★清少納言 VS 紫式部 |
11月16日 (水) |
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平成の才媛たるみなさまに問う、…あなたは清少納言派? それとも紫式部派?
遠い平安時代中期に生きたふたりの才女ですが、この機会にその生年・歿年を調べてみました。調べましたが、正確なところはわかりませんでした。諸説ありますが、それをまとめますと、清少納言は966年ごろに生まれ、1021~28年に死去しており、紫式部のほうは、970~78年に生まれ、1019年または1931年に歿したとされています。ほぼ同時代人ですが、清少納言のほうがわずかに年上だったということでしょうか。
11月13日のわたしの「BBS」で書いたものを改めて再録、それを加筆修正しつつ、このふたりの才女をバトルリングに乗せてみました。
清少納言は、見捨てられわびしくなっていく中宮定子のサロンを、少しでも楽しげにしようと一人踏ん張った女性です。そのため、さがったあとは発狂し、かなりつらい最晩年だったようです。人間は豊かであれば「あわれ」を説き、わびしいからこそ「をかし」を説くのだな、と思ったものでした。〔ドロシーさん 2005.11.11〕
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そうそう、『源氏物語』が「あはれ」の文学といわれるのに対して、『枕草子』は「をかし」の文学といわれます。わびしいから「をかし」を説いたとするには、ちょっと異論を感じますが、それはあとのことにして、万華鏡のように多彩で、明るく奔放な世界を描いていますね。藤原道隆の長女に生まれ、一条天皇に入内していた中宮定子。その後宮には、選り抜かれた才媛が集まっていました。そのなかでもとび抜けた才(ざい)を発揮したのが清少納言。“香炉峯の雪”のエピソードが有名ですよね。
というわけで、ドロシーさんはどうやら清少納言ではなく、紫式部ビイキのご様子。はい、それならディベートです。わたしは清少納言の側に立ちましょうか。
清少納言の後宮への出仕は28歳のとき。中宮定子は17歳でした。中宮定子のおぼえめでたく、彼女はこのサロンの花形として、華やかな女房生活をし、後宮全体をまとめつつ中心的に活躍していたようです。
隠微な嫉妬と対抗心もあって、紫式部からは「したり顔にいみじう侍りける人」と評され、好印象を与えていなかった模様。陰謀と策略の渦巻く、煩わしく複雑な当時の政治世界と対人関係のなかをじょうずに泳ぐ術を知っていた紫式部とは違い、本質的に政治性のない人。物事にあまり拘泥しない、陰湿ではない、こころに裏オモテのない、底抜けにお人よしな、気性の美しい人。高度にリアルな人生観照をもつ紫式部のような大人の知恵を持ち合わせなかった女性でした。「したり顔」なんて云われる筋合いはなく、すてきじゃないですか、こんな女性。そのきたないことば、そっくりそのまま紫式部にお返しすればよかったのに。もっとも、それをしないのが清少納言の奥ゆかしさであり自信でもあったのでしょう。
紫式部は『源氏物語』の末摘花のモデルとされていますね。クモの巣の張る落ちぶれた宮家の姫とされ、青白い不健康な顔に赤い鼻という不美人。光源氏ともあろう人がどうしてあんなパッとしない女を…、とうわさされる女性。まあ、不美人ながら情がこまやかとされています。しかし、末摘花なら、まだしも控えめということを知っていますよね。紫さんにはそれがない。それくらいですから、どうやらこころの底に暗いコンプレックスをもっていたようで、嫉妬深く心根がうすぎたない。タチがわるいことに、今をときめく権力の側にいるので、傲慢不遜。自分の目のとどくところに見目麗わしい、評判のいい、すぐれた女性がいると知ると、もう我慢ができない、片っ端からこきおろしていたようです。ときどきわたしたちの周囲にもいますよね、高い教養を持ちながら、カサ高く可愛げのないそんなひと。
ひどいのにこと欠いて、和泉式部のことさえ「蓄積のないひと」とケチをつけている。「その和歌はパッと見たところはまあまあいいようだけれど、所詮は、たいした学問のないもののつくった、空っぽな歌」ですって。もう、偉そうに! 冗談じゃありません。この時代を生きていた女性のなかで和泉式部ほどモテた女性はほかにはおりません。情がこまやかで、学問の底も深く、魅力的で、上品な色香をただよわせ、このひとといっしょにいると、何かいいことがありそうな…。語るに十分足るひとですよ。「ものおもへば沢のほたるもわが身よりあくがれいづるたま(魂)かとぞおもふ」なんて歌をもらったとしたら、たいがいの男はまいっちゃうでしょうね。「黒髪のみだれもしらずうちふせば まづかきやりし人ぞこひしき」、恋の絶唱です。人間にツヤがあるというか、相手を思いやるやさしくあたたかい愛があります。天性の愛の詩人といえないでしょうか。
天性の詩人ということでいえば、和泉式部以上にわたしが評価している女流歌人がいます。赤染衛門。長文になりましたのでその歌についてはふれませんが、なんとまあ、あきれたことに、紫式部はこの赤染衛門までくさしている! もう人格を疑うね、紫さん。
あの時代の女性たちが今の時代に生きているとして、デートするとしたら、まあ、鼻っぱしが強く根性曲がりの紫さんじゃないですね。和泉式部か清少納言。わたしじゃあチト役不足だということはこの際別にして、うん、デートしてみたいね~。もっとも、清少納言は、時間ぎりぎりにやって来て、息せき食事をしてコーヒーを飲んで、ひとりでしゃべりたいだけしゃべって、「あっ、わたし用事思い出したわ。帰らなくっちゃ」と、さっさと帰ってしまうようなタイプ。才気ほとばしり、楽しい話題をたくさんもっていて退屈しないのですが、…ちょっとねぇ。その点、和泉式部はそうじゃない、こちらの気持ちをよくわかって、最後の最後までつきあってくれそう。いいなあ、こんなひと。抛っておけないよ、男なら。
995年4月、道隆が死亡します。その際、権力は道隆の子の伊周(これちか)には移らず、仕掛けられた策謀により、定子の叔父(道隆の弟)にあたる藤原道長に渡ります。これにともない、中宮定子も禁中を追われる身となり、苦境におちいります。
菅原道真に対する藤原時平、藤原道隆・伊周に対する藤原道長。『大鏡』で「才(ざえ)の人」の双璧とされた道真・伊周。そういう相手をうまうまと陥れた時平と道長は、表面は温雅ながら、じつは策謀に富む政略家の政敵。合理的な機略に富むタイプですね。こすっからく、権力をねらって陰に陽にいやがらせと圧迫をかけていた、わたしにはどうにもいけ好かない存在たる道長の、そのむすめ、のちの上東門院彰子に仕えたのが紫式部。百戦錬磨のすれっからしの、にくらしいほどしたたかな女、世に天才はわれ一人とでも思っているのでしょうか。その点、白痴のようにストーンと抜けたところもあって、プラス指向で、無垢な少女のように明るい清少納言て、ね、可愛いじゃないですか。
定子の兄弟たる頼みの伊周の失脚につづき、1000年、定子は出産のあと24歳であわただしく死んでしまいます。清少納言も35歳で後宮を退くことに。こののち間もなく『枕草子』は成立していますね。激動の政治的情勢のなか、この作品のもつ明るさはちょっと異様かも知れません。ですが、滑稽なものを滑稽といい、おかしいものをおかしいといっている率直さ、直截さがこのひとの味でしょう。ですから、書いているものはちっともむずかしくありません。政治の暗い影などありません。紫式部に見る大人の知恵などぜんぜん持ち合わせなかったかのようにさえ見える、そのカラリとしたこだわりのなさは、清少納言の生来のものだったかも知れませんが、池田亀鑑博士は、この随想はもともと、中宮定子の遺子である一品宮脩子(ゆうし)という内親王の姫女に捧げる中宮定子賛美の書であったとしており、そういうこともあって暗いむずかしい部分は避け、「をかし」に終始したと考えられます。
ドロシーさんが書いてくださっているように、彼女の晩年は不遇で悲惨なものでした。その落魄ぶりについては『今昔物語』や『古事談』に見られるそうですが、わたしはそれについてはよく知りません。ひとつだけ『古事談』で語られる伝説をご紹介します。
才媛の名をほしいままにした清少納言ですが、のちには零落してみすぼらしい廃屋に住んでいました。あるとき、若い殿上人たちがひとつの車に同乗してその家の前を通りかかります。見れば、いらかは破れ、土塀は崩れ、見る影もないていたらくぶり。「少納言無下ニコソナリニケレ」(あ~あ、清少納言もさんざんだなあ)と無遠慮に話している若者たち。それを清少納言が聞いていて、破れた簾(すだれ)をかき上げると、鬼形の女法師のような顔をつきだして「駿馬の骨をば買わずやありし」(死んだ馬の骨を買った人だってあるじゃないの!)と、中国の昔ばなし、燕王の故事を持ち出して云い返したとか。ここには“香炉峯の雪は?”と問われ、御簾を高くあげて中宮を感服させた清少納言の高い教養を示すエピソードがもじられていますね。
どうもご退屈さまでした。紫式部の側に立った反論を期待しています。
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Re:★清少納言 VS 紫式部(11月16日)
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dorothyさん (2005年11月16日 05時07分)
すみません。私は徹頭徹尾、清少納言派です。
落ちぶれていくサロンを必死に盛り立てようとして、
身も心もぼろぼろになって最後には廃人同然となった
彼女に、心からの敬意を表します。
けれども、紫式部の存在なくして清少納言は
語れない。また、清少納言なくして紫式部は
語れない。光と影、表と裏、といったように
お互いを意識したからこその平安女流文学が
あれほどまでのレベルに達したと感じています。
シェークスピアよりもはるか以前にあれだけの
長編を書き上げた紫式部は、さすがにすばらしい
才能の持ち主であることを否めません。そして、
きっと、その才能を完璧に開花させるには、
清少納言の存在が不可欠であったと思うのです。
紫式部の日記に、「清少納言は知ったかぶり女で、
大した教養もないくせに、偉そうにしている。
私だって漢詩くらいは作れるけれど、そういうのを
ひけらかさないから、いいのであって、あんなふうに
間違いだらけの漢詩を作ったり知識を披露するのは
軽薄な証拠。あんな女の行く末は、きっとひどい
ものでしょうよ!」とまで言い切っています。
そして、悲しいことに、清少納言の行く末は紫式部が
予言したとおり、悲惨なものでした。
紫式部には、才能・作品ともに、最高度の敬意を
持っていますが、清少納言派の私は、反論できません。
でも、楽しいです。
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Re:Re:★清少納言 VS 紫式部(11月16日)
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がのさん (2005年11月16日 09時45分)
ドロシーさん
私は徹頭徹尾、清少納言派です。落ちぶれていくサロンを必死に盛り立
てようとして、身も心もぼろぼろになって最後には廃人同然となった彼
女に、心からの敬意を表します。
★…エッ! えっ! …まずいじゃないですか。またわたしの早トチリ
でしたかね。
それでは、ところを替えてわたしが紫式部を推奨し擁護し、フレー!
フレーッ! と応援する側に…? それにしては、紫式部の悪口を徹
底的に書いちゃったからな~。まいったな~。ほどほどにしておけばよ
かったのに、ばかだねぇ。
ええ、ま、ほんとうのところは、わたしだって紫さんのこと、そんな
に嫌いっツーわけじゃないのよね。とりわけ「空蝉」を書くこの人のモ
ラルというか、センスというか、すばらしいそのバランス感覚には冴え
たものを感じますし、「玉鬘」を後半において、すけべったらしの中年
男、光源氏を揶揄する感覚もいい。うん、ちょっと時間をください、し
っかりこの才女のこと、考えなおしてみます。
シェークスピアよりもはるか以前にあれだけの長編を書き上げた紫式部
は、さすがにすばらしい才能の持ち主であることを否めません。そし
て、きっと、その才能を完璧に開花させるには、清少納言の存在が不可
欠であったと思うのです。
紫式部には、才能・作品ともに、最高度の敬意を持っていますが、清少
納言派の私は、反論できません。でも、楽しいです。
★…そうそう、うん、そうそう。こうなりゃあ、お調子もの、日和見主
義者といわれようが、この際どうでもいい。でも、才女とのデートのこ
とを書きながら、「あっ、仕事のこと思い出した。じゃあね」と云って
さっさと帰ってしまう清少納言のイメージ、だれを想定していたかおわ
かりですか? そうね、やっぱりドロシーさんは清少納言派なのかな
~。
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Re:★清少納言 VS 紫式部(11月16日)
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ひまわりさん (2005年11月18日 01時12分)
お久しぶりです。長らくご無沙汰しております…が、私は生きていま
す。
ところで、才女二名のバトル。
う~ん、私がこのディベートに参加するにはもっともっと「お勉強」が
必要なようです…。でないと、「こんちきしょうな紫さん」にも「プラ
ス志向の清少納言さん」にも加担できない…です。
でも、何の手土産もなしに落書きするのは憚られますので、『平成版・
冬もあけぼの』を贈ります。
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『冬もあけぼの』(作:清少菜言)
冬もあけぼの
やうやう白くなりゆくビルぎは
少し明りて
灰色の雲の 細くたなびきたるは
いふべきにもあらず
息のいと白きも
また さらでも
いと寒きに火など急ぎ熾して
バスタオルもて渡るも いとつきづきし
昼になりても 温く緩びもていかずば
洗濯物も乾かずして
わろし。
朝、お布団から出るのがつらいから、寒さに気づく。
コーヒーの湯気が真っ白だから、寒さに気づく。
スーパーに鍋物コーナーができたから、寒さに気づく。
乾いた洗濯物の手触りが冷たいから、寒さに気づく。
ビールを飲む本数が減ったから、寒さに気づく。
夜、お布団が暖まるまでに時間がかかるから、寒さに気づく。
寒さとは、
意外と客観的なものなんだ…、と気づく。
冬のあけぼのは、どうやら遅いようです…。
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おそまつさまでした~。(菜)
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Re:Re:Re:★清少納言 VS 紫式部(11月16日)
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dorothyさん (2005年11月18日 18時15分)
がのさん
まずは、ひまわりさんの清少菜言に拍手!
>「玉鬘」を後半において、すけべったらしの中年男、光源氏を揶揄す
る感覚もいい。
確かに。思いっきり持ち上げておいて、ちょっとからかうその
センスは面白いです。作家としての紫式部はすごいと思うけれど、
優位に立ったのを嵩にきて、見るも無残に弱体化していく
定子サロンと清少納言をからかうのは、ちょっと・・・。
>才女とのデートのことを書きながら、「あっ、仕事のこと思い出し
た。じゃあね」と云ってさっさと帰ってしまう清少納言のイメージ、だ
れを想定していたかおわかりですか? そうね、やっぱりドロシーさん
は清少納言派なのかな~。
苫屋に住んで、外を通る人に大音声で怒鳴り散らす姿・・・。
こちらを想像されていませんか?
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Re:Re:★清少納言 VS 紫式部(11月16日)
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がのさん (2005年11月19日 00時55分)
ひまわりさん
>久しぶりです。長らくご無沙汰しております…が、私は生きています。
★…“バー騒動”以来のご無沙汰になりましたか。野垂れ死にしていな
くてよかった! ほんと。
深夜族の清少菜言としては、明け初めたばかりの早暁の都会の風を捉
えるには、さぞかしご苦労があったことでしょうか。だいじょうぶです
か、ちゃんと目は開いていますか。
空気は冷え、お布団からなかなか身を抜きがたいとはいえ、ほら、や
めなされ、はしたない、いつまでもバスタオルをあたまからかぶったま
ま、遠い立山連峰を思って、うつらうつらとしているのは。
いちばん最初の透きとおった太陽光が山の雪に反射して田園を冴え冴
えとした明かりで浸す瞬間。その昔なら、牛乳びんのぶつかりあう音、
新聞配達の乗る自転車のキキーッというブレーキの音、小鳥たちの恋
歌、納豆売りの声を夢のなかで聞きながら目ざめるころか。さて、これ
からひまわりさんの再び行こうというドイツの朝には、どんな音がして
いることか。
ところで、あの後宮の女房たちもお洗濯くらいはしたのかねぇ。そろ
そろ乾いたかな、なんて手と手のあいだにはさんで乾きぐあいをたしか
めたりしたのでしょうか。そういうのは下賎のもののやること? いい
歌を詠み、男のおとずれを待ち、いい世継ぎをつくるだけが人生、とい
う生き方と、寒い朝、早起きして洗濯をする生き方と、もうひとつは、
生涯これ勉学という黄色い夏の花の生き方と…。
『平成版・冬もあけぼの』、贈られました。ありがとうございます。寒
さが客観的だとする感覚、う~ん、ちょっと実感がつかめない。ゆっく
り考えてみようかな。
申し訳ない、ただいまお出かけの準備中。久々の海外で、いまは落ち着
いてものを考えることができません。帰ってきたら、……浦島太郎さん
よろしく、もうすっかり忘れているかナ。
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Re:Re:Re:Re:★清少納言 VS 紫式部(11月16日)
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がのさん (2005年11月19日 01時05分)
ドロシーさん
>確かに。思いっきり持ち上げておいて、ちょっとからかうそのセンスは
面白いです。作家としての紫式部はすごいと思うけれど、優位に立った
のを嵩にきて、見るも無残に弱体化していく定子サロンと清少納言をか
らかうのは、ちょっと…。
⇒はいはい。でも、もうわたしは紫女の悪口はいわないもんね。
あれだけ悪口雑言を吐き散らしてしまったので、しばらく立ち上がれな
いでいます。こんどはコテンパンに清女をやっつけなけりゃ! お調子
に乗りすぎたな~。いくつになったらこの軽率さ、あわてんぼから卒業
できるのやら。
恥ずかしくってまともにはひとと顔を向き合わすことができないです
よ、たくっ! ……というわけで、期間限定で上の写真を。明日からし
ばらく雲隠
れします。南の島でこころをほかほかと温め、生まれかわって恥を忘れ
て帰ってきますので、その間だけ。
>苫屋に住んで、外を通る人に大音声で怒鳴り散らす姿…。こちらを想
像されていませんか?
⇒安達が原の苫屋にすむ妖女? そんな失礼な想像はしませんよ、いく
らタカ、いやタチがわるいからといっても。小舟の底で菰をかぶって、
一本抜けたいい気な客を待つ、night falcon は想像しますけど。…相変
わらず下品だね、わたしって。
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※11月19日~24日まで、旅の空でアタマを冷やしてきます。
お留守になりますが、どうぞ悪しからず。ここを借りましてお断り申し
上げます。
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松坂諾子 吉永香子さん (2022年01月31日 04時41分)
清少納言は、まつざか梅にそっくりです。紫式部は吉永みどりに似てる。清少納言は明るく、ユーモアたっぷりだが少々性格がきついところがまつざか梅にそっくりですね。紫式部は、おっとりしているが、怒ると激しいところが、吉永みどりに似てる。清少納言と紫式部、まるでまつざか梅と吉永みどりですね。
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打倒あいちゃんひろしアンチさん (2023年07月12日 17時52分)
あいちゃんひろしアンチの特徴自分より、上の人(園長先生、みさえ、など)には、絶対服従、自分より下の人には、下衆とバカにする
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打倒あいちゃんひろしアンチさん (2023年07月12日 17時56分)
紫式部「吉永みどりみたいなブサイクなブタ
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打倒あいちゃんひろしアンチさん (2023年07月12日 17時57分)
紫式部「吉永みどりみたいなブサイクなブタ
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打倒あいちゃんひろしアンチさん (2023年07月12日 17時58分)
あいちゃんひろしアンチはキャラ属性王国で自分の気に入らないキャラをゴリラ
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時01分)
吉永みどり、まつざか梅『酢乙女
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時04分)
清少納言『まつざか梅さんへのサツ害予告する酢乙女中国豚
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時06分)
紫式部『吉永みどりさんへのサツ害予告する酢乙女中国豚
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時09分)
清少納言『まつざか梅さんへのサツ害予告する酢乙女中国豚
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時10分)
紫式部『吉永みどりさんへのサツ害予告する、野原ひろしゴリラ
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時13分)
吉永みどり『酢乙女
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時14分)
まつざか梅『酢乙女
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時16分)
習近平『酢乙女
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打倒酢乙女カルトさん (2025年01月27日 19時19分)
清少納言、紫式部『おい❗️酢乙女カルト、よくも吉永みどりさん、まつざか梅さんへのサツ害予告しゃがって
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ウイカ閔妃駆除さん (2025年01月27日 19時29分)
富沢美智恵『ファーストサマーウイカみたいなブサイク朝鮮ゴリラ
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ウイカ閔妃駆除さん (2025年01月27日 19時32分)
松坂慶子『ファーストサマーウイカ
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