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~2008年11月17日の日記から~
ラボテューターと、ラボっ子の関係は不思議です。
学校の先生とは、わずか数年、一年だけという短いおつきあいもありますが
テューターは、10年、20年、という長い間、ひとりひとりの子供を
見守り続けます。
そしてその子供の、学校でも家でも見せない姿を知っている、
数少ない大人のひとりなのです。
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Fテューターは、私の恩師であり、もうひとりのお母さん。
つい数年前まで、三十数年の長きにわたりご活躍された。
その間育ててこられたラボっ子は数知れず。
元ラボっ子の結婚式に招待されるばかりか、
最近ではダンスのステージを見に「クラブ」へ行かれたことも。
今も元ラボっ子たちが折に触れお宅にお邪魔しては、
語らいの時間を共にするそうだ。
突然の来訪にも、快く笑顔でドアを開けてくださる。
どんな話にも、真摯に耳を傾けてくださる。
それは、私が子どもだったころと変わらない。
幼稚園の貸し教室で、パーティがすっかり終わってしまってから
遅くに制服姿で現れた私に、「お話しましょう」と椅子を勧めてくださった
あのころと、変わらない。
先日、いまちょうど結婚された方の写真をテューターに見せたいと
社会人になって久しい何人かの元ラボっ子がテューターのお宅にあつまる
という機会があり、お誘いがかかって私もわが子を連れてお邪魔した。
おなじパーティでした、とはいっても世代もかなり!!違うし、
(それだけFテューターがなが~く指導者であられたという証)
わたしはみなさんと初対面なのだけれど、
ラボという共通項があるから、
どんな話題もその「共通項」をはさんで盛り上がる。
いつも不思議に思うのは、ラボで育った子は、人に対して興味を抱き、心を開くことを恐れない。
「コミュニケーションの極意」を心得ている、というのだろうか。
そして何より面白いのは、
世のなかの何について意見を交わしていても、
行き着くところは、自分たちがラボで培ってきたたくさんの目に見えない財産・・その尊さ、ありがたさ。
社会人となって、その経験がさまざまな場面で
役立っていると実感している彼らの話は、とても説得力があった。
実際に一緒にラボっ子として活動したことはなくても、
時を経て、こうして集まり、彼らと語り合えたことを大変喜ばしく思う。
そしてまた、私たちを長年見守って下さっているテューターに感謝したい。
そしてまた、ラボ・テューターのおしごとが
ほんとに魅力あるお仕事だと
言葉ではなく、生き生きとした姿をもって伝えてくださった
そのことに、感動しています。
見習いたい、近づきたいと思っても、とてもかなわないけれど、
これからもずっとずっと、わたしの目標です。 |
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