|
|
|
|
|
犬でも猫でも小鳥でも、愛情を持って接していると、彼らの気持ちが分かるようになる。それこそ、ポリネシアの言っているように、「鳥や動物の、ごくこまかいところにも注意を払うことが大切です。これがつまり観察力というものです。歩き方、頭の動かし方、羽ばたき、臭いをかぐときの鼻の動かし方、ひげの動きぐあい、尾のふりかたなどです。もし動物の言葉を習いたいのでしたら、はじめはまず、こんな小さなことにも気をつけねばなりません。動物たちは、たいてい舌では話をしないようです。舌の代わりに、呼吸や、尾や足を使います。・・・」というように注意深い観察力で、相手を理解してあげたいものだ。
ドゥリトル先生の世界は、動物への深い理解と愛情からはじまって、動物、人間、自然をひっくるめた調和のとれた人類愛の物語だ。とぼけた面白さの中に、鋭く真実を見つめる目があり、幅広い体験と豊かな空想力で、ユーモアたっぷりの深い物語になっている。ラボのCDはドリトル先生の世界の一部分。ほかの部分を読み出したら絶対とまらない。そして広さの上に立ったテーマ活動をしたいものだ。
「ドリトル先生アフリカゆき」(井伏鱒二訳・岩波書店)の巻末に、作者ヒュー・ロフティングについてと、12巻の紹介がのっている。そして、井伏さんのあとがきや、石井桃子さんの「ドリトル先生物語」として語っていることが興味深い。今楽しく読んでいる物語も、熱い思いで、努力をする人の働きがあったのだと。
―――ドゥリトル先生はミランダが知らせを持ってきたから、クモザル島に行くことになった。ついでにぼくもつれてってもらいたい。でも乗組員に選ばれないから、やっぱりだめかなあ。ぼくもおとなになって、船が買えたら、いちど航海をしてみたいと思う。
ドゥリトル先生はみんなにそんけいされている。どんな昆虫の名前でも知っている。ぼくも昆虫の研究をして、ドゥリトル先生のようになって、わからない昆虫のことをなんでもわかるようになりたい。―――T君(小4)
―――人間が人間同士だけでなく、動物とも会話が出来たら、どんなにいいだろう! そんな夢をかなえてくれるのが、この物語だ。動物と話が出来ることで、ドゥリトル先生の世界は、何倍もふくらんでいる。クモザル島へ行く途中で、牛とグルになって闘牛をやめさせたり、いるかに頼んで舟を押してもらったり、あげくのはては南へ南へと流されていくクモザル島を、鯨に押し返してもらったり、スケールの大きいことと、想像力のすばらしさにおどろかされる。
Do-little先生、ほとんど何にもしない先生は、やぶ医者といわれそうだけれど、ドゥリトル先生はそうではない。お金をもうける仕事以外は、いろいろすごいことをやっている。だからみんなが先生をとてもしたって、信頼している。
僕は中学生のとき、このシリーズを全部読んだ。その後、ラボ・テープに対する接し方も少し変わったような気がする。―――T君(高3) |
|