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<作家インタビュー>『ふるやのもり』が生まれた日 田島征三
2005年08月26日(福音館こどものとも50周年記念プログより)
僕の、初めて出版された本ですから、よく覚えています。
この前に僕は、『しばてん』という本を作っているんです。手刷りの自費出版で。それを童話作家の今江祥智さんがたいへん気に入ってくれて、松居さん(当時の「こどものとも」編集長)のところへ連れていってくれて、見ていただいたわけです。
松居さんは、絵を評価してくださって、「こどものとも」で1冊作ることになったんです。それが、「出してあげましょう」というのではなくてね、「私とつきあってください」という言い方をなさった。僕は田舎育ちで、そういう上品な物言いには慣れていなかったから、「つきあってる間、お金とかくれるのかなあ?」と、わからなくてね(笑)。松居さんに聞きにいったんですよ。でも、「それはだめです」ってはっきりいわれて。ただ、お金に困ってるんだったら、早く出しましょう、ということになったんです。
当時僕は、平凡社の「月刊太陽」で、木下順二の民話に絵をつけるという仕事をしていて、それが出るたびに、松居さんのところに持っていってた。お金のことを聞きにいった時、ちょうど「ふるやのもり」が掲載された号を持っていったんです。それで松居さんが、「あ、ふるやのもりがいいですね。これでいきましょう」といってくれた。
この作品は、ほとんどの絵をモノクロで描いて、印刷指定で色をつけているんです。一見、土俗的な絵ですよね。だけどやろうとしていることは、デザイン的に頭の中で組み立てて、絵を描いてゆく。
描いて出る効果、というのは描いちゃえばいいわけです。でもせっかく印刷を通じて表現するんだから、描こうとしても描けないことをしたかった。それで、印刷の技術を駆使してやったんです。やりたいことをやって、満足感はありました。
「これは、子ども向きのものではない」という書評があったりして、子どもの本の現場では排斥された部分もあるけど、印象的ではあったようで、作者に会いたい、という気持になった人がずいぶんいたみたい。当時僕は、体重が48キロしかなくて、青い顔してて、ひげも生えていなかったし、ものすごく神経質で、ピリピリしてましたね。でも、会いにくる人はみんな、この本の土俗的な印象で判断して、筋骨隆々でひげぼうぼうの山男みたいなのが描いたと思ってるんですね。でも、この本は、いろいろ神経質に考えて、デザイン的な処理をしてるんですね。構図やレイアウトの面でも、大胆かつ繊細なことをやった。とにかく新しいものを作りたい、子どもの本に革命を起こさなきゃ、という気持があったから。
この本の原稿料は13万円。その年の収入はこれだけでした。
(「こどものとも年中向き」2002年10月号折込付録掲載「絵本誕生の秘密 作家訪問インタビュー」より一部を再録)
田島征三(たしま せいぞう)
1940年大阪に生まれる。高知で幼少期を過ごす。多摩美術大学図案科卒業。東京都日の出町で、ヤギやチャボを飼い畑を耕す生活をしながら絵画、版画、絵本などを創作する。1998年より伊豆に移住し、木の実との新しい出会いもあり、近年、木の実など自然の素材を使ったアートを本格的に展開している。絵本に『ちからたろう』(第2回ブラティスラヴァ世界絵本原画展金のりんご賞、ポプラ社)、『ふきまんぶく』(第5回講談社出版文化賞、偕成社)、『とべバッタ』(絵本にっぽん賞・小学館絵画賞、偕成社)、『ふるやのもり』『だいふくもち』『おじぞうさん』『ガオ』(以上、福音館書店)、『しばてん』『くさむら』(以上、偕成社)などがある。エッセイ集に『絵の中のぼくの村』(くもん出版)、『日の出の森をたすけて』(法蔵館)、『人生のお汁』(偕成社)、作品集『きみはナニを探してる?』(アートン)などがある。 |
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