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「このはなし、しってる」とか「ようちえんで、かみしばいみたよ」という程度の意識から、どのようにテーマ活動の活力を得ていこうかとCDを聞いたのだった。ラボの「一寸法師」は、物語を聞くと、いろいろ考えさせられるが、小野かほるさんの絵は、この物語の場合は、どうも生きてこない。昔話の絵本の域を脱しきれない。どうも、ずれを感じる。
高学年にはお伽草子を紹介した。講談社の少年少女古典文学館のなかの「おとぎ草子」(清水義範)は、小学生も十分に読んだ。
小沢俊夫さんの「日本の昔話」のなかにも、「一寸法師」があるが、面白くなくよくない。地方に伝わるものをもとに書かれたのであろうが、越後の国にとあって、都の三条が出てきたり、石清水八幡宮が出てくるのもおかしい。むしろ昔話の中で見れば、稲田浩二さんの昔話に「指太郎」というのがある。この方が興味がある。
とにかく同じ物語でも接する本、絵本によってイメージが変わってくる。
「さりながら、生れおちてより後、せい一寸ありぬれば、やがてその名を、一寸法師とぞ名づけられたり。年月をふる程に、はや十二三になるまで育てぬれどもせいも人ならず。つくづくと思ひけるは、ただ者にてはあらざれ、ただ化け物風情にてこそ候へ。われらいかなる罪の報にて、かやうの者をば、住吉より給はりたるぞや、あさましさよと、みるめもふびんなり。夫婦思ひけるやうは、あの一寸法師めを、何方へもやらばやと思ひけると申せば、やがて一寸法師此よしうけ給はり、親にもかやうに思はるるも、口惜しき次第かな、何方へも行かばやと思ひ、・・・・」と読み聞かせれば、なんとなく甘さがきえ、考える発端が出来て深みを増してくるように思った。
[鬼]といえば、節分の鬼、桃太郎の鬼、などがすぐに考えられる。そんな折、絵本「鬼のうで」赤羽末吉(偕成社)が力を与えてくれた。これは、赤羽さんが、古典のドラマ性に画魂をこめて描かれたものという。
また逆に、甘い昔話風に歌の世界、「むかしばなしうた」武井武雄絵(リブロポート)で、いろんな昔話の歌があったんだと、楽しむ時間も持った。
――― 一寸法師のCDを聞いていたら、おばあちゃんが、「それ、一寸法師の話やね。むかし、うたがあったわ」といったので、うたって!といったけど、すこしうたって、わすれた、といいました。
一寸法師は、おひめさまをだまして、つれて行ってしまってかわいそうだなあと思いました。でもさいごは、しあわせになれたから、よかったです。おにのもっていたうちでのこづちは、だれでもほしいと思います。あったらいいなあと思うものをお話にしたのだと思います。―――S子(小3)
―――一寸法師はかわいくて、かしこくて、勇気があって、強くて、おひめさまをまもって、おにとたたかたと思っていた。でもこの一寸法師はなんだか、かわいそう。親にきらわれて、家を出て、悪だくみをして、お姫様をだまして連れ出した。ちょっと好きになれません。―――C子(小3)
―――小さいときから知っていた一寸法師の話が、おとぎ草子という古典がもとだと知って、興味がわいてきた。神仏にいのることも、現実ののぞみをかなえるには、必要なことと思われていただろう。小さいもの、貧しいものが、超大きいもの、強いものに打ち勝って、打ち出の小槌のような魔力を持つものの力を借りてでも、幸せになりたいというのが、人間の願いであったのだろう。それを強調した物語だと思う。―――T君(中3) |
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