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「早期教育について」 ―― 保育基礎演習 修了レポートより ――
第1章 日本の教育の方向性について…
小・中学校の新学習指導要領が1998年12月に告示された。今までの知識詰め込み型の教育内容からの転換を図るものになっていた。小学校については、教科の枠を越えた総合的な学習の時間が新設され、その時間を使うと、小学校でも英語を学習することができるようになる。しかしこれは、中学校からでは英語を始める時期は遅く、英語を始めるには、発達段階的に小学校の方が適期ではないかという早期教育の考えが表われている。現在、子どもの出生率とは逆比例する形で、乳幼児のおけいこごとや、勉強の早期化が進んでいる。子育てに不安なお母さんたちの心配をうまく早期教育産業がキャッチしている。
第2章 早期教育へ駆り立てるもの…
なぜ、親は早期教育をするのだろうか。それには、「三歳児神話」、落ちこぼれる不安、子育て不安、様々な母親の心理的状況がある。そして母親の自己実現も大きな割合を占めている。子育てに余裕がでてくると、子どものかわいさや育児とは別に虚しさや満たされない気持ちが生じてくることが多い。そして、自分の代わりに、子どもを高めて、その出来で自己確認することが生じる。これが今の早期教育の一面になっている可能性が高い。
第3章 早いことはいいことか…
早期教育を行うとどうなるか。早期教育が優秀な子どもを育てている事実は否定できない。しかし、発達の質的な側面や人格から見て、必ずしも効果的といえない問題点もある。早期教育の影響が将来響いてくるかもしれない。親のやり方、いろいろな教育法次第で、いくらでも子どもは伸びる。しかしそれは子どもが望んでいることなのか。本当に大切なものは何なのか。これからは、父親も育児に参加し、母親も自分自身の人生を生きることができたなら、早期教育する必要がなくなるのではないか。
早期教育はするかしないかどちらをとるかは親が決めることである。しかし子どもの判断力がない時点で、人生を大きく方向づけてしまう権限は親にあるのだろうか?
*早期教育を支えるもの
ここ数年、子育て界では早期教育が母親たちを巻き込んできた。しかし、その「効果」は未だ確認されていない。逆に最近は、行きすぎた早期教育の「害」を心配する声があがり、実際にも報告され始めた。ブームとして勢いを得てきた早期教育が、改めて検討されるべき時を迎えている。早期教育を考えるとき、流行を支えている要因を考えてみることは意味深い。そこには、今の社会のあり方や教育問題を背景に、供給者である教育産業と担い手の母親の存在がある。母親の思いは人により異なり、また一人の母親の中でも、複数の事情が絡み合って複雑である。次にあげる母親の思いは教育から今の子育て事情の持つ問題まで、層を成すように広がっており、互いに関連して早期教育を受け入れやすい土壌を作っている。
① 「三歳児神話」の圧力…
子育て中の母親にとって、「三つ子の魂百まで」的な考えほど強い拘束力を持つものはない。「初期が大切」「とくに三歳まで」といった「三歳児神話」が一般通念としてある。これは母親の中に、幼児期を大切に育てなくてはという気持ちを生じさせるが、その責任感が転じて、罪責感を抱かせやすくもしている。そこにつけ込まれると、母親は弱いのである。早期教育の勧めは、この母親の責任感ゆえの罪責感に、微妙につけ込むところがある。
② 「落ちこぼれる不安」…
英才児を目指して早期教育に力を入れる母親もいるが、それよりも「落ちこぼれると困る」の不安から始める母親の方がはるかに多いようである。母親にとってわが子は大切で思い入れが強いぶん、逆に自信がもてないのだ。まして今、子育てはすべて母親に任されており、母親一人で責任を負っているような状況にある。責任が重いぶん、よけいにわが子をほかの子と比較して気にするのかもしれない。心配しているよりも早期教育をしてしまった方が、よほど気が楽になるかもしれない。
③ 子育て不安と小学校不信…
入学前は教育産業が横行する「無法地帯」と化しているイメージがある。そこで右往左往する母親は、のびのび育てたいと思う反面、それに徹することには勇気がいり、小学校でのスタートラインでの「安全」を考えると、どうしても早期教育よりの選択をしてしまうケースが多いようだ。母親達は小学校を信頼していない。母親の多くはこう考えている。身近に育児の先輩がいないため、先が見えずに不安になりがちなことがまず挙げられる。しかし、最近の小学校が抱える問題や、塾通いが当たり前になっている現状を見るとき、母親の中に小学校に対する不信感が強まるのも当然である。そこで母親は「自衛策」として進学塾主催の幼児教室に子どもを通わせ、入学に備えようとする。こうして入学前はのんびりできなくなってきている。
④ お受験…
私立幼稚園、小学校受験のために、早くから教室通いをする親子も多い。考えてみれば子どもの数は減っており、将来大学の数が減らない限り、受験は今よりはるかに楽になるはずなのだが、母親たちは楽観せず、「子どもの数が減れば、減ったなりの厳しさが出てくる」と、理屈ではない信念に近い心配を持っている。「受験戦争」「偏差値教育」の中で育ってきた母親達は、その中で染みついた感覚が抜けていないのかもしれない。
⑤ 母親の自己実現…
母親達は、高学歴で仕事の経験のある人も多い。そうした女性が、家庭に入り、子育てだけに取り組んだときに感じる、満たされなさ、虚しさ、焦りが、子どもの教室通いの基にあることも多い。「子どもは母親が育てるもの。手が離れるまでは育児に専念する。」こう考えて母親たちは仕事をやめて家に入る。そして、出産で世界は大きく変わる。今まで気づいてきた経歴、仕事の世界、人間関係、ライフスタイルが失われるだけでなく、仕事を通じて自分の力を試すこと、自分を表現すること、努力の結果を見ることもなくなる。出産で得るものと引き換えに失った物がここには確かにある。育児に没頭する1,2年は、こうした喪失感を感じる余裕もないが、子育てが楽になるにつれ、子どものかわいさや育児の喜びとは別に、虚しさや満たされない気持ちが生じてくることが多い。一個の人間として、自分の世界を持ちたい欲求、自分を高め、何かを達成し、自分の力を評価されたい気持ちは母親にもある。とくに、男女平等の教育を受け、男性に伍して仕事した経験もある今の母親達は、この自己にまつわる欲求は高いのではないだろうか。しかし、育児は基本的に子どもの「生」に仕えるものなので、育児だけをしっかりしようと思うと、この自己にまつわる欲求は満たせなくなる。ここに、今の母親が必然的に陥る葛藤と欲求不満があるといえる。しかし、それでもやはり母親のなかには「子どもは母親が育てるべき」の思いが強く、部分的にしろ育児から離れることは考えず、再就職はおろか、趣味や勉強などの自分の世界を持つことにも躊躇する。すると、「何かしたい」が子ども関係以外のことはできず、子どもの関係のなかで、自分の力を試し、自己を表現し、達成の欲求を満たそうとしてしまう。つまり、自分の代わりに、子どもを高めて、その出来で自己確認することが生じるのだ。これが今の早期教育の一面になっている可能性は高い。
早期教育とは、子供の存在を借りた母親の自己実現の舞台であるともいえるかもしれない。 |
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