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このたび文部科学省傘下の(社)青少年育成国民会議主催の「全国ユースフォーラム」がオリンピック記念青少年センターで7月29日から31日まで開かれ、のアドバイザーとして参加する機会がありました。参加対象は、全国の高校生世代で約300名が集いました。
この集いは、今年で6回目、その目的及び趣旨は、次ぎのように謳われている。
「青少年の自主的、主体的な活動や青少年の自主性を育むため、高校生年代を対象に、自らの意見を積極的に発言できる意見交換・協議の「場」を提供し、自主性や社会性、規範意識の向上や、社会貢献をはじめとした地域や社会の課題解決に向けた活動への参加意欲の高揚に資することをねらいに実施する」とある。
今年のフォーラムは、15分科会に分かれ、生命倫理、地球環境、政治、平和、学校、食について考える個性、友達等のテーマでの討論があり、わたしは、「同世代の犯罪を考える」というテーマで22名の分科会を受け持ちました。現代の高校生年代の感性、問題意識をつぶさに感じ取った3日間でした。下記の感想文は、ユース・フォーラム事務局から依頼され書いたものです。
第8分科会「同世代の犯罪について考える」--アドバイザー所見
最近、高校生年代の殺人事件が、連続して起こっています。両親を爆破殺人、兄弟喧嘩の果て弟が兄を殺したじか園、また、ある高校生は、いじめが原因で学校への腹いせのため、自家製の爆弾を作り(インターネットで作り方を学び!)授業中のクラスに投げ込んだという事件がありました。
いったい、十代の青少年の心に何がおこっているのか?また、同世代の犯罪についてどのように考え、どのように対処しなければならないのか?第8分科会の討論課題として与えられたテーマは、まことに時宜を得たものであったと思います。
このてーまが、身近な問題としてあり、また、"かなり重い”討論内容であるのですが、実行委員の”トモ”と”ヤス”両君が時間を掛けて、参加者全員の問題として主体的に捉え、かつ深めてゆくという問題意識、特に彼らの感性と努力を高く評価したいと思います。アドバイザーとして教えられたこと、アドバイスしたこと等の印象を述べさせて頂きます。
同年代の犯罪いを考える時、その身近なものとして飲酒と喫煙を取り上げ、議論したが、彼らの意見として、法律を破っているという罪悪感がない、と言うよりゲーム感覚で犯罪に走るのが特徴的ではないかということが出ました。同世代の彼らがメデアの影響を受け易く、主体性がなく流されてしまう、いわゆるコピイ・キャットの犯罪が起こっていること。殺人であっても、リセットすれば生き返る、と言う意識があり、家庭、学校地域社会のあらゆる場面で、生身の人と人の親密な関係が衰えている文化背景が、こうした架空な幻想をもたらしているのではないだろうか?
それでは、同世代の高校生としてどう対処すべきか、また何が求められているのかという時、一人一人の自己確立、メデアに左右されない正しい知識を身に付け、心のあり方を問われているのではないか。つまり、「人は一人で生きているのではなく、共にいきている」この辺を、"当事者意識”をもって捉え、対処し、対策を考えていくことが同世代の犯罪を防ぎ、また守ることが出来るというのが、討論のあらましであったと思います。
さて、討論の中でひとつの”ことば”が、私の関心を惹きました。それは、今の生活の中に、自己を"守るもの”がないという言葉です。換言すれば、自分の帰属する、家族、友人、両親兄弟の絆という人間関係が切れていると言う事だろうと思います。自分たちが、何か大切なものから切り離されているという実感でしょう。
地域の中に、大人が子供に対して持っていた、しつけ、叱るというような教育的な制御装置が機能しなくなったとよく言われます。一方、学校の中でも先生と生徒の関係が機能不全を起している。先生のサラリーマン化ということらしが、必要以上の人間関係をとりたがらない。不幸にも子供たちの置かれた生活教育環境は、犯罪に対してコントロール(自己制御)出来る関係性を失っているということなのだろうか?つまり、"居場所”がない、その意味で、子供たちは、孤島と孤島の間を漂流していると言っても過言ではないのでしょう。
こうした社会的背景の中で、"人の痛みをわかる人間になりたい”と言う感受性と想像力を持つ高校生年代が存在することも、また、現実であり、それは大きな希望であります。参加者の一人が、次のように語ったことが、非常に印象深いことでした。
「人の命は、地球より重いとよく言われるが、殺人を犯す人間は、このことを理解できていない。ある人にとって、かけがいのない人が亡くなり、理不尽な悲しみに陥る人々があるということ。この理不尽な悲しみを、加害者にも被害者にも、もたらしてならない。人は、一人で生きていけないのだから」
今日の日本の状況を作り出したのは、われわれ大人です。戦後60年、焦土の中から立ち上がり、日本は、世界第2位の経済力を持つ国となったのですが、その豊かさに比して、精神的な貧しさが指摘されます。大人の精神的飢餓社会が青少年を犯罪に向かわせるとするなら、青少年の犯罪は、そのことを告発していると思われなくもありません。
経済的な豊かさよりも、「人は、一人で生きていけない」と言う人間関係の豊かさが、私たちの目指す社会であること、そのために行動すること、それこそが、10代の悲劇的犯罪を防ぐ道であると、感受性豊かな若者達から教えてもらった3日間でした。 |
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