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特集連載
第41回
物語の旅から,世界の山旅へ

2014/11/1

芹澤健一/せりざわ けんいち

 芹澤健一/せりざわ けんいち
 アルパインツアーサービス株式会社
 代表取締役社長

 ツアーリーダーとして,約30年間で50か国,のべ200回以上海外の山に出かけてこられた芹澤健一さん。「海外の山岳地帯や辺境地のツアーでもっともたいせつなのは,異なる文化や歴史,言語,宗教などその背景を理解し,尊重することだ」といわれます。
 現在,旅行会社の社長として活躍されている芹澤さんは,2002年にラボ・ニュージーランド交流を開始する際のプロデュースチームにも参画され,現在もこの交流を支えてくださっています。芹澤さんが,世界で活躍されるようになったベースには,幼いころからの物語体験,少年時代の国際交流の体験があるのだそうです。

世界の山旅 〜国や人種を越えて〜

 私はいま世界中の山を舞台に登山,トレッキングのツアーを企画し,お客様をご案内する仕事をしています。ヨーロッパ・アルプスからネパール・ヒマラヤ,カナディアンロッキー,南米アンデス,アフリカ,アジア各国など,ツアーリーダーとしてこれまで約30年間で50か国,のべ200回以上海外の山に出かけてきました。また,その間に多くの新しいコースを開拓するため,現地へ出向き自らの足で歩き山に登り,新企画のツアー造成と現地での受入れ態勢の整備や契約業務などもおこなってきました。
 20代から,世界の山を駆け巡ってきた数々の実体験は,たくさんの人気コースを世に生み出すことにつながりました。また自分が企画した山旅(ツアー)にご一緒した多くの方々と感動や喜びを共有できたことは本当に幸せなことだと思っています。世界中のそれぞれの国には異なる文化や歴史,言語や宗教などを背景に抱えており,海外の山岳地帯や辺境地でのツアー運行でもっとも大切にしなくてはならないことは,そうした異なる背景を理解して尊重することだというのは,長年に渡り世界中の山を訪れた数々の経験を通して学んできたことです。

南十字星の輝く国 〜ニュージーランドへ〜

 この仕事を始めることになったきっかけを少しお話します。発展途上国などの農業支援や技術援助の仕事に関わりたいという夢を抱いていた私は東京農大に進学しました。農学部に在学していた20歳のころ,担当教授に一年間の休学を申し入れ,酪農や農業の実習と現地調査を兼ねてニュージーランドへ渡航することにしました。キウイフルーツの生産地ケリケリでは3ヶ月ほど働きました。他にも乳牛や羊の牧場,りんごやチェリーの果樹園を訪れ実習と称して働きました。

農業から山へ 〜ニュージーランドから世界へ〜

 その一方,大学に入ってから登山を始めた私はニュージーランドの豊かな大自然と山にすっかり魅せられてしまい,時間を見つけては国立公園の山をかたっぱしから登り,トレッキングを満喫しました。当時,ニュージーランドのトレッキングはまだ日本には紹介されておらず,こんなにも素晴らしい山と自然を日本でも紹介したいという考えが芽生え,南島のフィヨルドランド国立公園近くの小さな湖畔の町をベースに地元の人たちに協力してもらいながら登山やトレッキングのツアーを日本から受入れる会社を設立しました。そのことがきっかけとなり日本で登山を扱う旅行会社に売り込みました。そのときの営業先の一つであったのが現在,私が代表を務めているアルパインツアーだったのです。
 アルパインツアーは登山,トレッキングを専門にした旅行社としては業界最大手の旅行会社でした。私は日本が冬の期間は南半球ニュージーランドでお客様を山にガイドする受入れ業務,日本の夏にはアルパインツアーのカナディアンロッキーのツアーリーダーとして働くようになりました。しばらくは,夏はカナダ,冬はニュージーランドという季節を繰り返し,やがてその他の季節はネパール・ヒマラヤやヨーロッパ各国の山旅へもツアーリーダーとして出かけるようになり,同じ海外でも農業関係から旅行業へと自分の進路と志が変わっていったのでした。

国際交流 〜12歳の夏の冒険〜

 私がラボの国際交流に参加したのは1975年,中学1年12歳のときでした。アメリカはネブラスカ州の片田舎,Hebronの郊外にあるウィーデル家の農場でひと夏を過ごした経験は,その後の私の人生に大きな影響を持つことになりました。ウィーデル家はアメリカ中西部に見られる典型的な家族経営の農家でした。トウモロコシや大麦などの耕作と牛400頭,豚300頭の飼育をしていました。地平線まで続くトウモロコシ畑が全て自分の土地だとお父さんに説明され,当時NHKで放映していたアメリカの人気テレビ番組『大草原の小さな家』の世界に飛び込んだような気持ちで,何の不安もなくひと夏を過ごすことが出来たのは,ホストファミリーの暖かい愛情に包まれていたおかげだったのでしょう。
 私のホームステイは農場で過ごしただけなのですが,それでも日本から来た12歳の少年にとっては毎日が新鮮で,トラクターを運転するお父さんの横に座り,気の遠くなるような広大な畑を行ったり来たりしながら大空や地平線を眺めていたのでした。トウモロコシの皮むきと,その皮を豚小屋に運んで飼料と共に朝ごはんをあげるのも自分の日課として任され,農場のフェンスの修復作業をする時も丸太を等間隔にトラックから降ろすのが自分の仕事でした。日本から来た少年は農場の仕事を一生懸命に手伝い,週末に家族全員で出向く教会では町の人たちに会えるのが楽しみでした。英語は確かに話せるはずも無く,でも人と人は言葉が分からなくともそれ以前に「心で話して,心で聞く」,これがあれば通じ合えるのだという感覚をこの年齢でしっかりと心に刻んだ体験はまさに宝もののようなできごとでした。やがて世界の山に人生と仕事の舞台を移していった私にとって,それがどれほどの影響を持つ体験となるのか,当時の少年の私はまったく気づいてはいませんでした。

テーマ活動の世界 〜物語を創造する〜

 ラボ活動を通じて学んだことは数多くあります。とくに“テーマ活動”はその中心的役割を担うユニークなもので,学校教育の場では経験することのできないラボが生んだ最高傑作といえるのではないでしょうか。テーマ活動の題材は“ものがたり”なので,そこには必ずストーリーがあり,登場人物がいて,主人公や脇役もいるわけです。幼児から大学生までの幅広い年代層が一緒になってその物語をどう表現するか,最終的に発表会にむけ完成させるという目標に向かって英語と日本語のセリフを覚え,動き,背景などの演出まで考える。誰もがストーリーの中で役割が与えられ責任を任され,登場人物の心情を深く探求し,登場人物に成り切ることも自然と身に付いていくのです。物語の世界観を個々と全体で創造しながら完成へと導く作業は,むしろその作り上げていく過程がとても重要で,自分の意見を言い,相手の考えを聞き,意見交換をする中で価値観を共有していく作業を繰り返しておこないます。こうした感性は幼児期から少しずつ徐々に育まれていくため,高校生や大学生年代になって初めてそこで育んだ力を実感することになるのです。
 ラボ活動にはその他,発表会やテーマ活動大会,夏合宿やクリスマス会,長野県黒姫を初めとする全国各地でのキャンプなどがあり,こうした活動を通して全体プログラムの構成や役割分担の考案から準備など,すべてを子どもたち,つまりラボっ子自身が作り上げます。そこで目標やゴールに向かってともに作業することを学んでいくのです。最初から完成したものが与えられるのではなく,何も無いところからスタートし,物事を作り上げる,完成させる,という実体験の反復と積み重ねがラボ活動の原点である気がします。
 昭和の時代,戦後の高度成長時の学校教育の現場では,答えのある問題を正確に答える者が優秀だというのが常識でしたが,同時期に進行していたラボ活動では明らかに異なっていました。それは,答えのないことから答えを導き出すという視点から,物事の価値と創造を生み出していたのだと思います。

自分の歩んできた道 〜人生は自身の経験を通してでしか語れない〜

 我が半世紀の人生を振り返り,幼児期から青春時代にラボ活動を経験できたことはあらためて何ものにも代えられない貴重なことであったと思います。いまの自分の仕事,山旅にはストーリーがあります。3泊4日で歩く私の大好きなニュージーランドのミルフォードトラックや,5泊6日で登るアフリカ最高峰キリマンジャロ登山にもストーリーがあるのです。原生林から歩き初めて,色鮮やかなお花畑を進み,紺碧の山上湖をめぐり,岩場の急斜面から頂上へと続く稜線など,一歩ずつ足を運び歩くことでしか経験できない景色,風の流れ,雨の冷たさ,山頂に立つ感動など,それぞれのシーンから作り出されるストーリーがあります。ツアーにご参加いただくお客様は,あの山に登りたい,あの景色を見てみたいなど山旅にご自分の憧れや夢,ロマンを託されています。私たちの仕事はその期待に応えるべく,山旅をどう演出するか,一つの物語としてどうストーリーを描き完成へと導くのか,これはまさにラボのテーマ活動と同じ価値観ではないかと思っています。
 また,世界各国の人を相手に山旅のツアー造成,企画や手配業務,登山ガイドや安全管理の受入れ態勢などを構築し,作り上げる仕事においても,国や文化,宗教を超えて信頼関係を築き上げることの原点は,心で話す,心を交わす,という当時12歳だった自分がウィーデル家でひと夏を過ごした際にしっかりと心の柱として刻み込まれた感覚と感性だということは言うまでもありません。
 ラボ活動には,日頃のパーティ活動やさまざまな行事や合宿,キャンプのシニアメイト活動などがありますが,いずれもが組織やチームでプログラムを構成して運営する,協議を重ねしっかりと準備する,危機管理を想定し役割分担を明確にしてそれぞれが責任を全うするなど,社会では欠かせない要素がたくさん含まれているのです。リーダーシップや協調性といった人間関係の構築をも学んでいるのではないかと思うと,幼少期にラボ活動で育まれてきた経験と感性がいかに今の自分を支えているのかを,あらためて実感するのです。

最後に 〜母と二人娘のこと〜

 昭和一桁生まれの私の母親は,国立大学の英文科を卒業後,高校の英語の教員を勤め,結婚を期に上京した頃,「ことばが子どもの未来をつくる」を合言葉に誕生したラボに出会うことになりました。当時,全国で公募されて選ばれた初代ラボ・テューターの一人で,1966年のラボ創設期に深く関わった人でもあります。ということで私は3歳にしてラボっ子となり,以降大学2年生終了時,休学する直前までの20年間ラボを続けました。母が1998年に33年間のパーティ活動の幕を下ろすまで,ラボ・テューターとして常に情熱的,精力的に子どもたちに関わっていた姿を見ながら育った私は,一つのことに打ち込むこと,最後までやり遂げること,人のために時間を割いて親身になることの大切さを学びました。いつしか自分自身に重ね合わせていたのか,どうやらどれもが今の自分が日々実践していることばかりなのです。
 それから二人の娘たちはと言えば,やはり生まれながらにしてラボっ子となり竹内テューター(千葉市)のもとでラボ活動とともに育ちました。二人とも昨年に卒業しましたが,長女は保育士として,次女はニュージーランドへ海外留学し,それぞれの道を歩んでいます。

おはなしをうかがった方
芹澤健一
芹澤健一(せりざわ けんいち)
 3歳からラボ・パーティに入会。中学1年,高校2年でラボ国際交流に参加。高校時代にはシニアメイト(キャンプリーダー)として長野県黒姫での夏・冬・春のラボキャンプに参加。大学1年の時にアメリカ,カナダ,メキシコをヒッチハイクで旅し,国際交流のホームステイ先にも立ち寄る。
 大学2年終了時に一年休学してニュージーランドへ。酪農や果樹園での農業研修をおこなうかたわら,大学から始めた登山の経験を活かしニュージーランドの国立公園を訪れ山に登る。同時に当時ハネムーンで人気だったニュージーランドを訪れる日本人観光客にハイキングツアーを案内するガイド業を始め,その翌年には現地法人を設立,本格的にハイキングツアーの運行を開始する。その頃,若者向けの海外一人旅ガイドブックとして人気のあった「地球の歩き方」ニュージーランド編の初版発行の執筆に携わる。
 翌年の大学4年の夏にアルパインツアーのカナディアンロッキーのツアーリーダー業務に関わり,以後卒業後も4シーズンに渡りニュージーランド,カナダを中心にツアーリーダーとして活躍する。25歳のときに登山,トレッキング専門のアルパインツアーサービス株式会社に入社。以降ネパール・ヒマラヤ,カラコルム,ヨーロッパ・アルプス,アフリカ,南米など世界中の山岳・辺境の地へツアーリーダーとしてお客様をご案内する。当時,年間200日を超える日々を海外の山で過ごし,諸外国の新しい山旅ツアーの企画造成のため,現地業者との交渉,契約業務を拡大しながらアルパインツアー「世界の山旅」シリーズのプロデュースを手がける。平成15年より取締役営業本部長,専務取締役を経て平成23年より代表取締役社長に就任,現在に至る。
 アルパインツアーサービス株式会社は,世界中の山を舞台に登山,トレッキング,ハイキングのツアーを企画,実施している山旅専門の旅行会社。山岳旅行のほか高山植物や野鳥観察を目的とした海外・国内のネイチャリング・ツアーも好評。また四季折々の山に登る国内企画にも定評がある。「アルパインツアー」のブランド名で,人気アウトドアブランドのメーカー各社や世界各国の地元観光局との協賛企画など,世界の山と大自然をテーマに取り扱う総合旅行会社として知られている。
アルパインツアーサービス株式会社
  http://www.alpine-tour.com/
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