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私は刺繍やパッチワーク、いわゆる針仕事が好きで、常にいろんなものを作っている。特に、使わなくなったもの、古いものから、自分のアイディアでちょっといいものができたときは、なんともいい気分である。セーターからクッションや、ソックスカバー、カッターシャツからエプロンなどは私の定番。何年も続けていて、友達にもプレゼントしている。
このごろうれしいのは着なくなった着物、母や姉の明治、大正の着物から、今着られる洋服を作ることだ。年齢も重ね、体型もゆったりと作られたものがよくなり、絹物や古布の雰囲気が似合うようになったともいえようが、何枚か、リメイクしたものを着ていると、「いいわね」と友達に言われ、気をよくしている。
こういう私をよく知っている東京の友達から、先日、電話がかかってきた。
「私の着物をもらってくれない?」
翌日、早速、衣装箱が二つ送られてきた。実は、彼女の家は大きく商売をしていたが、最近倒産となり、ついに自宅を手放して、狭いところに引っ越すことになった。余分なものは処分したい。「あなたなら、私の着物をどのようにしてくれてもいい」というのである。
衣装箱を開けると、それこそ、肌襦袢から足袋まで入っていて、家がいかに取り込んでいるか、その大変さがうかがえるのであった。一枚一枚から、彼女がそれに手を通したころのこと、これを縫われた彼女のお母さんの気持ちなどがしのばれて、切ない。いいものはとにかくしばらくは大切に保存することにし、どうにもならないものから処分を考えようと思った。
私もそれほど暇があるわけではないが、今、何か彼女を元気づけたい、という気持ちが、たまらなく強く働いて、考えた。
中に、ぼろぼろになるまで締めた細帯があった。赤と白の絹糸で織られ、小さい鶴が飛んでいる。それをいいところだけ取って、鶴の一羽づつを入れて、丸くきり、裏をつけてふちをバイヤステープでくるんだ。首を上にあげ、羽を広げた鶴のコースターが十枚できた。さらに長じゅばんを解いて、彼女のキャミソールを仕上げた。それらを渡すと、彼女は「これは涙ものだわ」と目を潤ませた。本人も忘れていたほどの古着だとしても、数々の思い出に彩られているのだろう。「懐かしい!」といって頬ずりする姿に、私も目が熱くなった。
今、彼女は生活の形を変えて、再生の活力を出さねばならぬときである。衣装箱の着物を大切に生かすことが、彼女を元気付けることかと思う。鶴のように首を上げ、羽ばたいてほしい。早い再生を祈るばかりである。 |
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