戊辰戦争外伝 海を渡った幻の会津国 |
01月08日 (土) |
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TBS世界不思議発見(2005年1月8日)
戊辰戦争外伝 海を渡った幻の会津国
会津戦争のときに武器商人シュネルが会津側で働いたことと
カルフォルニアに会津からの移民おけいの墓があることは知っていたが
二人の人物が今日つながった
ヘンリー・シュネルはプロシャ人、横浜で商売をしていた弟エドワード・シュネルを頼って日本に来た
この商会では日本で初めて牛乳を販売した
プロシャ公使館に職を得る
慶喜による六カ国公使への大政奉還の説明の場で松平容保を知る
その後公使館をやめ、会津藩の侍として働いたこと
髪型も変え服も変えたこと
米沢藩に言ったときには平松武平衛と名乗っている
シュネルが容保から脇差しを拝領し、屋敷も貰っていたこと
大工の娘であるおけいは会津のシュネルの家で働いていた
1868年9月22日一ヶ月の籠城の後会津降伏
会津敗戦後、新天地を求めて会津の人々二十数名とカルフォルニアに向かったこと
おけいはその時誘われたのであろう
1869年5月 1日横浜「チャイナ号」にて出航
1869年5月27日にサンフランシスコ着
シュネルはエルドラド郡コロマ村に160エーカーを買い取って農場を始めた
(この土地とおけいの住んだ家も紹介された・映像)
しかし作物が育たず、シュネルは金策に横浜へ戻る
謝金の担保として容保から拝領した脇差しを預けている
(葵の紋のある立派なあつらえの一降りが今も残っている・映像)
しかしその後の行くえがわかっていない
残された会津の人々は、作物の育成がうまくゆかず、だんだんと離散
うち3人だけ消息がわかっている
おけいは近所の農家で子守りとして働いていた
ことばはだめだったが、裁縫や料理は上手だった
(シュネルの娘のためにつくった可愛い赤い着物の人形が残っている・映像)
230km離れたところのコルサに移った
会津の人増水国之助が結婚し、子供が生まれたことを聞き
手編みのケープを届けにゆき、帰ってから急に発病
1871年に亡くなっている
後にコロマで死んだ松之助が墓を建てている
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Re:戊辰戦争外伝 海を渡った幻の会津国(01月08日)
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カトリーヌさん (2005年01月10日 02時03分)
おけいの住んだというエルドラドカウンティーには、カリフォルニア4H
のホストファミリーも住んでいます。興味深く見ました。エルドラドと
は、黄金郷というスペイン語。ジョン・ウエインの映画にもありました
ね。ゴールドラッシュで有名なアメリカンリバー。このゴールドラッシュ
によるカリフォルニアの人口増加と資金力が、一番遠い西部の果てであり
ながら早いうちにアメリカの州になり、南北戦争で北軍勝利にも影響した
と言われています。おけいたちの後、アメリカ政府が中国移民を制限した
こともあり、労働力として移民していった日本人たちも多く貧しく、勤勉
さからやっと成功し始めた農家も、特に西海岸では第二次世界大戦中は強
制収容所に入れられたりして苦労したのです。アメリカの政界で日系人の
得票政策から、日系人に対する緩和策のひとつとして、レーガンのエルド
ラド訪問や、ワシントンでもクリントン時代に日系人収容について正式な
謝罪が行われたりしました。時代に翻弄されていく人々が昔も今も絶えま
せんね。
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