MY人生回り道がつきもの。石橋も叩きすぎて割れちゃいそう。
そんなわたしが、ようやくこころを動かされ、やっぱり・・と思った
その日の心情をドキュメンタリー風に。
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2006年12月3日それは、ラボパーティ誕生40周年行事が、パシフィコ横浜で行われていた日。
息子が所属するパーティのテーマ活動発表を見るべく、会場に朝から向かっていました。
会場内は全国から集まったラボっ子、関係者で大変なにぎわい。 各ブースで行われている展示やワークショプなどを見て回りながら、随所で交わされる「ひさしぶり~」「元気?」の声に、 ラボパーティのイベントならではの活気を感じ、とてもうれしく思っていました。
「ラボママ」ということばがラボっ子とテューターの間に浸透してどのくらい経つのかわかりませんが、 自分のラボっ子時代にはなかったことを思うと、長年のあゆみの間に 「保護者と子供とテューター」が共に育ちあう・育てあうという、 望ましい関係が徐々に築かれてきたのだな・・と改めて気づかされました。
その日のフィナーレは、宮沢和史さん率いるバンドの、ラボ会員と保護者に向けたコンサートでした。
小さな子供たちにとってはおなじみの薄い方かもしれなかったのですが、 宮沢和史さんは、子供のころラボっ子で、一ヶ月ホームステイにも参加されています。
コンサートの半ば、突然彼が♪Hokey Pokey ♪を歌いだしたあたりから、 会場内は熱気に包まれはじめました。 ステージ上の宮沢和史さんのラボっ子時代の思い出と、 わたし自身のラボの記憶が年代も近くて重なることから、 長いあいだ思い出すことのなかった懐かしい場面が次々にあふれだしたのです。
もしわたしのなかの「原風景」を探してみたなら・・ わたしにとってのHOMEが、すなわちラボであったのだ、と気づかされた瞬間でした。
ただ単に、「楽しかった」のではなく・・ あるときは苦しくも情けなくも恥ずかしくもあったけれど、 でもそれらをすべてふくめて楽しかった、
あのような体験は他ではできなかった・・そう感じたのでした。
目の前でパワフルにステージを展開する宮沢さんの姿を見ながら、 ひとりでもたくさんのこどもたちに、ラボの楽しさを知ってもらいたい、 そのために自分が再びラボの輪の中に入って活動してみるのは、どうだろう・・。 横浜からの帰路のバスの中で、私はひそかに決めていました。
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