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ラボの国際交流、Personal Information Seat(個人状況表)アメリカのコーディネーターに出す家族、自己紹介シート、国際交流に参加することを決め、コレを書くことから実際の準備が始まります。コレまでの参加者のPISシート自己アピールのところをコピーしてとってあります。それを見返すと、受け入れ家庭はこのシートを見て、このラボっ子を受け入れようと思ったのだなあと、なんだか納得できます。
一昨年Nちゃんを受け入れたレイチェル。昨夏Nちゃん宅にスティしたので私たちも彼女の事が分かる。NちゃんのPISシート、とっても楽しい雰囲気。レイチェルはこの写真を見て、Nちゃんを受け入れようと思ったんだなあ。
同じく一昨年カンザスに行ったYちゃん。三姉妹の長女で、とってもやさしい子。受け入れてくれた家庭は、若いけれど、ボランティア精神にとんだホストマザー。まだ手のかかる小さい子がいるにもかかわらず、Yちゃんを受け入れてくれたばかりか、家庭に事情があって、家にいられない子を短期間受け入れたりもしていた。
それを見て帰ったYちゃん、「もっといろいろしてあげたかった」と帰って言った。
Yちゃんのお母さんとあらためて、「このシートを見て受け入れてくれたのよねえ」と。
4姉妹と友達と
そしてMちゃん、新体操に吹奏楽、習字、ピアノ、自分のとくいなことをしっかり紹介、やりたいことには、ホームスティしたお宅でどんなことをしてあげたいかをかき、学校にも行って見たいと希望を書いておいた。
そして受け入れ先として決まったお家。4人姉妹のお宅で、ダンスが好き、音楽が好き、日本の漫画が好き。
「Mはウチの5番目の娘だ!」とホストのお父さんに言われたそう。
Mちゃんのスティ中の写真を見ると、姉妹で、お部屋で体操をし、ファッションショーをし(ゆかたで)、お習字を教え、英語のカリグラフィを教えてもらい、食事当番の中に組み入れてもらい、毎週食事をつくり。
帰ったとき、「何にも困らなかった、毎日楽しかった!!」そうだろうなあ。
学校に行きたいと希望も、ホストファザーが、学校やいろんなところに出向いて、いかれるように調整してくれて、中学部にに行く事ができた。日本語クラスや美術のクラスを受けて、それもとってもいい経験になったよう。
ラボの国際交流、ホームスティの場合、各州のコーディネーターの方が、このPISを元に、この子にはどんな子がいいか、より良い出会いと交流になるよう、努力してくれている。Mちゃんのコーディネーターも、いろいろ考えてくれたんだろうと。私がシャペロンでいったときも
私のホストはそのコーディネーターで一軒一軒の状況をよく把握して、きめ細かに対応してくれていた。
Mちゃんだけでなく、参加しているラボっ子みんな、各州のコーディネータにはとってもお世話になっている。
Mちゃんは中3での参加。昨年秋までは行くといわなかった。
スティ先で、折り紙、バルーンアート、お習字、料理は餃子や、スープ、いろいろ作り、ホストの妹が風邪をひいたときにはおかゆまで作ってあげ、彼女のスーツケースは「マジックスーツケース」と言われていた。
いろいろなことをしてあげたい、と言う気持ちをしっかり持って準備して行ったMちゃん。「準備して行ったらいった分だけいいスティになる」事前活動で参加するラボっ子たちにそういっている、まさにそのとおり。彼女にとって、中3のこの時期に行ったのがベストタイミングだった。
そういう彼女も、最初からこういう子であったわけではない。
年長で入会。小学校低学年のころは、すぐに涙が出る、いいたいこともなかなかいえない子だった。小2で初めて大山サマーキャンプには行ったけれども、その後はキャンプに行きたなかった。
お母さん曰く「今のキディさんや小学生、Mの小さいときの事を思うと、みんなスゴーイと思います。大きな声で発表してるし」
いまのMちゃんしか知らないお母さん「そうは全然思えない」
Mちゃんママ「Mが小さいころ高校生のお姉ちゃんがいて、そのおねえちゃんが声をかけてくれるのがうれしくって、Mにもあんなおねえちゃんになってもらいたくって」
これまでの彼女の歩みを見ていくと、四国の標葉pや呉の森岡Pへの交流会やキャンプ、そしてテーマ活動発表、一歩一歩、ラボ活動の中で自信をつけて行った事がよく分かる。
Mちゃん、今ではすみだpのあこがれのお姉さん。
帰ってから、毎日のように、「アメリカは良かった!楽しかった!また帰りたい」という彼女。国際交流行かないといっていた弟、すっかり行く気に。
そして彼女を受け入れたジョージア州のホストファミリィ。受け入れてとっても良かったからと,周りの人にラボの受け入れを勧めてくれているとの事。ラボの国際交流って、こうやって30年続いてきてるんですね。
来年すみだPから国際交流参加希望者5名!!過去最多。
どの子も、行かされるのではなく、本人が行きたい、と参加を決めた。
子どもはどんどん変わって行く。「男子三日会わざれば,刮目(かつもく)して待つべし」人はどんどん変わって行く。三日も会わなければしっかり見てみろ、養老孟司さんが「バカの壁」のなかで引用していらっしゃいますが、まさにそのとおりで、子どもたちには「バカの壁」はなくて、どんどん豹変して行く。
見るこちらの目がついていかないぐらい。
追記
Mちゃん、スティ中に英文日記を書いてきている。それを見せてくれた。最初の頃は、細かなことは日本語で補ってあったりするが、半ば頃からはほとんど英語で言いたい事が表せている。
一昨年ミシガンに行ったKは、スティ半ばの日記に「英語が日本語に聞こえる」と書いている。
これまですみだPで、行った子も、シャペロンで引率した子も、ホストファミリィとのコミュニケーションには、困っていない。
いつも思うのだが、ラボっ子は、テーマ活動の中で、英語の言語野ができかけていて、アメリカやカナダ、英語だけの環境に入ったとき、その英語の言語野が開いて働き始める気がする。
普通、日本人は日本語の言語野で英語を理解しようとするので、ひとつひとつの言葉を英語に翻訳していこうとする。それだと、ぱっと聞いて、ぱっとわかるとはならないので、読めばわかるけど、ネイティブのスピードで話されると、と言うことになる。英語の言語野ができると言うことは、いちいち訳すのではなく。英語で聞いて、イメージできるということ。だから「英語が日本語に聞こえる(ぱっとわかる)」ということになる。
これは、まさにラボライブラリィを聞き続け、テーマ活動の体験を積み重ねることで育ってきたこと。 |
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