幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 幕末漂流民が生きたしなやかな国際性
 再び幕末漂流民
 幕末漂流民のものがたり-その3
 幕末漂流民ものがたり-その4
 幕末漂流民ものがたり-その5
 An Introduction to Cultural Exchange
Welcome!
Evelyne Iritani さんの"An Ocean between us"を読み、音吉、久吉、岩吉の漂流ものがたりによって刺激を受けて以来、数多くの人達が、漂流について書いていることを発見した。作家の吉村昭(アメリカ彦蔵)、春名徹(音吉少年漂流記)、三浦綾子(海嶺)、幕末漂流-日米開国秘話-(青木健)、近藤晴嘉(ジョセフ・ヒコ)等の著作を読み、それにジョン万次郎も勿論あるが。また、漂流の後たどり着いたさきは、アメリカだけではなく、フィリッピン、ジャガタラ(現インドネシア)ロシア、その他の国々に渉る。また、アメリカから北海道への漂流着者も出現したのである。
 漂流は果てしない興味を我々にもたらす。何故か?それは現代のように、人生が既にプラニングされたシステムによって動く世界ではなく、全く我々の自由の選択ではなしに、他律によって生きざるを得ない、予測が不可能な世界であるからだ。現代の世界での我々のライフ・スタイルは、金、効率、安定、と言う価値意識によって取り込まれているのに対して、漂流は、人は、提示された状況を何によって、どう生きるかという、ノッピキならない状態に置かれるからだ。もてる自分のスキルを発揮する以外にどうすることも出来ない。何によって生きるかという課題を引き受けるということだからだ。
 多分、われわれは、その本質においてこの世に生を受けると言うことは、漂流の始まりであるのかもしれない。我々が意識しないだけだ。昨年は、世界的に地震、津波等の天災が多かった。また、人間の心の荒廃もある。そこから我々は、何を読み取るのか?我々は、我々を取り巻くさまざまな事柄に鈍感であるのかも知れない。

 人間は、漂流する存在なのだ。このことに謙虚でなければならない。自分の人生に謙虚でなければならない。何の事はない、我々は、生かされる存在、自ら取り仕切りはできないのだ。それができると幻想を持つ時、全ての悲劇が待ち受ける。デンマークの哲学者、キルケゴールは、かって、「人にとって、最大の悲劇は、悲劇を悲劇として理解しないことである」と言った。われわれは、その悲劇を、毎日見ているWitnessしているのである。


 
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