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COCONUT & BANANA
私がはじめに通っていた女子大は 南部のいわゆる「お嬢さん学校」(注:私は奨学金で通っていました)で、Campusには黒人の生徒はたったの一人しかいませんでした。
彼女はEmilyという上院議員の娘、Richでキャンパスに”My Horse"を持って来ていました。(乗馬はアメリカではステイタスの1つ)
ある日のLunchのこと、偶然彼女とカフェテリアで同じテーブルになり、話す機会がありました。USでは、黒人である彼女も黄色人種である私もマイノリティー(少数民族)なので、無言で通じる何かがあり、私も前から話をしたいと思っていたのです。
「無言で通じる何か」 ー それは、白人上位の社会で生きていく為の手段と言うか、彼らに同等に扱ってもらう為にしなければならない暗黙のルールの遵守と、それに抵抗する心との葛藤です。
平等をうたっている国ですが、私達有色人種は、白人生徒が破れたジーンズの時は折り目のついたスラックスを、Tシャツの時はポロシャツを、ドレス(ワンピース)の時はロングドレスを身に付け、外見だけでもLook Downされないよう気を付ける事は鉄則だったように思います。
彼女も私もお互いを一目見て、まるで鏡を見るようで、思わず意味を含んだ笑いになってしまいました。
”私、Coconutでしょ”
”じゃあ私はBananaかな”
それが、彼女と私の最初で、そして最後の会話となりました。
その後彼女は黒人の多いワシントンの大学へ転校してしまったからです。
制度上差別は無くなっても、裕福な女子大では生徒は白人、カフェテリアの従業員や掃除婦さん・警備員は全員黒人とはっきりわかれます。
坂の反対側にある元黒人大学は、今でも黒人しか通っていないし、今も下り坂の中央に来たら白人のタクシーから黒人のタクシーに乗り換える人もいます。(昔は白人と黒人のテリトリーがはっきりわかれていたので、黒人のテリトリーへ行くには黒人のタクシーに乗らないといけなかったのです。ちなみに黄色い私は何処でもどのタクシーでも行き放題!中間色ってたまには良い事もあるのね)
いくら教養を身に付け、裕福な暮らしをし、喋り方が白人っぽくなったとしても、外見は永遠に変わらないのです。それは私達黄色人種も同じ。
ムリに中だけ白くするのではなく、それぞれにしかない色の特色で勝負したい - 。そのアピールを聞いてもらうには、まずは白人社会の中で上まで行かないといけません。
模倣はその為の我慢の時・・・。
白人社会に住むEmilyの心の葛藤を見た気がしました。
自らをCoconutと言ったEmilyは、今は大学講師をしながらソーシャルワーカーとして、「心の差別」をなくす研究と運動をしています。
さて、Bananaと言った私に、今出来る事は何だろうか・・・。
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