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国語元年 |
04月11日 (月) |
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昨日、満開の桜を斜めに見て、こまつ座の「国語元年」を観てきた。脚本は井上ひさしである。
時は明治の文明開化。明治政府が近代国家を設立させるたに、あまりにくせのある方言を統一し、同一の日本語を国民に教育していこうと決めた。
その新しい日本語を創る大役を命ぜられた文部省学務局の役人が、主人公の南郷清之輔である。劇は主人公とその家の奉公人などで繰り広げられていく。登場人物はそれぞれ出身地が違い、長州べん、鹿児島弁、江戸山の手弁、江戸下町弁、遠野弁、会津弁、名古屋弁などをまくし立てたりしゃべったり、まぁまぁなんとにぎやかな日本語のやりとりだこと。それを今、清之輔は一つの言葉に統一しようとしている。最初はいろんなお国ことばを寄せ集めたり、新しく作り出したりしてみた。最後には馴染みのことばの最後にスをつけること、未来形にはダローを付ける、過去形はタ、丁寧語にはドーゾなどいくつかの法則を作り上げた。たとえば、「ご飯を食べた。」は、「ご飯を食べたス」。「明日、学校へ行きます。」は「明日学校へ行くダロー、ス」だし、「ここに座ってください」は、「ここにすわってくださいス、ドーゾ」かな?????苦労して苦労して作り上げたが、会津の泥棒が、「それで泥棒できるか?女を口説けるか?喧嘩ができるか?」という。そう、それそれ。言葉っていうのは自分の思いを丸ごと表すもの。一人の人がいじっくって作るものじゃあない。”言葉”の持つ力の大きさに感動してしまった。それにところどころはいってくる”小学唱歌”のなつかしさ。役者さんたちの力一杯の演技。力作だった。
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