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カムイ・ユカラの世界は私は好きだった。絵本としては以前から、手島圭三郎のカムイ・ユーカラの世界、「ケマコッネカムイ」「カムイチカプ」「イソポカムイ」「チピヤクカムイ」「エタッペカムイ」など、読み聞かせに使っていた。ついでに、「おおはくちょうのそら」とか、「くまげらのもり」「ひぐまのあき」「きたきつねのゆめ」「しまふくろうのみずうみ」など手島さんの迫力ある版画絵本が福武書店から出ていて、私の好きな絵本群となっている。
私の育てられた頃はまだ、私の祖母の話には、山にも河にも岩にも木にも、あらゆるものに神様がいるように話して育てられた。現代のように文明が進んでも、私は、なんとなくそのような、自然の中に神を感じる気持ちが好きだ。というよりも、現にそんな気持ちを私の中に持っていると思う。松居友さんの書かれている「火の神の懐にて」のようなアイヌのコスモロジーがするすると心にしみこんでくる。
このCDが出る頃、何回か北海道に行った。たまたま千歳にいらっしゃる松居さんのお世話になって、ユーカラを語る会に出たり、二風谷の萱野さんを訪ねたり、旭川のテューターのお世話で、ユーカラを聞いたりした。
本もたくさん出ているから、いろいろ買って読んだけれど、私が今も手放さず、心の中に残っている本は、記者の眼から見た、本多勝一の「アイヌ民族」。ユーカラや昔話にたくさん触れるには、「カムイユカラと昔話」萱野茂(小学館)。ほんわかとアイヌのコスモロジーにふれる「火の神の懐にて」松居友。など。
そして、ラボの、チピヤクカムイをとりあげるとき、アイヌの物語を最も分かりやすくするには、一番早道かな、と思ったのが、この本、「銀のしずく降る降る」知里幸恵「アイヌ神謡集」より(星の環会)。アイヌとして生まれ、文才に恵まれながら、19歳で世を去った知里幸恵さんが、先祖が語り興じた小さな話を後世に残そうと、アイヌ語をローマ字で記し、日本語訳をつけた。その「アイヌ神謡集」(岩波文庫)の中から、姪の知里むつみさんがさらに分かりやすく修訳して出した絵本。
絵はいいとはいえないが、アイヌの人々の生活、信仰、日々の戒め、などわかりやすい。子供が驚くのはアイヌ語が全然分からない日本語とは別の言語であること。北海道といえば日本じゃないか。どうしてこんな言葉を使っていたの?となる。そうして、あらためて、神の国から人間の世界を見るというスケールの大きさ、チピヤク、チピヤク・・・と繰り返し、天上と下界を行き来する物語を楽しむことになる。
只、ラボの物語は、ユカラの雰囲気がなくなっていて、少しこの物語からユカラを理解するのはむつかしいと思う。神が、オオジシギの服を着て、降りてくる、神がくまの服を着て人間のところへやってくる、という考え方がアイヌの心である。・・・「六つの空をとおりぬけ」とあるが、どんな六つかは、分からない。「六」はアイヌの聖数であるから、やはり丁寧に六つの空を表現したい。
―――オオジシギは、あまり人間の世界がきれいだったので、楽しくて帰ることを忘れてしまいました。もう、かなしまないで、人間の世界でたのしくとびまわっていたら、いいと思います。でも私たちには、やくそくをまもらなければいけないと、教えています。―――A子(小3)
―――ユカラの物語は、「わたしは」といって語っているように書いてある。オオジシギや、ふくろうが、神と考えられていたのだ。アイヌの人々は、自分たちの住んでいるところを、美しい自然のすばらしいところだと思っている。だからこんな物語が出来たのだと思う。そしてそこをみんな神様が見ているのだと思っている。自然ばかりをテーマ活動で表現するのは難しいけど、動かない自然の中を、オオジシギがダイナミックに飛ぶ表現が出来たらいい。T君(高1) |
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