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特集連載
第39回
異文化体験という生涯学習

2014/8/1

能登路雅子/のとじ まさこ

 能登路雅子/のとじ まさこ
東京大学名誉教授(アメリカ文化史)

 ラボ国際交流プログラムの「1ケ月ホームステイ」や「留学」に参加したことのあるみなさんなら,誰でもが感じる「異文化」。この異文化体験とは,まずは違いを認める,そこからがスタートといわれています。
 今回は公益財団法人ラボ国際交流センター理事の能登路雅子先生に「異文化体験」について寄稿いただきました。
 先生ご自身の留学体験から,異文化体験でたいせつなのは失敗から学んでいくこと,そしてそこには新しい発見があるとおっしゃっています。異文化体験が人生に与える大きな力とはどのようなものなのでしょうか。

異文化交流から私が学んだもの

 私にとって最初の外国体験は、AFS高校留学プログラムでアメリカ人のホストファミリーと暮らした一年間でした。シアトル郊外の広大な敷地にある家で、父親は仕事から帰ると菜園の手入れに精を出し、母親は料理の名人。同い年のホストシスターは優等生タイプで、自宅で飼っている馬に乗るのが放課後の日課でした。5歳下の妹とはバドミントンやトランプをしてよく遊びました。
 家族は私に色々な体験をさせようと、週末にはブルーベリー摘みや巨大ダムの見学などに連れて行ってくれ、ハロウィーンや感謝祭、クリスマスやイースターの行事なども飾りからご馳走まで本格的に用意して盛大に祝ってくれました。高校での授業や友だちとの付き合いなども忘れがたい思い出ですが、何といってもホストファミリーとの日常生活を通じて彼らの喜怒哀楽や価値観を体感できたことが、最大の収穫でした。私自身がまだ未熟な17歳であったことも、お互い遠慮のないホンネの交流をするのに重要な要素だったと思います。
 その後、私は1970年代半ば以降、ブラジルに住んだり、ロサンゼルスで大学院に通いながらディズニー社の仕事をし、また、日本の大学でアメリカ文化を教えるようになったあとも、ミシガン大学やコロンビア大学で客員教授をつとめるなど、海外生活は通算10年近くになります。アメリカ研究者として学問的刺激を受けたのは大学院以降のことですが、自分が50代になって国際的なプロジェクトの責任をそれほど抵抗なくこなせるようになったのは、高校生でアメリカの家庭生活を経験できたからです。
 私にかぎらず、異文化体験は人生を変える長期的な影響力をもつものです。そのときには気づかなくとも、人の生き方や人生観に対して大きな変化を起こさせ、また周囲の多くの人間にも広範な影響をおよぼすインパクトの強い体験だということです。

文化力がモノをいう

 もうひとつ、私が外国人との交流から学んだのは、語学力そのものよりも文化的な感性の大切さです。知らない環境に放り出されて一番こまるのは、自分の要求をどの程度に伝えるのがよいか、何をすれば相手は喜んでくれるかといった、相手との距離の取り方がわからないということではないでしょうか。
 宇宙飛行士の若田光一さんが「32歳でスペースシャトルで暗黒の宇宙に旅立ったときのショックよりも、13歳でラボでアメリカにホームステイしたときのカルチャーショックの方が強烈だった」と述べておられますが、私が痛感したのも、「ホームステイはお客さまに行くのではない」ということでした。「相手の家族に溶け込み、積極的に手伝う。」「相手がしてくれていることに、きちんとお礼を言う。」日本の都会生活の便利さとはほど遠いアメリカでは車での送迎など、親に負担をかけることも多く、そのうえ治安の心配もあるので、予定の変更があったら逐一伝えることが基本です。私はこういったことで、何度もホストマザーを怒らせてしまいました。
 つまり、異文化体験とは、それぞれの場の雰囲気、自分の立場、相手の望むこと、迷惑なことなどを感じて、適切な行動をとる判断力と柔軟性を身につけるための学びの場だということです。これは失敗から徐々に学んでいくのが自然な方法ではないかと思います。

違いのなかから新しい理解が生まれる

 常識の違いや隔たりを感じる、思い込みが外れるといったことは、ストレスの原因にもなりますが、一方で新しい発見につながるチャンスともなります。たとえばアメリカのホストファミリーは白人だと思っていたが、相手先の父はフィリピン系、母はドイツ系でびっくりしたというような報告が時々聞かれます。
 アメリカではヒスパニックやアジア系の人口が急増していて、交流の相手が非白人である可能性は年々高くなっています。滞在期間中に人種民族や宗教の異なる人たちに出会うことを通じて、多様性に触れることも貴重な体験です。女性の働き方や子どものしつけなども家族によって異なるでしょう。ホームステイ先で違和感を感じる場面があっても、大切なのはそれを早く解消しようと思わないことです。違いの背景にはさまざまな歴史的・文化的な理由があるはずですから、それを理解しようという姿勢が大事です。
 最後に、交流先でこちらがどんな貢献をできるかについて考えてみましょう。ホームステイはたぶん初めて「自分が日本人であること」を意識する経験となるでしょう。私が高校留学した1960年代半ば、「日本に車はあるか」「石の枕で寝ているか」など、呆れるような質問をあちこちで受けましたが、各地のスピーチでは日本の日常生活、家族や学校などについて一生懸命に話をしました。恥をしのんでピアノや日本舞踊を披露したり、すき焼きを作って喜ばれたこともありました。
 アメリカの家族とはその後もずっと親しいお付き合いがつづきましたが、再会のたびに「マサコが来たあの一年が一番楽しかった」と懐かしがってくれます。私の留学がホストファミリーそれぞれの人生にとっても何らかの意義があったことを幸運なめぐり合わせだったと感じています。

おはなしをうかがった方
能登路雅子
能登路雅子(のとじ まさこ)
 青森県弘前市生まれ。1966年から一年間、AFSでワシントン州エドモンズ高校に留学。1972年に東京大学を卒業後、外資系広告代理店勤務を経て、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)大学院でアジア系アメリカ研究・人類学を専攻。1980年よりウォルト・ディズニー・プロダクションズおよびオリエンタルランド社嘱託として、東京ディズニーランド開園にかかわる。
 1983年より東京大学助手、武蔵大学助教授を経て、1996年より東京大学大学院総合文化研究科教授。専門分野はアメリカ文化史、文化外交、エスニシティ研究。著書に『ディズニーランドという聖地』(岩波書店)、『アメリカの世紀 1920年代‐1950年代』(共編著、東京大学出版会)などがある。
 研究教育のかたわら、日米文化教育交流会議(カルコン)やフルブライト委員会の委員をつとめ、2012年には東京大学国際人材養成プログラム(GSP)立ち上げにかかわった。1998年よりラボ国際交流センター理事をつとめ、各地の研修会などで講演を行なっている。2013年に東京大学を退職後、より幅広い研究活動を続けている。
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