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あらゆる教科に通底するもの
―演劇教育の可能性― (かめおかゆみこのドラマ教育より)
*ウォーミングアップの大切さ
私たちは、心身がほぐれた状態の時のほうが、様々なことを理解、吸収できるようにできている。人間は感情の生き物です。感情が動かなければ、心もからだも本当に動きません。
演劇教育では、「心」と「からだ」をひとつながりのものとして考えます。つながりの中で、表現もコミュニケーションも成立します。その基本には、他者に対する働きかけ(表現)と、他者の働きかけを受け取ること(コミュニケーション)があります。黙って座っているだけの時よりも、ゲームの中では、心身の状態がはっきりしています。
*自己受容感を高める
表現のワークの良さのひとつは、そこに「評価」が介在しないことです。自分の内面から湧き出る表現に、良い悪いは存在しません。大切なのは、どれだけそれをのびのびと、表に出してやれるかです。
「自分は自分、ありのままでいいのだ」ということを、心とからだ、両面から体験する事は、子どもに深い安定感を与えます。この安定感はそのまま「自己受容感」と言い換えることができます。
良く耕され、水はけも良く、太陽の日差しがあたたかく降り注ぐ畑では、作物は良く育ちます。人間の心も同じではないかと思います。
表現のワークは、それを五感を使って行うことで、理屈ではなく、心とからだ両面から染みとおっていくもの。つまり、より実感のあるものとして効果を生むことができる。
*「成る」体験
劇や人形劇は、まさに「成る」体験そのもの。
「成る」体験はなぜ必要なのか?それは、「自分」という可能性を知るためである。どんな人でも、人生は一通りしか選ぶことができません。
でも「成る」体験を通して、様々な人生を体験できます。様々な人生を体験する事は、様々な心を体験できるということ。様々な心を体験する事は、様々な立場になって考えられるということでもあります。それは、自分以外の存在の価値を知ることであり、同時に、自分自身の存在の価値に気づくことだとも思います。
*言葉の可能性にふれる
さまざまな言葉を覚えていく時期、言葉を覚えることは、自分を表現するための可能性がひとつ増えること。言葉の楽しさを一緒に伝えたい。言葉とともにさまざまな体験を蓄えたい。そのためにも、覚えた言葉をいろいろな形で活用してみましょう。
言葉は、言葉それだけで存在しているのではなく、その言葉が成り立つための具体的な何かが存在しています。さまざまな方法で、実際に見たり聞いたり触れたりして、言葉を実感のあるものとして受け止めていきたいものです。
演劇教育は、あらゆる教科に通底するものであると思います。それは具体的に、自分の言葉で自分の気持ちを表現する力を育てることであり、五感を豊かに使って、学びを深めることであり、想像力と創造力を膨らませていくことであり、仲間との協働のなかで、人間関係を育んでいくことであり、それらは、個別でなく、常に全体としてあるものなのです。切り離して捉えることはできないものです |
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