、貴族階級の悲惨な衰微没落と、経済万能の新興ブルジョアジーの台頭を描いて胸えぐります。

イカリソウ
上に見てきたようなサクラは、いまのこの時代を生きるわたしたちに何を語るのでしょうか。あるいは、もう何も語る力のない、路傍に散り落ちて腐るときを待つだけのものなのでしょうか。
関連⇒「つれづれ塾 その《4》」
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