多様性が地域の,日本の力になる

北御門 織絵

佐賀県庁・多文化社会コーディネーター

喜怒哀楽の共有から創造する,自分たちの物語

 私は大自然に囲まれた九州のど真ん中で,幼少期から大学生(たまにフェローに混じって)までラボ活動をしてきました。元ラボ・テューターの母は5〜6か所にパーティを開いており,私も毎日のようにグループに参加し,たくさんの友だちと物語やソングバードにふれていました。夜は大きなヘッドフォンをつけラボ機を抱きかかえて,お気に入りのライブラリーを聴きながら寝るのが日課でした。
 「一人一役」「セリフは全部覚える」「指の先から爪先まで風や石になりきる!」。テューターもラボっ子も毎回体当たりの真剣勝負で臨むテーマ活動。一緒に怒られ涙を流してくれる仲間と共に創り上げるテーマ活動には,自分達の想像を超えて創り上げられていくことに感動し,辛いとか辞めたいとは不思議と思ったことはありませんでした。「テーマ活動の友」にある文字は頼りにならず,頼るは自分の耳のみ。当時はCDではなくラボ機だったので,古い電池に入れ替えスローにして聴くなど,工夫をしていたのを覚えています。
 また,毎年の国際交流壮行会でのシニアメイトやカレッジメイトの迫力のあるテーマ活動は,「将来は自分があそこに!」という憧れを与えてくれました。これらの経験,体験を通してラボ・パーティをいつしか自分の「居場所」のように感じていました。

どこへ行くにもラボの物語と一緒に
どこへ行くにもラボの物語と一緒に

「我ら皆,地球人」というマインド

異文化のなかで過ごした1か月間のホームステイ(アメリカ・バージニア州)
異文化のなかで過ごした1か月間のホームステイ(アメリカ・バージニア州)

 いま私が,ライフワークとも思える「多文化共生社会の形成」に向けた取り組みに邁進することができるのは,中高時代に参加した北米交流と留学生の経験があるからだと思います。
 中学校の時に参加した北米交流でアメリカ・バージニア州に,高校2年のときに参加したラボ留学ではアメリカ・コロラド州にある高校に通いました。このふたつの経験でいちばん感じたことは,異文化のなかで「自分」をどのように表現し,伝えていくかということです。私は何をしたいのか,またどう感じたのかは伝えないと相手にはわかりません。「伝えたい」「理解したい」という気持ちをもってお互いが向きあい,理解しあったときの喜び,共感は,お互いの距離をぐっと縮めてくれました。
 留学はもっとたいへんで,1か月を楽しく過ごす北米交流とは違い,学校へ行き授業を受け,部活動に参加し,課題に取り組み,テストを受け,成績を取らなければいけません。私の通った高校は文武両道のマンモス校で,さまざまな国籍,文化をもつ学生が在籍し,「外国人」や「留学生」という立場がまったくめずらしくなかった環境だったので,意思表示をしないとどんどん置いていかれるような感覚を覚えました。これは日本の「先生の言う通りに」とか「皆がする事について行く」という環境とはまったく逆で,自分で考え自分で行動をし,その言動に対して責任を求められるため,とても新鮮な環境でした。

対話のなかで双方向から違いを認め,理解する。

 異文化という環境のなかでは,毎日が失敗と成功体験の繰り返しでした。しかし,自分の考えを発表すると,その意見を認めてくれる環境が,不安だった学校生活を安心へと変えてくれました。また,キャンパスのカフェテリアで日本語での談話に花を咲かせていた私たち(日本人留学生)に対して,人種差別的な発言をした学生に対して,大声で気持ちを爆発させ騒ぎを起こしたときでも,生徒指導の先生は私の気持ちに耳を傾け,納得のいくまで話をしてくれました。いま,当時を振りかえると,国籍や立場に関わりなく,周りの人たちが「対等」に接してくれて,理解できないときは時間がかかっても対話をして,寄り添ってくれたのだと思います。

高校留学時代の陸上部の仲間と(アメリカ・コロラド州)
高校留学時代の陸上部の仲間と(アメリカ・コロラド州)

切り離せない「ラボ活動」と「ことば」の力

 「英語には苦労しなかった」ということは多くのラボOB・OGが実証してきており,私も例外ではありません。多文化共生の仕事を始めてすぐは外国人相談窓口で英語で仕事をしており,日本語教室の紹介から交通事故の保険関係の情報提供や,離婚・結婚の弁護士相談の通訳などをしていました。ですがラボは,ただ英語が話せるということ以上に,「ことばを生かす力を育む」活動の塊ではないかと,最近,自分の娘のラボ活動を通して感じています。「ことばが子どもの未来をつくる」。まさにその通り! だと思います。
 英語や日本語,そのほかの言語で物語を表現する,それを仲間とああでもない,こうでもないと伝えあいながら創造する。そしてテューターから,「それで○○(登場人物)の気持ちを表せていると思うわけ?!」とか「すごいね,あなた達!」などいわれ,ショックも喜びも共感する場所や仲間がいる。自分のパーティを飛びだし,キャンプや国際交流へとひとり羽ばたいても,その先には安心して飛び込める環境がある。自分を支えて応援してくれる家族,テューター,そして事務局スタッフがいる。行く先々で自分を表現し,ことば力を磨き,自分を語ることと同じように他者に耳を傾け理解する。そんな場所は他にあるだろうか。このようにラボでの経験はいまの仕事に活かされていると実感しています。

多様性が活きる社会へ

 私は現在,佐賀県庁の国際課で「多文化社会コーディネーター」として,県の多文化共生施策を推進するための専門職として在籍し,とてもやりがいのある仕事をさせていただいています。「多文化社会コーディネーター」の仕事は,人や組織,関係機関をつなぎ,一緒になって地域社会を解決していくためのアクションプログラムを考えることです。たとえば日本での子育てに悩む外国人からの相談が多くなってきました。その場合は通訳を手配して予防接種や幼稚園入園の支援をします。けれども子育てをする外国人が増えてくると,通訳が何人いても足りません。あの人は助かって,あの人は助けられないという社会であってはいけません。どうしてその外国人のママ,パパが「困る」状況が発生しているのかを考え,子育て支援をする関係者や関係機関に情報を共有し,その問題を地域社会として支援し解決できるような仕組みを作っていく。それが多文化社会コーディネーターである私の仕事です。
 現代社会は地域の大小関わりなく,複雑で多岐にわたる課題に直面しています。少子高齢化によって人口減少が問題視されている近年,国は海外からの労働者の受け入れを始めました。本格的な共生社会の実現に向けて社会全体が大きく動き出しています。互いの文化を認め合い,対等な関係を築こうとしながら地域の一員として社会を構成していく。かんたんそうでむずしいこのプロセスを,ラボっ子はラボで培った「魂」でもって対応する術をもち合わせていると感じます。現に私のパーティでは,いろんな背景をもつ子どもたちが共に活動をしていました。不登校の子,ラボ歴が長いのにセリフのある役をしたことがない子,とにかく泣く子,1週間ぐらいでナレーションのセリフを全部覚える子。ライバル意識はあっても優越感や劣等感を抱くことなく,「違い」を「変だ」とか「おかしい」とマイナスに捉えず,自然に「対等」に接し,結果プラスの効果を出す。この経験はかならずこれからの多文化共生社会,ダイバーシティ社会に活かされると思っています。

 ラボっ子のみなさん,自分に自信をもって,自分のペースで,できるところからでいい,前に進もう。地域,国境を越えた所にいる友の平和を祈って,心のつながりをだいじにしよう。佐賀からエールを送ります。We are LABO kids!

多文化社会コーディネーターとして,佐賀県庁で活躍中
多文化社会コーディネーターとして,佐賀県庁で活躍中

お話を伺った方

北御門 織絵(きたみかど おりえ)

 1976年,福岡生まれ。
佐賀県庁・多文化社会コーディネーター。

熊本県,梅木パーティ

北御門 織絵(きたみかど おりえ)