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つれづれ塾=その《4》
―植物——
〔4-4〕桃、そして桃源郷
>桃源郷、私はいつもこの言葉に惹かれます。高校時代、漢文の時間で習ったこの物語。戦乱をさけ、諍いから逃れられる桃源郷は存在するのでしょうか。もし、存在するなら、私は今のこのささくれだった世界から桃源郷に移りたい。〔dorothyさん 06.09.13〕
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中国の故事にいう「桃源郷」とは、どんなところなんでしょうか。『チピヤクカムイ』からは飛躍しますが、オオジシギの急上昇・急降下の展開もあることだし、話が大きく飛躍し逸れるのも、この際、ま、いいか。
その伝説の地が実際にある、ということ、ご存知でしたか。地図を開いてください。中国・湖南(フーナン)省、洞庭湖の西に常徳(チャントー)という小さな町があります。その西南のあたり、沅江(ユワン川)沿いの小集落がそれですって。ふつうの地図には載っていませんね。でも、ホントかなあ。
これは晋の詩人、陶淵明が「桃花源記」という作品のなかで書いている美しい別天地のことでしたね。一人の漁夫が道に迷います。探して探して迷いこんだのが深い桃の林。そこできたないナリをした老人に出会います。この人は、秦の戦乱につくづくイヤケがさして戦場から逃亡、ここに隠れ住むようになった人の子孫。何代にもわたり、その後の社会がどうなったのか、時代がどう動いたのか、そんなことは知ることもなく、知ろうともせず、ただひっそりと平穏に、欲も名利も捨てて、人蹟未踏のこの仙境でこころゆたかな生をいとなんでいた、とか。
中国では、この桃、なかなか評判よろしいようですね。『西遊記』にも登場するありがたいくだもの。わたしにも、日ごろ大事にしている故事があります。『史記』に見られることばです。
「桃李不言下自成蹊」
読み下してみますと、「トウリものいわざれどもシタおのずからミチをなす」となりますでしょうか。蹊は道のこと。東京・武蔵野市にある成蹊大学はこの故事にならってつけられた名だそうです。桃もスモモも、花は美しく、実を食べればうまい。なにもカネやタイコで人を集め、声高に自己主張をするまでもなく、いいものには黙っていても人が集まってくるもの。その木の下には、知らないうちによく踏みならされた立派な道がつくられるものだ、という。人徳のある人のところには、知らず識らずのうちに人が慕い寄ってくる、と。
これは、司馬遷が李広(リコウ)という名将のことを書いたところに出てきます。漢の文帝・景帝・武帝、この三代にわたって仕えた武人で、えらく訥弁で、ふだんはもの云わず何を考えているかわからず、よく誤解を招くことがあったそうです。しかし、部下への思いやりが深く、行軍中、飢えても渇いても、自分は最後にしてまず部下に与えたという徳望の人柄。とうぜん、部下は一人の例外なく、この人物をシンから愛し、信用していたそうです。そんな上司って、いまどきの会社にいないね。
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中国のことばかり書いてしまいましたが、日本にあっても桃は古くから大事にされてきました。古事記は、この実が悪霊を退散させる霊果としていますし、日本五大昔話の一つ「桃太郎」にその霊力が語られているのはよく知られたこと。三月のひな祭りは「桃の節句」と呼びならわされて今に至っています。「桃弧」(とうこ)というのは、桃の木で作った弓で、災厄を払う宗教の具としてこれを使っている習俗をもつ土地もあります。
「桃尻」といったら、ちょっとドキッ! としませんか。これ、性卑しきわたしなんぞがすぐ想像するイメージとはぜんぜん違うんですね。『徒然草』にちゃんと出ています。ほら、桃のおしりといったら、まるっこくてかわいいじゃないですか。撫でてみたくなっちゃう。しかし、これ、まるっこいので、すわりが悪い。馬に乗る武士で、鞍におしりがすっぽりおさまらない、なんだかモゾモゾして安定しないでいる人のことを、侮蔑の意をこめてそう呼んだとか。映画やテレビの時代劇などでは、そういうカッコわるい武士は登場しませんがね。(Sep 13, 2006)
☆
>「桃李不言下自成蹊」 「桃」というのが不思議な霊力を持つものである、というのは中国の昔から言われていることらしいです。よく調べると、桃の霊力を信奉し、その力を平和への願いが桃にはこめられるのだ、ということを知りました。〔Dorothyさん 2006.09.16〕
⇒こういうネット環境にあって、中国の古典、日本の古典について、はなしが通じるというのは、ぐっと奥まで屋敷が開けるようで、なんだかうれしいです。こんな日常のなかでそれを語り合う機会なんて、まずないですので。わたしもつい、いい気になりすぎているかも知れませんが、ま、お許しください。そうそう、dorothyさんをまた口惜しがらせることになりますが、10月初め、今年も狂言を鑑賞することになりました。なんとまあ、今回演じられる曲は「柿山伏」。加えて「水掛婿」「東西迷(どちはぐれ)」。たのしみにしています。
しかしまあ、早や秋。萩の花がこぼれる季節でもあり、古事記まで言って、萬葉集をいわないのは片手落ちというもの。
萩の花 尾花 葛花 なでしこの花
女郎花(おみなへし)また藤袴 朝貌(あさがほ)の花 山上憶良
朝貌(あさがほ)とは桔梗のこと。高校のころ暗記させられませんでしたか。秋の七草が詠みこまれた有名な歌。萬葉集4千5百余首の3分の1に植物が詠み込まれているうち、秋のハギがもっとも多いことはよく知られていますね。そのつぎに多いのは梅、松、橘。わたしに由縁あるスゲも50首あります。サクラはそれより少なく40首。さて、モモやスモモは…? あります、あります。数は少ないですが、まずよく知られているのは、
春の苑 くれなゐにほふ桃の花
下照る道に 出で立つおとめ 大伴家持
カビによる劣化で問題になっている明日香村の高松塚古墳、そこに描かれていた明日香美人が想い浮かびます。うん、美人にモモがよく似合う、…ような。また、
わが園の李(すもも)の花か庭に散る
はだれのいまだ残りたるかな 読み人知らず
というのも。ところで、悠仁親王お誕生のめでたさに沸くわが国ですが、そのオシルシが「高野槇」だとか。「槇」を詠ったものを萬葉集に探してみました。ありましたよ。
時雨の雨 間なくし降れば
真木の葉も争ひかねて色づきにけり 読み人知らず
槇=真木については「日本書紀」の歌謡にこんなのがあります。これがなかなかいい。
真木拆(さ)く 桧の板戸を 押し開き 我入り坐(ま)し
後取りて 端取りて 頭辺(まくら)取り 端取りて
妹が手を 我に纏(ま)かしめ 我が手をば 妹に纏かしめ
真木葛 手抱き交はり ししくろき 熟睡寝(うまい)し時に
庭つ鳥 鶏は鳴く……(略)
歌垣のなかでオペラのようにして歌われたものでしょうか。ちょっと刺激が強すぎるかしれませんが、幸せに満ちた恋の夜の歌。あまりつっこんで解説すると、問題になりそうですので…。
萬葉集はその時代の日本の風土と自然につちかわれた人間のこころを実感のままに技巧なくストレートにあらわしていますが、素朴で、余裕があってゆたか、自由で平和ですねぇ。歌には見えないだけかもしれませんが(歴史的事実とは別に)、この世界には、親殺し・子殺しもないし、酔っ払いによる車の轢き逃げもないし、拉致も核兵器もテロもありません。平和って、美しいです。戦争のできる美しい国をめざすという、どっかの国の次期宰相もいるようで、困ったものですが。
「桃李」…。「チピヤクカムイ」に、なんでモモ・スモモなんでしたっけ。そうか、「桃源郷」。さて、北海道にはモモ・スモモはあったでしょうかね。先日引っ張り出して小夜ちゃんに読んでやった松居スーザンさんの『冬ものがたり』、冬がおわって、つららの先からしずくの玉がポツン、ポツン。そして、春風の精がさまざまな花のあいだをスイーッ、スイーッと飛びまわりますが、このオシャレな衣裳持ちの妖精、モモ・スモモの花のドレスももっていたかなあ。もっていなかったような…。
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〔4-3〕“花散らし”と「花散里」、
日本の古典にあらわれたサクラ
――花は咲くもの、散り落ちるもの――
ようやく訪れた春。だれもが春の喜びを花にたくして話題にいたします。しかし今年の春は「花散らし」の強風が何度も吹き荒れました。「花散らし」の驟雨でせっかくのお花見を台なしにされた人も多いことでしょう。きょうも終日、細かい雨が降りつづいて“花冷え”の一日になりました。Flowerの花、植物の花というだけではなく、古来、日本人は“花”にたとえてすぐれた表現をたくさん生み出しました。大学受験で大輪の“花”を咲かせたり、ゴルフでは社長に“花”を持たせてやったり、ひかえめで“花”も恥らう乙女の可憐な美しさにこころときめかしたり、小百合のような少女の“花”笑みの可愛いらしさについ抱きしめたくなったり…。
職場の“花”、両手に“花”、高嶺の“花”というときには美しい高貴な女性のことをさしていますし、“花”の都パリ、火事は江戸の“花”と云ったり、久しぶりのクラス会で思い出に“花”がにぎやかに咲くことも。
「話(はな・し)」「噺(はなし)」「咄(はなし)」もひょっとすると“花”とどこかでつながっているような…。「語る」や「論ずる」や「述べる」とはちがって、「話す」ときにはどこか柔和な、血の通ったニュアンスがあるように思うのですが、どうでしょうか。その昔、囲炉裏ばたで幼い子らに昔話を語る老いたひとのやさしい、あたたかいまなざしと「話」「噺」「咄」は重なりませんかね、無理ですかね。
ところが、今朝、食事をしながらそれとなくラジオを聞いていたら、途方もないことを聞いてしまいました。気象予報士のM氏によると、「花散らし」にはぜんぜん思いもよらない意味が旧来よりあるというのです。今ふうに云うところの“合コン”を「花散らし」と云ったという。エーッ、ということで早速辞書にあたってみました。ありました、「広辞苑」にこう書かれています。「三月三日を花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること(九州北部地方でいう)」。九州にお住いの方、ご存知でしたか、こんな習俗のあること。三月三日というのは旧暦ですから、太陽暦でいうと3月31日ごろ。この日にサクラの下で一村あげてのお花見です。飲めや歌えの無礼講のドンチャン騒ぎををしたその翌日の4月1日、こんどは若いものだけ集まってふたたびハチャメチャにおよぶというもの。そんなドサクサのなかで、若い娘が“花”を散らす、そういうことらしい。そのときの“花”とは、なんでしょうかねぇ。
はい、そういう卑俗な(いや、すばらしい!)習俗のことは忘れて、もっとロマンチックにいきましょうか。
「花」を「散」と結んで文字を見るときに想い至るのは、『源氏物語』の一段に見える「花散里」。「須磨」「明石」の段の前に置かれているごく短い話ですね。陰謀のうず巻く窮屈な宮廷生活にあって、光源氏は公私ともに乱れ、疲れてストレスのかたまりになっています。腹を割って悩みをうちあけるべき相手もなく、孤独の思いに沈んでいます。鬱陶しい五月雨のつづくなか、ちょっとの晴れ間を縫って少数の付きびとを従えて牛車で外出します。あるところに来ると、琴を和琴(わごん)に合わせて奏する音を耳にし、車をとめてしばしその音色をたのしみます。使いのものを出して調べさせると、以前、一度だけ来たことはあるが、その後ぷっつりご無沙汰したままになっている女の家であることがわかります。なんとまあ、寂しい、身にしむ思いのするわびずまいか。軒の近くにある橘の木がなつかしい香りを放っています。
橘の香をなつかしみほととぎす 花散る里を訪ねてぞとふ
ここの女主人、もうそんなに若くはないし、すぐれてときめくような女性ではないけれど、上品で、やさしく、男の凍ったこころを柔らかく溶きほぐしてくれるあたたかさをもっています。逆境に立って苦しんでいる光源氏はこの女性にたいへんこころを慰められます。母のような女性なのでしょうか。与謝野晶子はこの物語をとらえてこんなふうに詠んでいます。
橘も恋のうれひも散りかへば 香をなつかしみほととぎす鳴く
〔2006年4月5日〕
◎“さくら”をめぐる美しい日本語、能に見る“さくら”
>「花散らしの雨」、なんとも風情のある言葉ですよね。日本語はほんとにきれいな言葉がおおく、好きです。〔Hiromi~さん 2006.4.6〕
★…お花見騒動もこのあたりではそろそろ終わったころでしょうか。先日の江戸川公園でも見ることになりましたが、花見の宴の席取り合戦のすさまじさは、異常ですね。花よりダンゴとはいいますが、これが日本の春、蘇ってきた植物の息吹きをわが身の生理にそそいで、さあ、今年もやるぞ! という気分をこしらえるかのようでもあります。
自然界の景観をひっくるめて「花鳥風月」といいならわしてきた日本人の風流ごころ。すてきなことばがたくさんありますね。花吹雪、花信風(かしんのかぜ)、花供養、花祭り、鎮花祭、花明かり、花筐(はながたみ)、花嫁・花婿、それに“花”柳界にはまたまたおもしろい特殊なことばがあります(無縁な世界ですので、よくは知りませんが)。そもそも芸者さんたちのいるところを花街、その人たちに払うおかねは花代といわれるし、花魁、「かかい」と書いて「おいらん」と読みますし、花合わせ、花軍(はないくさ)というその世界ならではの遊び。「花軍」というお能の曲もありました。玄宗皇帝と楊貴妃が侍女たちに牡丹の花を持たせて闘わせたという故事に発するものらしいですが、きれいに着飾った舞妓さんたち数人(6人または8人)が、サクラとヤマブキを持って闘うがごとく舞う、というものらしいです。歌舞伎などでは花道がありますね。さらに、すばらしいと思うことばに花筏(はないかだ)があります。サクラが散って、花びらが帯にようになって水のうえを流れていくさまですね。日本人の繊細な美意識がしのばれます。
そういえば、お能ではかならずといっていいくらい花や草木があらわれます。茅(ちがや)といえば「浅茅が宿」の寂しさ、わびしさ、ひとを待つことの虚しさをすでに語っているというように。サクラについていえば、どうやらこの花は女を狂わせる花なのでしょうか。たとえば「桜川」は、日向(ひゅうが)にいた母が、人買いにさらわれていったわが子の桜子(男の子)を追って、はるかな常陸の国の桜川までもの狂いになってたずね歩くというもの。桜川にサクラの花びらをすくうその狂ったすがたがあまりにも悲しい。「隅田川」という狂女ものでも、渡し守からわが子の病死を聞くとき、川の水面をうずめるようにサクラの花びらが流れていきます。「百萬」では、奈良の女・百萬が喪われたわが子への思慕に寄せて狂い、法楽の舞いを舞う。佐保川を渡るときも京都・嵯峨野の清涼寺の大念仏で大群衆を前にして舞うときも、その手にしているのがサクラの小枝。
「墨染桜」の場合は狂女ものとはちょっとちがいますが、一度だけ帝に愛されたことのある女が、帝の崩御を悼んでサクラの精となって追慕の舞いを幽艶に舞うというもの。「西行桜」というのもあり、老いたサクラの精=西行が、この世の非情無情を嘆き悲しむというもの。ゆっくり思い出したら、もっともっとサクラのあらわれるお能はあるでしょうけれど、ま、このへんで。
いずれにしても、今日見られる“合コン”流の花見とは雅趣においておおきく違うことがわかりますね。〔2006.4.6〕
◎落語に見る庶民のお花見
>花海棠の可憐さには嬉しくなりますね。これには合コン的なイメージは浮かびません。落語の沢庵の玉子焼きを思い出してはおかしくなります。艶やかなお花の話とは違ってしまいました。〔Play with me さん 2006.4.7〕
⇒そうそう、古典落語「長屋の花見」がありましたね。花見の宴は、平安時代からあり、素性法師の「みわたせば柳桜をこきまぜてみやこぞ春の錦なりけり」(古今集)に見るように、サクラが京の都の春を絢爛といろどったことがうかがわれます。
室町時代の初期にはいよいよ京都の内外にサクラの名所が広がって、嵯峨、醍醐、雲林院などのサクラについてふれた文学作品があらわれます。たとえば「太平記」の俊基の東くだりの道行きに「落花の雪に踏み迷ふ、片野の春の桜狩り…」というよく知られた名句があります。さらに安土・桃山の時代をへて江戸時代になると、花見は庶民のものとなり、ますます盛んになっていきます。「花見屏風」や「花下遊楽図」といった江戸時代初期に描かれた屏風絵を見たことがあると思いますが、一方、芭蕉は「花の雲 鐘は上野か浅草か」というだれもが知る句を書いています。このころのサクラの江戸のサクラの名所としては、上野、隅田川堤、飛鳥山、小金井などが特に有名で、花見時にはおびただしい都びとが雑踏したと記録されています。落語「長屋の花見」はそのころの時代を反映するものでしょうか。
わたしには、ラボを退職した年、京都のサクラの春を、嵯峨野、東山と存分に楽しんだ思い出があります。PWMさんのほうですと、どうでしょうか、姫路の白鷺城とサクラの取り合わせ、そんな美しいイメージが浮かびますが。播州にも間もなくやってきますよ、サクラの春は、忘れることなく。〔2006.4.7〕
◎狂言におけるサクラ
お能の奥儀をしるした世阿弥の『風姿花伝』の“花”、「秘すれば花」という芸の真髄を金科玉条とする考え方にひきずられて、お能にあらわれたサクラのいくつかを先にご紹介いたしました。そうしましたら、外部の方から、狂言にもあるよ、とのありがたいご指摘を受けました。ただ、英語をなさるラボの皆さんには、能も狂言もあまり関心がなさそうなので、ひとりよがりになっても仕様がありません、ここでは題名を挙げるだけにとどめますが、はい、たいへん愉快な出しものがわたしの知るかぎりでもいくつかあります。「花折」(はなおり)というのは、能の「西行桜」のパロディといったもの。「花子」(はなご)は、謡曲「班女」のもじりといったところですし、「花盗人」は、能「雲林院」の古歌に見られる花折問答を茶化したもの。わたしはこのなかでは「花盗人」がいちばん好きです。
>今日花吹雪でした。あちこちのさくらの名所があります。日本のさくら100選というのをネットで見ていましたら、な、なんんと、わが実家(韮崎近辺に2本)にあるではありませんか!身延山のしだれさくらは有名ですが、残念なことにさくらの季節には行ったことがありません。〔Hiromi~さん 2006.4.7〕
★…甲州のサクラの名所についてはよく知りませんが、以前、樋口一葉に関連して、その父祖の地である塩山市の、慈雲寺で見た枝垂れザクラを思い出します。まじょまじょさんもご紹介してくれましたね。見たのはサクラの季節ではありませんでしたが、一葉の大きな記念碑におおいかぶさるように枝を垂らしていたのを憶えています。花の季節には美しいでしょうね。これとは無関係ですが、一葉には『闇桜』という初期の名編があります。
ラボ職員OB有志のグループでここ10年にわたって年一回ずつ旅行をしております。今年の方面をどこにするかのプランのなかに、身延-下部(泊)-市川大門あたりとする案もありましたが、ここは別の機会にということになりました。身延のサクラもいつか見てみたいですね。
>今日も荒れるお花見風景をTV中継していましたが、子どものころ、母に作ってもらったお重を持って、ござをもってお花見に行った世代の人間は悲しいですね。〔Hiromi~さん 2006.4.7〕
★…なつかしい風景ですね。谷内六郎さんが描きそうな風景。先日、代々木公園で見たところでは(昼間で、まだお酒を飲むひとはあまりいないようでしたが)、飲み物はペットボトル、食べ物はコンビニのお弁当やおにぎり。古い仕来りによる花の下の交流シーンですが、お重を持って、なんて風景はもうどこを探しても見られない時代でしょう。
ふしぎなことに気づきました。満開をすぎたサクラがなかなか散り落ちず、まだまだたくさん残っていること。ですから、ソメイヨシノ、御衣黄も、ヤマザクラ、玉縄桜も、キクモモザクラ、一葉ザクラも、ふだんなら少しずつズレて咲くはずなのに、みんないっしょに見られるということ。Play with meさんのお住いの播州・加古川市あたりではまだ開花してないとのことですし、異常気象なのでしょうかね。
花は散るもの、散らすもの
某誌に吉野を詠った西行のサクラについての小論を書いたことを引きずって、日本の古典文学、能、狂言、古典落語に見るサクラのさまをザッとご紹介いたしました。サクラについては見識高い一家言をお持ちの方がたが多く、とりわけラボの外部からおもしろい情報を多く寄せていただきました。御礼申し上げます。
中に、この花を“軍国の花”とし、日本の帝国主義、国粋主義のシンボルとして外国と戦った方が、あの明るさ美しさとは別に、まがまがしい、恐ろしいものとして忘れがたく胸に収めておられることを知り、ハッと胸を突かれました。そうですね、♪きさまと俺とは同期のサクラ…、なんていうよく口にされる軍歌がありますし、サクラはただに美しい春の使者、豊饒と幸せな恵みをもたらす天女で、一村あげて歓迎し、浮かれ騒いで楽しむというだけのものではないんですね。
美しいけれども、女の心を狂わすまがまがしいものとしてのサクラ、ひとを吸い込むような怖さを秘めたサクラを、すでにお能のなかに見てきました。子を喪った女のあまりにも悲しい狂気。お能や文楽などばかりでなく、ちょっと見まわしてみれば、近代・現代の文学上の傑作に思い至ります。梶井基次郎は短篇小説『桜の樹の下には』で、そこに死体が埋まっている、サクラがあんなに悲しいまでに美しく咲くのは、根もとに死んだ人がいるからにちがいない、と書いています。ゾーッとさせられる一文。坂口安吾には、妖気ただようミステリアスな作品『桜の森の満開の下に』があります。野盗と女。サクラの幽明境は人間をもの狂おしい気分におとしいれるらしく、旅の途中に襲われ捕えられた身分高い女は、サクラの魔境にあっていつしか鬼に変身し、山賊どもを翻弄、花吹雪のなかをスゥーッと消えていきます。映画にもなりましたね、これは。
ロシアにはチェーホフの『桜の園』が。この話のサクラも天真爛漫なめでたいサクラというわけではありませんね。旧地主のラネーフスカヤ夫人の転落、貴族階級の悲惨な衰微没落と、経済万能の新興ブルジョアジーの台頭を描いて胸えぐります。
上に見てきたようなサクラは、いまのこの時代を生きるわたしたちに何を語るのでしょうか。あるいは、もう何も語る力のない、路傍に散り落ちて腐るときを待つだけのものなのでしょうか。〔2006.04.08〕
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〔4-2〕ターシャ・テューダーの世界
――広大な花野に、自然への畏敬と感謝に生きる――
〔To: ぼっくりさん〕
植物が見せてくれる色彩は奇跡のように美しい。今朝のNHK・TVはご覧になりませんでしたか。遅い朝食をとりながら、ふとテレビをつけますと、ターシャ・テューダーさんが出ていて、その生活と世界を1時間45分以上にわたって紹介していました。世界のガーディナーにとって永遠の憧れの人。もう90歳だと聞いてびっくりいたしました。
アメリカ・ヴァーモント州のコギー・コテージで、ひとりで暮らし、1830年代の質素な自給自足の生活、なんでも手づくりの生活をしています。(ローソクのやわらかい光が好きで、蜜蝋から手づくりローソクをつくっておりましたよ)
30万坪の土地に自分の手で育てた花々や樹々に囲まれ、自然の生命の営みの奇跡的な変化にいちいち感動しながら生きています。ぼっくりさんは、むしろ、すぐれた絵本作家としてこの人をご存知かも知れません。欲なく、自然を愛し、花をいつくしむ心は、あれほどまでに人を美しく輝かすものかと、感動させられました。
いろいろな花を紹介してもらいました。ワスレナグサ、ルドベキア、デージー、ルピナス、黄色いバラ、タチアオイ、クラブアップル……。それに秋の庭園をおおうとりどりの枯れ葉たちの豪華なじゅうたん。このターシャの庭をここまでにするのに30年かかったといいます。「近道を探そうとするな」「いまがいちばん幸せ」と、澄んだ目をしてさりげなくいうことばが印象的でした。(2005.09.23)
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〔To: ふしぎの国のアリスさん〕
九州と遠く離れながら、あのさわやかな朝をともにできた喜びを感じています。
NHKでなければあそこまで踏み込めない、すばらしい番組でしたね。
暖炉の前で糸を紡ぐ女の人。……フェルメールの絵に見るような女性のその横顔には、静かな落ち着きと気品と、そして飾らぬ自然さと、17世紀前半のピューリタンのおもかげをとどめる謹厳さもあり、なにやら深い物語を感じさせてくれる人。
90歳になったそうですね。
土を手ににぎっただけで、その年の冬の雪が多いか少ないかがわかるという。夏の雑草とりも、だいじな根を引き抜かれてしまいかねないので、ひとにはやらせず、ぜんぶ自分でやる。水やりも、ホースでジャーッとかけるようなことはせず、如雨露で必要なところにだけ…。
D.H.ソローの生活信条をそのまま写したような、自然への畏敬と感謝にあふれた生活を見せてもらいました。生活の拠点を田園にしたビアトリクス・ポターとも、ちょっと似たところがありますかね。違うのは、ターシャの場合、自然科学の分野を研究するというよりは、生活を自分の手で美しくゆたかにするところに主眼があるようですが。
彼女の両親は、9歳のときに離婚してしまいます。設計技師だった父親はマーク・トゥエーン(1835~1910)と親友だったとか。母親は肖像画家。社交界の花形だったそうです。両親と離れたあとも、「優雅な貧困状態」にありながら、いい人たちに囲まれ、比較的ゆたかで、自然とともにある田舎生活を楽しんでいた様子。
わたしは、ターシャの絵本はあまり知らないに近いのですが、ターシャのガーデン・ライフを紹介する写真集を、以前はたくさん持っていました。(ばかですね、身辺整理ですっかり処分してしまいましたが) ノートにしるされたメモからお薦めしたいその種の本をあげてみます。
◎「ターシャ・テューダーの世界……ニューイングランドの四季」文藝春秋社
◎「ターシャ・テューダーのガーデン」文藝春秋社
◎「ターシャ・テューダー 手づくりの世界……暖炉のそばで」文藝春秋社
◎「ターシャ・テューダーのクックブック」文藝春秋社
◎絵本「パンプキン・ムーンシャイン」メディア・アァクトリー社
◎絵本 “First Prayers by TASYA TUDAOR” Random House
◎絵本 “THE GREAT CORGIVILLE KIDNAPPING” Little, Brown
◎「喜びの泉……ターシャ・テューダーと言葉の花束」メディア・ファクトリー社
◎「小径の向こうの家……母ターシャ・テューダーの生き方」メディア・ファクトリー社
(娘のベサニー・テューダーによる生活記録。写真やイラストも添えて)
ターシャ・テューダーについては、わたしは、わたしのホームページですでに何回も紹介してきました。それにしても250エーカーという途方もない農地。改めて電卓をたたいてみると30万6千坪あまり。その広さにはびっくりです。あ~あ、人間のスケールが違うんですね、わたしごときの狭苦しい団地暮らしと比べたら、宇宙の広さのようにも見えますが。(2005.09.24)
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〔To: ふしぎの国のアリスさん〕
思いがけなくもたくさんの皆さんがターシャの生き方に思いを寄せておられることをこちらのホームページで知ることになりました。わたしたちが毒されているメディア漬けの生活、ケータイ中毒とコンビニ感覚とは対極にあるアウトメディアに徹した生活(あの人はそのことも意識していませんが)。現実的にはあと戻りのしようはないとはいうものの、わたしたちにはやはりあの静かな生き方は、底からの憧れですね。
女性としての生き方にもあの自然の中に身を置くことが彼女自身なのだろうと思います。「暖炉の前で糸を紡ぐ女の人。……フェルメールの絵に見るような女性のその横顔には、静かな落ち着きと気品と、そして飾らぬ自然さと、17世紀前半のピューリタンのおもかげをとどめる謹厳さもあり、なにやら深い物語を感じさせてくれる人。」まさに、そう、まさにそのとおりです。彼女の話し振り、笑顔、姿、すべてが絵のよう!
⇒ターシャのイメージとフェルメールが描く女性を結びつけてしまうのは、ずいぶん乱暴で勝手なことだったかも知れません。でも、共感していただけたんですね! うれしいです。うれしくって、もう、涙がこぼれちゃうよ~(オーヴァー)。
オランダ・フランドルの画家ヨハネス・フェルメール。「静謐の画家」と呼ばれるこの画家の絵が、どうしてなのか、わたしはとても好きです。もっともよく親しまれているこの人の絵は、「真珠の耳飾りの少女」”Girl with a Pearl Earring”(これを「青いターバンの少女」と呼ぶ人もいる)ですけれど、ターシャのイメージとつながるのはこれではなく、「牛乳を注ぐ女」とか「レースを編む女」のほうでしょうか。とりわけ「牛乳を注ぐ女」”The Milk Maid”には、ターシャの庭と同じアコースティックな風が通ってきていますよね。むしろこの女の人は大柄で、ターシャのきゃしゃな体形とは似ても似つかないのですが、なんでしょうか、あの宗教も倫理も教育も超越した落ち着いた生活感、安定した情緒が感じられるような…。うつむきかげんのあの女性の表情を、左の小さな窓から射し込む弱い光線がみごとに魅力的に、情感ゆたかに浮かび上がらせています。
ヤマブキ色の上着、赤いスカーフ、影のなかながら紺色のエプロン。女のつつましさと、無用な飾りをつけない自然さがあり、見る目には、「美しい」というよりは、その自然さにホッとさせられませんか。「手紙を書く女」「ギダーを弾く女」にも、それと共通する雰囲気がありますね。
この画家の作品は、現在、世界に35点しか残っていないそうですが、先ほど宗教を超えたといいながらも、ほんとうの聖母はこの人ではないかと思ってしまうほどのやさしさを覚えます。その聖母をターシャの生き方に見るので、皆さんが癒されるということでしょうか。
ターシャの中には故意にと言うものは何にもなく、とにかく、自然でさえも居心地がいいように…という思いが毎日の生活に添っているような気がします。
⇒虚飾のない、無理をしない、自然のままの、しかし自分にはきびしい生活スタイル。それに引きかえ、わたしたちの毎日は、情報に追いかけられ、さまざまな欲に駆り立てられ、息せき走りまわって、つまずいて転んで、立ち上がって、疲れきって…というもの。ずいぶん世界が違います。しかし、ターシャは、それをさかしらに批判し否定することは一切いたしません。自分の今日の一日が最高の幸せと信じて、ただそこにプラス志向で生きるのみ。その潔さでしょうか、あの女性の魅力は。(2005.09.25)
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〔ふしぎの国のアリスさん 2005.09.25〕
21世紀の今だからこそ、ターシャ・テューダーのような凛とした生き方の女性に心惹かれるのでしょうね。
ターシャのような静かな生き方に憧れを抱くのは無いものねだりでしょうか。いえいえ、やはり心のどこかに潜んでいる憧れ! ターシャ・テューダーの言葉の一つ一つに感激したり感謝したり、自分の日常に反省したりしています。 ☆
テューターの皆さんには早すぎるし、無用だし、失礼になるのかも知れないのですが、ターシャの生き方を見ていると、人の老い方というものを考えてしまいます。
ずいぶん唐突ながら、世阿弥の『風姿花伝』に書かれていることと妙にぶつかるんですね。こちらは芸道について云っているのですが、ここに、七歳のころ、十二~三歳のころの子どもにどう向き合うべきか、若さをどう生きるか、盛りのころをどう過ごすか、また、老いの時期をどう生きるか、…それを、ドキン! とさせられるほど歯に衣を着せず書かれているんですね。たとえば「五十有余」では、
「麒麟(きりん)も老いては駑馬(どば)に劣ると申す事あり」
ときびしいです。かつては千里の道も一瞬のうちに駆け抜けた馬も、このころにはノロマな鈍馬になることもあるという。五十歳を過ぎたら肉体の衰えは隠しようもなく現われてくる。そんなときは余計なことはしないようにする以外に方法はない、と。しかし、
「真に得たらん能者は…(略)…花は残るべし」
ともいいます。本当に道を得たものなら、目だったことはできないでも、人間としての花はあろうというもの、と。ターシャの「花」と妙に符合しませんか。
そして「老人」についてですが、
「花なくば、おもしろき所あるまじ」
と云っております。地味で控えめでも、人間の味とでもいいますか、花がもつ華やぎをたえず持っていたい、と。老人だからといって、腰を曲げ、膝をかがめ、背中をまるめていてはいけない、老人であることの自覚を持ちつつも、その老いをシャンと張って見せ、毅然としているべきだ、と。その気持ちの高ぶりこそが老いの「花」なのだという。その気取り方、突っ張り方こそが老人のおもしろさだと。
「ただ大方、いかにもいかにもそぞろかで、しとやかに立ちふるまうべし」
老いたらこそ腰をピーンと伸ばし、シャンとした姿勢でいたい、そして、気取り、突っ張っても、その一方、その底には品のよさと落ち着きを失ってはならない、人間のふくらみと深みをもって生きたい、…そう語っています。
このあたり、皆さんの憧れるターシャの生きざまとぴったり重なりませんか。いろいろ考えさせられましたね。いい機会です。日ごろのバタバタを忘れて、静かにこれからを考えてみたいものです。(2005.09.26)
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〔4-1〕虫は野山に、心の奥に…――カタクリ異聞
ギフチョウは森かげに咲くカタクリの花を見つけてその蜜を吸う…。
カタクリのことをあれこれ書きながらふと思ったことだが,
この花の開花が何かの事情でちょっとズレるようなことがあったら,
この春の女王さま,どうなさるのだろうか…?
4月から5月のはじめだけに見られる貴重な蝶。
それにしても,自然は啐啄同時,絶妙なタイミングで
ギフチョウは羽化し,カタクリはぴたりと時を合わせて咲く。
うまくできているものだ,と感心するほかない。
さて,青葉若葉のかがやきがまぶしさを加える季節。
生きとし生けるものが動きだし,それぞれの命のよろこびを踊り始めた。
草むらには草の虫,川辺には川の虫,空中には飛ぶ虫,
花にはハチやチョウ,その他とりどりの虫たち。
そのすがた形,また色の多様さ,不思議さは,
見ていて飽きることがありません。
いったい,この地上に昆虫という生きものはどれほどいるのでしょうか。
100万種という人もいます,1000万種という人もいます。
ずいぶんいい加減な,幅のある数え方ですねぇ。それは,まあ,
それほど多様で,数えようがない,ということではないでしょうか。
日本国内に限っても,わかっているだけで3万種いるとのことです。
なんだ,そんなもンか,とお思いですか?
では,たとえば,昆虫好きの人がいて,
毎日1種類ずつ昆虫の写真を撮ったとします。
若いときからずうっと40年撮りつづけ,もう歩くのもきつくなりました。
そんなにしてもまだ,日本に棲む昆虫の半分も撮れていないんですよ。
もともとそれほどの根性のないわたしなんぞは最初からGive Up,
無駄な抵抗はしないことにするしかありません。
この昆虫についてはその道の専門家にお任せするとして,
ここでは「虫」のヤブニラミ的考察を愉しんでいただきましょうか。
☆
まず,この生きもの,一般的にはどうも印象がよろしくない。
とりわけおとなの人にはあまりよくはいわれないことが多い。
失礼ながら,あなたはある時期「点とり虫」と云われたことはありませんか。
あるいは「弱虫」「泣き虫」などと。
ひとが何を云おうとムシ(無視)して頑張って来た,ですって?
うん,それはなかなかの度胸ですね。
でも,「虫ケラ」なんて云われたら,「癇癪の虫」をおさめてはいられません。
どうやら,あまりひとの役にたたない存在を最高度に卑しめていうときに
「虫」をくっつけて云うことらしいとわかります。
男の子として生まれたら,だいたいは昆虫少年だった時期を経ているはず。
なのに,長ずると「本の虫」になって心をゆたかにしようと努める人,
「芸の虫」になってそれぞれの道をきわめようと精進する人もいます。
わき目も振らぬひたすらな努力で,褒められていい心がけのはずなのに,
どうもそこにはちょっぴり嘲笑のニュアンスも含まれているような気がする。
「虫のいい話」に乗るな,ろくなことはないぞ,というときの「虫」,
深窓の箱入り娘に「虫がつく」というときの「虫」,
年齢のせいかな,ちょっと走っただけで「虫の息」よ,というときの「虫」,
わたしのことをひとはよく「虫も殺さぬ」やさしい,おだやかな,
いい人だ(!)というけど,わたしにいつもとりついているその「虫」とは…,
――どんな色をした,どんな形の「虫」なのだろうか。
どうもこれはうまく説明がつかない。…そうなんでしょうね,
説明のつけようもない心の動き,色も形も不定の,得体の知れないもの,
それを指して,古来,ひとは「虫」と呼んできたらしい。
☆
「虫の居どころ」の悪い社長の「疳の虫」がなかなかおさまらず,
ここはもう,さわらぬ神にたたりなし,逃げるに如かずと
「虫の知らせ」に従がって早々に家に帰ってしまった,とある男,
あるとき,こともあろうに「浮気の虫」が騒ぐものだから
ついその気になってあの子のところへ行けば,
「虫の好かない人」ね,「虫酸が走るわ」,と罵られて嫌われ,
今度は「ふさぎの虫」に捕りつかれて部屋にこもる日々がつづいた,とか。
こうした「虫」たち,どうも困ったものですね。
茶碗ムシ(蒸し)にしても土瓶ムシ(蒸し)にしても食えない「虫」たち。
意味不明,説明困難ということになれば,辞書に頼るしかない。
大辞林によると,「人間の体内にあり,さまざまな考えや感情を
引き起こすもとになると考えられているもの」
広辞苑では,「潜在する意識,心,考え」とあります。
わたしたちの日常生活に親しく共生しているだけでなく,
こころの奥のあたりに巣食い共生している,ああ,ふしぎな虫たちよ! |
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