訓香木云加津良。
故隨教少行。備如其言。即登其香木以坐。爾海神之女。豊玉毘賣之従婢。
「古事記」については、ご存知のように、賀茂真淵、本居宣長、そのほかにも田中頼庸、上田萬年、橘守部など、多くの国文学者が研究し校訂本をつくっています。ほかのものをいろいろあたってみることはいまは資料不足でできませんが、わたしの手許にある上記の田中校訂本(次田潤著「古事記新講」)では、わざわざ「訓香木云加津良」(読み、コウボクはカツラという)と書いていますし、岩波文庫の倉野憲司校注の「古事記」では香木に「かつら」とルビがふられているくらいで、ここはカツラと考えてまず間違いないものと思います。ラボのものを再話するにあたりどの校本をもとにしたかは、当時の制作者に訊いてみたこともなく、いまわたしにはわかりません。古語辞典を見ても「香木」は「香りのよい木」という程度しか説明はなく、どうしようもないですね。
また、青木繁の名画「いろこのみや」に描かれた葉は、鮎の形というか、黒々とした長楕円形で、へりがチリチリにちぢれていて、カエデでもカツラでもなく、カシやカシワでもなく、どちらかというとコナラの葉に似ているように思います。
これについても、いまは確かめようがないですね。やはり、もとにした校訂本による相違と推定されます。
【付記】わかりましたよ、さとみさん。青木繁の代表的な名画「わだつみのいろこのみや」に描かれている木、葉のかたちからしてカツラでもカエデでもなく、あれは月桂樹の葉ですね。暗緑色で、先端がとがり、ふちはちぢれてちょっとギザギザ。干して香料に使われるあの葉。名誉、栄光、勝利のしるしとして冠「桂冠」にされているあの木の葉だろうと思われます。神話にふさわしい神聖なものでもありますね。念のために辞書を見てみたら、中国の古い伝説で、月の中に生えているカツラの木、それを「月桂樹」と呼んだとありました。青木繁の勝手な想像でもなければ、誤解、読み違いでもないことがわかりました。
「わだつみ…」と隼人舞いをめぐり
(2004.10.21)
海幸彦・山幸彦の話(わだつみのいろこのみや)は、兄弟の争いとして書かれていますが、これは、太古の時代、九州にふたつの大きな勢力があって、その争いを語ったものと思われます。争いの舞台は西九州。潮の干満ということでは有明海がよく知られていますが、あの九州の西あたりは、潮の干満に大きな差があるところ。海の王からもらった珠で意地の悪いイカンタレの兄貴を水攻めしたり助けたりする逸話は、潮の干満のイメージに重なりますね。火遠理(ホオリ、山幸彦)と火照命(ホデリ、海幸彦)の兄弟喧嘩で、弟のホオリが九州北部、兄のホデリが九州南部の薩摩・大隈あたりを支配していた勢力とみられます。この南部の勢力は血気盛んな人たちでしょっちゅう反乱を起こして、国をまとめようとする朝廷を悩ませていたのですが、8世紀に入るころには制圧され、完全に朝廷に帰順しています。この物語はそのへんのことを語っているようですね。原文では、
――攻めむとするときは潮盈(みつ)珠を出して溺らし、それ愁ひ請(まを)せば潮乾珠を出して救ひ、かくしてたしなめたまふ時に稽首(の)みまをさく(おじぎをして言うには)、「僕(あ)は今よりゆくさき、汝が命(みこと)の夜昼の守護人となりてぞ仕え奉らむ」とまをさき。故(かれ)、今に至るまで、その溺れし時の態(わざ)絶えず仕え奉るなり」
潮が満ちてきて、足のところについたら、こんなふうにせよ、膝まできたときには、こんなふうに、股まできたら、腰まできたら、腋のところまできたら、いや首まできたら…と、海幸彦が水に溺れかかったときの恰好をするのですから、そんなにカッコいい踊りとは思われないのですが、これはすなわち、兄弟喧嘩に負けた南の勢力の隼人が、反抗をやめて中央勢力に帰順し、その証しとして宮廷の大嘗会の節会などのたびに隼人舞いを奏するようになったいわれを語るものと思われます。というよりは、隼人のあいだに伝承されてきたその話を古事記の編著者がここに織りこんだものとみていいのではないか、と。そのとき以来、隼人が宮中に出て隼人舞いを演じるようになるわけですが、それを継承していく人たちにこの舞楽のいわれと意味と筋を語り伝えるためのものだったかも知れません。
★〔とんかつ姫さん 2004.10.24〕
>この話は「国生み」の中でもエキゾチックと言うか南方的で興味深かっ
たですが。ホオリのこどもを密に出産したトヨタマヒメはワニ子を産んだ、
「え~私たちの先祖はワニだったの~?」と言ってまして。
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エキゾチックですよね。
記紀神話の全体を通じても、たしかにここはほかの部分と大きくちがっている
ように思います。
象徴的には、この現世を超えた異界といえば、イザナキ・イザナミの神話でわ
たしたちはよく知るように「根の国」「黄泉の国」ということになっています。
それがここでは、海の深み、海の彼方というわけですよね。
このことから、人によっては、沖縄の神話にある「ニライカナイ」を想うかも
知れません。
沖縄本島の東南に久高(くだか)島というのがあって、いまでも人びとはそこ
を「神の島」と呼んで尊んでいるそうですが、ここに沖縄の租神のアマミキョ
が海の彼方の「ニライカナイ」から渡来し上陸したというんです。「アマミキ
ョ」とは「遠い遠い海から来た人」という意味。
このへんの神話・説話と結びついた話とも考えられますし、じつは先にすっか
り図書資料を処分してしまって手もとになく、確かめようがないのですが、イ
ンドネシアにこれとそっくりの昔話があったはずです。インドの昔話にも。
仲のよい兄弟がいた。あるとき、それぞれの仕事をとりかえっこする。弟が兄
の大事にしていた釣り針をなくしてしまったことから、仲たがいがおこり、兄
は怒って弟をきびしく責める。途方にくれた弟が身を棄てようと海辺にくる
と、あるふしぎな存在によって救われ、海の底のもうひとつの世界でさんざん
いい思いをして、揚句には魚の咽喉から釣り針を取り返して帰り、イカンタレ
の兄貴に報復する。
これが浦島太郎の伝説の源流になっていることはすぐわかります。
出てくることばも、ほかの神話の部分とぜんぜん違うような気がしませんか。
塩盈珠、塩乾珠、塩椎神、綿津見神、鯛、鰐、鵜羽…、などなど。海の生活を
していた人びとのあいだで生まれた神話であることは間違いないんじゃないで
しょうか。
日向にある鵜戸神宮はおおきな岩窟のなかに建てられているんだそうですね。
わたしは行ったことはありませんが。豊玉姫があさましいワニのすがたにかえ
ってこっそりと鵜茅葺不合命を産んだのがこの岩窟ということになっています
し、海岸ちかくの青島が海のお宮のあとだそうで、ホオリと豊玉姫を祀る青島
神社もあるとか。さて…。のちの世のひとがこしらえた付会だろうとは思いま
すが、宮崎にお住まいの方、このへんのこと、よかったら精しく教えてくださ
いませんでしょうか。
先祖がワニさん。そうだわに~。いいんじゃないですか、はずかしいことでは
ないでしょうに。りっぱなことだワニ。めでたい、めでたい、ワニなっておど
ろ、てなもんでしょう。国によっては、ほら、フンコロガシを自分たちの先祖
として誇っている人たちだっているんですから。
★〔さとみさん 2004.10.24〕
それにしても、豊玉姫からの恋の詩だけで、なぜ、ホオリからの返事の詩は、
ラボライブラリーでは、カットしてしまったのかしら?あなたなら、この詩
に、どんな返歌をしますか?という投げかけでしょうか?
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ま~あ、さとみさんは、いつもいつも、ビミョーなところに着目なさるので、
純情無垢ムクなわたしなんぞはドギマギさせられます。
豊玉姫からの歌に返歌をしなかった(返しの歌をラボではカットした)のは
ヘンカな~、との疑問。
じつはわたしにもちょっとひっかかるところです。なぜなら、
これが、のちの萬葉集などでさかんにおこなわれる男と女のあいだの贈答歌の
ハシリとなるものだからです。で、この歌ですけれど、古事記では、
赤玉は 緒さへ光れど
白玉の 君が装(よそ)いし 貴くありけり
一方、日本書紀のほうはちょっと違っていまして、
赤玉の 光はありと 人は言へども
君が装いし 貴くありけり
こちらのほうは、赤玉、すなわち豊玉姫が産んだ子のフキアエズの可愛らし
さ、美しさを訴えるほうに重点があるように思いますが、当然、ここでの流れ
と背景からは、前者の古事記の歌のほうが自然でしょう。なお、赤玉は琥珀な
どのことをいいますが、赤ちゃんのことを暗示していることはあきらかです
ね。
ご存知のとおり、これにはちゃんと返歌はあります。どうしてラボのテキスト
ではそこをカットしたか…。ほんとうのところは知りませんが、わたしは「ビ
ミョー」だからだと思います。未成年者にはちょっと、という…。わたしが再
話したとしても、考えちゃうところですから。どんな返歌か。
沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(ゐね)し
妹は忘れじ 世のことごとに
オシドリ(鴛鴦)のオス・メスの仲のよさはよくいわれますが、鴨の夫婦仲も
きっとよいのでしょうね、萬葉集の歌にも仲のよさをいうたとえとしてよく登
場しますから。
きれいな歌でしょ。白波がさわさわと立ちさわぐ沖のかなたに横たわる島、カ
モメが空を裂いて飛び交う美しい島のイメージが浮かんできませんか。ところ
が、一転、「率寝(ゐね)し」となり、成人の世界が展開します。わたしとぴ
ったりひとつになって共寝した処女のあなた、やさしいあなたのことがいつま
でも忘れられません、これから先、生涯にわたってずうっと、ずう~っと…。
「世」は夜這いの「よ」でもあります。
ほら、さとみさん、このホームページでこんなことをわたしに書かせてどうす
るんですか! し~らない、知らない。
★〔さとみさん 2004.10.24〕
海幸の子孫たちは、おそらくは征服者たちの嘲笑と蔑視を浴びながら、一族
の敗北の様を演じ続けたのだろう。その永遠に続く屈辱の記憶の繰り返しは、
彼らから復讐への意志を奪い、その魂の深部に底なしの空洞を空けてしまう。
征服者による恐ろしいほど残酷な心理作戟だ。――
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ついでに、もうひとつだけ付け加えさせてください。
引用いただいた上記の資料についてですが、おおむねわたしの見方と同じなの
ですが、誤解なきよう付言するならば、隼人は負けて卑屈になってものわらい
にされているような人たちではないということです。
日本列島の北東に毛人(えみし、蝦夷)がいました。
そして南西部に隼人がいました。
ともにヤマト政権にとってはやっかいな存在で、手を焼いていました。
その絶えざる戦いのなかで、反乱したり服属したりを何度も繰り返して
いました。
しかし、「日本書紀」にせよ「続日本紀」にしても、
これは中央政権の側に立って編纂した歴史書で、巧妙な情報操作のなかで、
こうした人たちを害をなすものたちと見下した書き方をしていることは
ほぼ間違いありません。今でもよくあるじゃないですか。
日向神話をみれば、これはまっ赤なオオウソだとなっているはずです。
いずれにしても、蝦夷(えみし)と並んで隼人は歴史上の名族なんですね。
「薩摩隼人」といえば、いまでも、行動力があり、信念かたく、
精悍で勇敢であることの代名詞みたいになっていますよね。
わたしたちはそんなにいつも素直でいてはいけない、
歴史の鵜のみはあぶないということですね。
歴史をもうひとつの側から見る必要があるときもある、ということ。
★〔Samiさん 2004.11.02〕
>今研修で「わだつみのいろこのみや」をやっているので、参考になりまし
た。バックグラウンドを知れば知るほど、面白くなりますね。
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年をとったから、というだけでなく、人にはある時期、自分の立っているとこ
ろがどんなところか、遠いわたしたちの祖先はどんなことを考えて生きていた
のか、知りたくなるのが自然のようですね。
神話というのは、わたしたちの存在の原郷といいながら、わかろうとしてもわ
からないことがたくさんありますね。そこは想像力をはたらかすしかないとこ
ろで、わたしなどは、そこはひょっとすると、もっとも高度なファンタジーの
世界なのかな、と思うことさえあります。
Samiさんたちも、目下『わだつみのいろこのみや』のお話とぶつかりあって
おいでとか。この神話をめぐるいくつかのわたしの断想は「物語寸景(3)」
で並べておきましたが、あらためてこの神話を思うとき、どうしてなのか、これ、なかなかいいんですね。
ご承知のとおり、これは古史神話の最後をかざるものです。わが国の古代人の
生活と考え方をしのぶ最後のところで、隼人が狂ったように踊るわけですよね。
日本書紀のほうですと、、この狂い踊りはもっともっと強調されていたと思い
ます。本来なら口承されていくべき神話を、ここではことばを超えて身体を
もって伝えようとしていますよね(そこまで意識していたかどうかは、本当の
ところ、よくわかりませんが)。思いあたりませんか。これ、ラボの言語習得
のスタイルとよく似ているじゃないですか。こんなところでもふるさとに出会う
なんて、おっどろきぃ…!
『わだつみ…』をめぐって、ひとつ思い出したことがあり、追加いたします。
盬椎神(シオツチ)のことですが、これは「盬筒」のことだ、という説があり
ます。わたしもそう思うのですが、つまり、潮路をよく知る存在といった意味
で、航海の神さま、水先案内の神というわけですね。それに、『スサノオ』に
出てくる手名椎・足名椎にふれて、「ツチ」は敬称であり尊称であると書きま
した。みなさんは古事記の神話をいろいろ読むうち、いかがですか、「チ」と
いう音、「チ」と呼ばれる存在が意外に多いことにお気づきになりませんか。
シオツチのほか、イカヅチ、ノツチ、カグツチ、タケミカヅチ…、などなど。
「チ」は霊のことであって、どうやら神と呼ばれる存在ではなく、三千世界に
わたる霊のこととして区別されているようですね。
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◆幸福な王子
〔To:Hiromi~さん 2004.9.15〕
「幸福な王子」の〝愛〟をめぐる探索には、小夜ちゃんという5歳ながら
たいへんオマセな女の子とお父さんの対話に一端をご紹介したように、興味の
つきないものがあります。どこまでいっても届かないような深み、行けば行く
ほど遠ざかる暗い森が横たわっています。
オスカー・ワイルドはアイルランドの首都ダブリンに、家庭的にはたいへん恵
まれて生まれています。若いころは詩を書いていた社交家のお母さんジェイン
の強い意向から、オスカーは小さいころは女の子として過保護に育てられてい
ます。その後、プロテスタント系の名門校へすすみ、そこでかなりきびしいキ
リスト教教育を受けたようですね。〝愛〟の思想、献身の思想はそうした環境
のなかで教えられ身につけていったようです。
王子、そしてツバメの気高い魂は、しかし、現実社会ではゴミクズのようにし
か扱われることがなかった。辛うじて天使が王子のハートとツバメの死骸を天
国に運んでいったというわけ。このへんがこの作家の死にかたと妙に符合して
いることに気がつきます。すなわち、晩年、唯美主義作品の結晶とされる悲劇
「サロメ」の圧倒的な成功にもかかわらず、同性愛問題をめぐる裁判で有罪と
なり投獄され、刑に服したのちは、自分の生まれた国に受け容れられることな
く、失意の生活ののち、パリで死んでいますね。才能ゆたかで華々しい作家生
活を刻みながら、ついに郷里のダブリンには迎えられることがなかった。
永遠の眠りについているのは、フランス・パリのペール・ラシェーズ墓地、パ
リ最大の墓地ですね。背に羽のついた少年を刻んだ記念碑の下にOSCAR WILD
の文字が見え、前にはいつも絶えることのない花が供されています。気をつけ
てもっと目を近づけてみると、なんとまあ、たくさんのキスマーク! 生まれ
故郷では疎外されましたが、世界じゅうで彼の〝愛〟は尊ばれているというこ
とでしょうね。これもちょっと涙を誘われます。
〔To:Hiromi~さん 2004.9.17〕
「幸福な王子」を素材に中学生を前に〝愛〟と〝恋〟を語って3回に及びまし
た。3年近く前のことですが。同じオスカー・ワイルドの「ナイチンゲールと
ばら」「若い王」の場合にもふれ、さらには「サロメ」や、古代ギリシアの抒
情詩人サッフォーにもおよび、ナルシズムについても話した記憶があります。
ただ、これらもわたしの個的な読み方と「感動」によるものですから、みなさ
んはみなさんの「感動」をつき合わせながら、本来のテーマ活動をなさったら
いいのではないでしょうか。そして何よりも、「人」と呼ばれることなく「消
費者」と呼ばれて走りまわらされるこの時代に、ある力と欲望と流行に鼻づら
を牽きまわされることなく、自分たちの感動という原点に立ち帰ろうという姿
勢は尊ばれていいのではないでしょうか。ムダばなしは控えつつ、多いに語り
あってください。とりわけ、オスカー・ワイルドの〝愛〟の問題は、やさしい
好意が裏切られ、献身的な愛情が踏みにじられていく、実人生のリアルな苦さ
残酷さ、あるいは、どうしても相手に届かない愛、崇高な心による自己犠牲の
愛、ナルシズムなども含め、語り尽くせぬほど深いですよ。 先に挙げた作品
や「王女の誕生日」「漁師とその魂」も合わせてこの機会に読んでいただきた
いです。