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『ポワンホワンけのくもたち』 (テューター通信・依頼原稿より引用)by国分里美
失ってみて初めてその大切さに気付かされものは、何気なく生活している中でたくさんあるだろう。そう、空気のように。
私が、この物語を初めて聴いたのは、小学生の頃だったと思うが、静かな衝撃とでも言おうか、なんとも言えないショックを受けた事を、今でもはっきりと覚えている。当たり前の様に一緒にいる父、母、兄弟と、もしも、離れ離れになったら。。。考えてもいなかったことだった。
この物語が始まると同時に音楽にのせられて、雲たちが広い大空を滑っていく雄大なイメージが浮かび、自分も、いつしか雲となって風におされて、空を漂っている感覚に陥る。そう、体中を縛りつけているもの全てから解放され浮遊し始めるのだ。「家族の絆」だけを頼りに、どこへ行くにも風まかせ。時には、モンゴルから吹く黄砂にまみれシベリアの凍てつく空気に耐えて、雲は旅を続ける。
大人になった今も、この物語をかけた途端、子供の頃聴いていた時と全く同じ感覚が呼び戻され、心も体も、雲になれるのだ。
但し、知識や体験をいくらか積んだ分だけ、体はちょっぴりと重くなり、いくらかの悲しみや、嘆きを覚えてしまった分、三月の出会いと共に涙が雪となって落ちる時、新たな別れを、ふと予感してしまう自分がいる。
雲は、、、雪となって大地に降り、空に別れを告げる。
雲は、、、大空だけの旅だけではなく、大空と大地との間も巡る宿命にある事など、昔は、気付かずに済んだのに。。。
雲は、、、壮大な秩序の中で、生かされ、また生きていく。出合いと別れを繰り返しながら..
今、体になじんだ日本語と英語以外に、新たに、多言語が加わり、まるで雲が地球を巡るが如く仏語で聴くとフランスの上空を、西語で聴くとスペインの上空を、体が浮遊するのだ。こんな贅沢な幸福感は他では、味わえない。
ああ、それにしても、『なんという夕焼けでしょう!』と、ため息が出る程の空と、合唱が聞こえてくる程のひつじ雲たちの風景を、子供たちに、どうにか、残してあげられないものでしょうか。 |
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