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| ~LABO MASE PARTY 2006 ~
【英語は何歳から始めればいいの?】
~英語のパスバンドは2000ヘルツ以上!~
まじょまじょの日記より転記します
「ラボって何だろう?」と興味を持って初めて参加された方に「もっとわかりやすく説明できたらな~」、「質問されたことについて、端的に語りたいな~」って、常々思います。でも私はいつもいつも、つい熱く語りすぎてタイムオーバーになってしまうのです。
このホームページは、「皆さんのお時間があるときにゆっくり目を通してくださっているうちに、少しずつ「ラボって何?」の答えがみつかりますように、また、私がどんな想いでラボをしているのかお伝えできればいいな~と思って、2003年の夏の終わりに立ち上げました。どうぞあちこちクリックしてページを開けてお読みくださいね!
さて、昨日参加したJICAの「国際理解教育講座」でご一緒した方が、「どのようにしたら外国語により親しむことができるか」という内容で講演会を開催する!というんで、内容はモチロンだし、どんなお話を展開されるのかも興味深かく、また、ラボでやってることが一般ではどのように説明されているのかなっと思い、急遽参加してきました。その中で私が「おお!なるほど!」と思ったことがありましたので、Pick upしてご紹介します。
よくある質問から~
★英語は何歳ころから学ばせたらよいですか?
⇒文章をテキストで学ぶなら(「学校英語」)は、小学校5年生から、もしくは5年生同等程度の学力を有し、日本語の文法体系が身についていることが望ましい。しかし[英語を聞かせる]ことについては、どんなに早くても早すぎることはありません。「聞こえる」と「聞き取る」には大きな差があり、[聞き取れない言語は、話すことができない]からです。
(各民族言語のパスバンドの表から)英語は2000ヘルツ以上12000ヘルツの言語であり、これに対しスペイン語・フランス語、日本語はそれ以下の音域に属しています。ちなみに日本語は125ヘルツから1500ヘルツで完結する言語です。この数字からわかるように、英語と日本語では使用する音域が全く異なります。
音の聞き取りは、脳内の細胞単位で認識されます。生後2年ほどで頻繁に耳にする言語の周波数帯に反応する細胞を残して他はすべて消滅してしまいますので、外国語習得を目指すのなら、少なくとも2才前からその音声を聞くことができる環境を整えていく必要があります。それ以降、特にオトナになってから外国語を聞き取れるようにするには、人工的にその言語の周波数帯に対応できる細胞のネットワーク(ニューロン)を生成することが必要になります。そのためには、長時間の聞き取りの繰り返しという膨大な努力によって「その言語」を処理できる細胞を作るしか方法はありません。(神経細胞は大人になっても増えていくので、何歳になっても学び続けることができるが、大人になればなるほど細胞の生成に時間がかかるため、モチベーションの持続も大きなテーマになってくる。こどもが高いモチベーションなくしても、あっという間に覚えてしまうのはこういう理由から)
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この周波数帯の話を聞いて思い出したのが、ラボ高校留学から帰ってきたH君とMちゃんのことば。「どうして、英語を話せるようになったの?」という保護者からの質問に、「いつか知らないうちに、英語の音がはいってくる「道」が僕にはできていたみたい。何回も聞き返さなくてもスーッと入ってくる感じ。だから、聞くことと発音することは無理しなくても自然にできた。僕は、その「道」のおかげでラボ以外の留学生に比べてかなり早いスピードで音をキャッチすることができていたと思う」「小さい時から訳わからず(*ラボでは、センテンスを分解して、単語の意味を一つ一つ教えることはしていないので・・・)聴いていたテープ(CD)の音が、自分の意識では忘れているのだけれど身体の中にはしっかり残っていたみたい。同じ音、同じ発音に触れると何か懐かしいような蘇ってくるような気がした。」と言っていたこと。(いずれも、2~3才から15年間ラボ活動を続けた子たちです)
私はこれまで、ラボのCDを聞くことは、[英語の耳]づくり[根っこづくり]といっていましたが、いまいちわかりにくかったかもしれないな~と反省しました。こんなふうに、「英語と日本語では言語の使用する周波数が全く違うので・・・と語ってもらうと「ああ、だから全く聞き取れない音がでてくるんだ!][なるほど、早くから聞かせる必要性は、こういう理由からだったんだ]ってわかりますね!
言語を習得するためには、まず、その音を聞き取れる細胞が必要。その細胞を常に活性化させるためには、その音声周波数帯の言語を継続して聞くことが必要になる。
こどもが楽しく聞き続けるためには、やはりそこにストーリー性の高いものがあるといい。さらに、それを仲間とシェアできて、創造力と想像力を同時に刺激する活動が展開できれば、それがまた、その周波数帯に属する言語を楽しみながら聞き続けることにつながる。
あらためて、ラボのCDを幼い時から家庭で楽しみ、さらにグループでout putするテーマ活動の重要性を認識します。
あらゆる言語に対応できる素晴らしい細胞をもって生まれてきたこども達です。どうかすくなくとも英語の周波数帯に反応できる細胞を消滅させることのないように! そう、もう迷っているヒマはないのですよ!
【無断転載を禁止します】
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ここからは、上記の日記への書き込みと、そのお返事です。
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ともともさん (2003年09月30日 19時35分)
初めて書き込みします。(ドキドキ)
2歳の息子を持つ母です。
>文章をテキストで学ぶなら(「学校英語」)は、小学校5年生から、も
しくは5年生同等程度の学力を有し、日本語の文法体系が身についている
ことが望ましい。
↑とありますが、私は「あいうえお」と一緒にアルファベットも教えた
り、小さいうちから、英語の絵本などを見せて(文法は抜きにして)、
テキストにも親しませた方がいいと思っていました~。あと、簡単な単
語を書かせたりとか。(こういうことは、やらないほうがいいのでしょ
うか?)
なので、できれば、「日本語の文法体系が身についていることが望まし
い」理由をカンタンでいいので、説明していただけたら幸いです。
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ともともさんへ
北海道のざわざわさん より(2003年10月02日 10時54分)
講演を聞いたまじょまじょさんのお返事が一番望ましいのでしょうが、同じ言
語教育に携わるものとして、私の意見です。
まず、小さいうちから書く事についてですが、まだ手の筋肉の発達もおぼつか
ないうちに、文字を習得するのは時間もかかり結構神経も使います。子どもが
興味を示せば、好奇心を満たす程度にやるのはよいでしょう。
私は、限られたこども時代の時間ですから発達に則した取り組みがいいなあと
思います。同じ外国語学習のなかでも必要な要素で、小さいうちにやって楽し
いこと-「聞いて遊ぶこと」に時間を使ったほうがいいと思います。
聞いてイメージする力は小さいうちからやっておいたほうがよく、また小さい
うちは自然とそういう力が備わっています。一方、聞く集中力は文字を習得す
るにつれて弱まってきます。
>「日本語の文法体系が身についていることが望ましい」理由
母国語を規則から覚えて話していく子どもは一人もいません。でも読み書きが
できるようになってて一応一つの言語体系が形成されると、外国語学習の際に
自分の持っているものと置き換えて、別の言語体系をイメージしていくことが
できるからです。
聞いて情報を得るより、読むほうが早くなるのはだいたい12才前後だそうで
す。この頃になると耳の発達は一応出来上がってしまい、新しいものを受け入
れにくくなリます。逆に書く方はどんどん伸びていきます。「文法の習得」と
はこの時期を指しているのではないでしょうか。
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【伸びる力をもったこどもに育てるために親ができること】
~まじょまじょより
2歳の息子さんを持つお母様:ともともさんの質問を受けて・・
ざわざわさんが、お答えくださっていることは、私も全く同感です。また、このページには様々な経験をお持ちの方がいらっしゃるでしょうから、特にラボ活動をしているお子さんをお持ちのお母様やテューターの皆様!是非ご意見を書き込んでいただきたいなと思い、日記から書き込むことにします。
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>私は「あいうえお」と一緒にアルファベットも教えたり、小さいうちから、英語の絵本などを見せて(文法は抜きにして)、
テキストにも親しませた方がいいと思っていました~。あと、簡単な単
語を書かせたりとか。(こういうことは、やらないほうがいいのでしょ
うか?)
⇒身体・運動・ことば・認識・感情・人間関係・・・こどもの能力の発達にはを大きな個人差がありますね。けれどもどの子もみんな伸びる力をもち、芽を出し、花を咲かせる時を待っています。そして、それを助けるのが、こどもに一番近いところにいるお母さん・お父さんの役目ですよね。それだけにどう助けるか、親の働きかけの適切さが重要なポイントになってきますから、気合はいります。
能力を発達させるというと、親はつい、早くから読み書き計算ができるというような目に見えるところに関心が集中してしまいます。でも能力というのは、こどもが本当におもしろがってやるから、その力が人間的な力として身についていくものであって、親が喜ぶとか、ご褒美がもらえる、できないとしかられるという理由で訓練される、言い換えれば調教されたような場合、一応能力は身につくでしょうがその根っこにその能力を使って何かをしたいという人間的な動機がないわけですから、現実には役立たなくなっていきます。
ですから、こどもの能力を伸ばす時に、書ける、読める、~ができる、という目に見えやすいことだけではなく、その能力を使ってその子の世界や生活がどう生き生きと広がってきているのかを親としてはいつも見ていく必要があると思うのです。
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⇒たとえば文字を覚える場合、大事なのは、まず、子ども自身の文字への興味を育むこと、こどもの中に「自分で字を書いてみたい!」という気持ちを育てていくことが大切だと思います。その場合「教え込もう」とすると、こどもはとたんに逃げていきます。その子が文字を使って何かを伝えたいというようなその子自身の要求があればその能力は自分のものになっていくと思います。
こどもが文字に関心を持つ時には、2つの段階があります。一つは
文字そのものがおもしろいな、とかコレはなんて読むのかな?と、一字一字に関心をもつというレベル。もう一つは、一字一字の文字には関心がないけれど、自分で本を読みたいとか、ママにお手紙を書きたいとか要するにある欲求があって、文字はその手段だというレベル。
どちらが先にきてもいいし、いずれどちらもやっていかなければなりませんが、その時この二つを混同しないほうが良いと思います。一字一字に関心を持った時に「じゃあこの覚えた文字で手紙を書こう」といわれたら、また何か教え込まれたという感じになってしまいますし、逆にお手紙を書いてみたいといった時に、「まず、あいうえおを覚えようね」といったら、せっかく何かをしたい欲求もしぼんでしまいます。いずれもその時点での子供の関心を尊重してあげることがだいじなのではないでしょうか。(これは日本語でも英語でも同じことです)
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長くなりました。最後に研修で、大島清/京都大学名誉教授の書かれた文を読んだ時に、
【言語とは、すべての感覚で学ぶものなのである】というところに私は非常に感銘を受けたので、もしご参考になれば、、、と思い記します。
【ことばはことばだけで覚えさせるのではない。スキンシップをしながら[五感]の総てが言語に置き換えられることを学んでいく。これは大切な行為だ。転べば誰でも痛い。そこで、泣きながら「痛い」ということばを覚え、さらに痛くないように、転ばないようにという知識も学ぶ。このように身近にいるものからスキンシップを交えてことば学んでいくのに、早い段階で、勉強・学問としての言語教育に切り替えてしまう傾向が現代にはある。これが、情操教育に大きな影響を及ぼしている。
機械的に「学問」としての言語教育がされると、言語にまつわる感覚とか風景や臭いや感触などが言語に染み付かず、薄っぺらなものになってしまうのである。
言語は行動の規範になる。[五感]をフルに活用する共感覚として学ばなければ生きたことばにはならない。さまざまな感覚を含むことで生きたことばになる。生きたことばが自由に使えなければ、感動を思いのままに表現することも、喜びを身体で感じることもできなくなる。言語とは、総ての感覚で学ぶものなのである。】
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junjunさんより (2003年10月03日 15時27分)
まじょまじょさんの呼びかけに答えて、早速かきます。(でもPTAに行く
までにあと少ししか時間が無いので知りきれトンボになるかも)
母国語の言語体系がほぼ出来上がるのが9歳ごろといわれていることを
考えると系統立てた英語教育は5年生以上と言うのは納得するところで
す。よく聞く話としては、海外勤務に幼児が同伴した場合その国の言語
を一番先に覚えるが帰国してしばらくするとみんな忘れてしまう。言語
を身につけるとはどういうことなのか象徴的なはなしでしょう。まず私
たちにとって言語とりわけ母国語というのはどんな役割を持っているの
か。読む、聞く、話す、書く、という活動を通してコミュニケーション
もちろんですが、思考して判断する、あるいは空想を膨らませる、共感
するといったもっとも人間らしい活動を担っているのが母国語ではない
でしょうか。だからこの母国語を身につける生まれてから小学生ぐらい
の時期にどんな環境を用意するのかが重要なのだと思います。時間にな
ってしまいましたまた後で...
続き~junjunさんより(2003年10月04日 17時23分)
私は、これまで子育てにおいてやってはいけないことを沢山やってきて
しまいました。冗談のように子どもたちに「よくこの親のもとで無事に
育ってくれたね。ありがとう。」「親を反面教師にしているからね」な
どと会話することもあります。親というの本当に子どものために何をす
べきなのかよく悩むもの。情報が氾濫し、且つ幼児教育がビジネスの対
象になっている今だからなおさら悩みも大きくなりがち。我が家がラボ
に入ったのも子育ての悩みの真っ只中にいたからこそでした。といって
も最初からラボを理解して選んだのではないのですからなんと幸運なこ
とだったことでしょう。ラボには幼児期に体験させたい、ごっこ遊び読
み聞かせなどの要素が沢山入っていたのですから。(参考「早教育が育て
る力、奪うもの-幼児期に欠かせない人間らしさの芯の育ち」加藤繁美
著 山梨大学教授)
ラボに入ってからは幼児期のみならず思春期の難しい時期を乗り越え
る大きな存在ともなりえたのですから、我が家にとっては本当に大きな
存在です。以前何度かラボの講演会・学習会がありましたが、そこでラ
ボも発足当時は一般的な英会話教室だったと伺いました。今のようテー
マ活動を取り入れた形になったのは、以前の形式でははじめは喜んでい
た子どもも興味が続かなくなったからだったというな内容だったと思い
ます。このお話は加藤繁美先生の指摘されているところとも合致してい
ると思います。
あんまり書くとみんな飽きて読まないよと娘に言われてしまいまし
た。
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junjunさんへ まじょまじょより
>母国語の言語体系がほぼ出来上がるのが9歳ごろといわれていること
を考えると系統立てた英語教育は5年生以上と言うのは納得するところ
です。私たちにとって言語とりわけ母国語というのはどんな役割を持っ
ているのか。読む、聞く、話す、書く、という活動を通してコミュニケ
ーションもちろんですが、思考して判断する、あるいは空想を膨らませ
る、共感するといったもっとも人間らしい活動を担っているのが母国語
ではないでしょうか。だからこの母国語を身につける生まれてから小学
生ぐらいの時期にどんな環境を用意するのかが重要なのだと思います。
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↑早速のご返答ありがとうございました。
おっしゃる通り、まず一つの言語体系をしっかりと身につけるということは、人間として成長していくうえで欠くことの出来ない大切なことです。「母語」は一人の人間の精
神のよりどころだと思います。母語でものを考えますし、自分の欲求を満たすのも人間関係を構築するのも母語を使ってやるのが基本です。つまり、総ての出発点ですよね。自分というものをきちんともって、自分の考えを言えること。言いたいことを言えるには言語としての能力が必要なのであって、まず母語でそれをきちんと言えることが重要だと思います。そしてそれを育てるのが一番身近にいる人、母親の役割だと・・・
母親のことばで語りかけることがどれだけこどもの情緒を安定させ、豊かな人間性を築くかということを考えたら、まず親自身が豊かな言語生活を持たなければと思います。責任重大ですね。
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